仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

広島そごう他、催事のお知らせ

2012/10/2

明日10月3日より、広島そごうにて第16回宮城県の物産と観光展が行われ、熊谷屋も出店いたします。 デジタル広告はこちら→http://e-catalog.sogo-gogo.com/514/20121002/001/index.html 期間は10月3日(水)から10月9日(火) 広島地区の皆様のお越しをお待ちしています! つづきまして 10月10日(水)から10月18日(木)10月20日(土)まで仙台駅ステンドグラス前にて「旨い物 MIYAGIフェア」が行われ、出店いたします。 営業時間は(木~土)10:00~21:00(日~水)10:00~20:00(最終日19:00まで) となります。 JRで仙台駅に来た際はお立ち寄りください~ 最期に今年は10月13日より宮城県で初めてねんりんピックが開催されます。 ねんりんピックとは? 10月13日~10月16日に開催される第25回ねんりんピック、 開会式のある10月13日のみですが仙台市陸上競技場脇のふれあい広場にて屋台が並ぶ中、宮城の物産を販売するブースにて熊谷屋も出店いたします。 ←ポチッと押してください!


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連続真夏日18日新記録

2012/9/7

8月の19日から続いた連続真夏日の記録、 9月5日に新記録を更新して、翌6日のお昼に降った土砂降りで更新がストップしてしまいました。 …しまいました、というか、これがよい記録なのか悪い記録なのか判断に困りますが、 やっぱり夏は夏らしく暑くないとダメだよね、 でも暑すぎても体力が消耗したり、水不足になったり、電力の消費量が高くなったり…、 でも記録更新はスゲーっと思ってしまう(笑) まぁ、でもよく考えてみると19日連続?たったそれだけ? もっと長かったでしょうよ!という印象が強い。 仮に途切れていたとしても一日二日くらいだろう。 でも実際確認してみると意外なことに… 【画面を大きくする】 七夕以降少し暑さがやわらいだなという記憶はあるが、お盆あたりからまた暑くなったという印象。 だけど意外と27℃の日もあったんですね。 いずれにせよ体感気温は常に真夏日(笑) ちなみに私の記憶だと2007年08月16日に仙台観測史上最高の37.2度を記録したとか… ←ポチッと押してください!
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北目城と北目町

2012/9/1

現在の仙台市太白区郡山にあった北目城。 現在は鬱蒼とした雑草が生い茂っている一部の土地が北目城跡として残っているが、ご覧のとおり外からは何も見えないのが残念だ。(鹿又交差点手前) この城はもともと豪族粟野氏の居城だった。寛正年間に茂ヶ崎城(大年寺山あたり)から移城した。 そして天正19年(1591)伊達政宗に敗れ支配下となった。 この時の北目城攻略の逸話で毘沙門天の話がある。 政宗が兵を送ってもなかなか落ちなかった北目城、粟野大膳が毘沙門天を篤く信仰していてそのご加護のせいだと考え、政宗も毘沙門天に「もし北目城を落とせたなら、城下に毘沙門堂を建てて厚く奉じよう」と願った。 その甲斐あってみごと勝利を収めた政宗は自分も同じように敵から毘沙門天に願をかけられては己が危ういと、約束を反古にして毘沙門天の像を堀に捨ててしまったという。 それを憐れんで町の人たちが毘沙門天を拾って祀ったのが荒町の毘沙門天堂といわれている。 ちなみのそこに祀られている毘沙門天様を拝見するには12年に一度の寅年に行われるお祭りの日しかないのだという。(お祭りは毎年行われている) 残念ながら私がそれを知ったのは寅年が過ぎたばかりであった。しばらく待たなければならないのだ。 北目城はその後伊達政宗が慶弔5年(1600)関ヶ原の戦い前哨戦の白石攻城の際の拠点となり、 そして戦後も岩出山には戻らず北目城にて仙台築城の構想を練った。 その後、村民は仙台城下に移り住み、その場所が現在の北目町だそうだ。
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太白飴の老舗 兵藤飴本舗が閉店

2012/8/21

広瀬町にある兵藤飴本舗 ここは太白飴の老舗で残念ながら長い歴史に幕を閉じることとなった。 兵藤さんには菓子組合でも大変お世話になっている方なので残念な限りです。 後継ぎがおらず自分も歳を取ってなかなか体がいうことが効かなくなってきたということでいずれは閉めるだろうとおっしゃっていた、今回の震災と奥さんの体調不良のため閉店が早まっただけだという。 建物も100年以上経っているもので大変興味深い。 現在は中の床も古くなってギシギシいうようになったとか。 話を聞くとこの建物は現在の御主人のおやじさんが建てたもので面白いのが屋根の北北東の部分、ちょうど交差点に面している屋根の角のに鬼のような形相をした閻魔様??のような焼物の人形がありますが、これは鬼門に向けられてつけたそうです。 わかりづらいのでアップ 横から見たところ その反対側の南側には鳩が2羽。 今まで使っていた道具で使用できるものは同業者に譲ってやったそうです。 一部は榴ヶ岡の民族歴史資料館で引き取ったそうですのでそのうち展示されるかもですね。
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ジョジョ展inS市杜王国

2012/8/13

7月28日から始まった「ジョジョ展」 ギリギリ前日の27日に前売り平日券を買ってセーフ。当日券は販売しなくなったんだとか。 開始早々は激混みでそのあと七夕もあってやっとというか終了日の前日の夕方にギリギリ行ってきました。 ジョジョ自体、本来僕らはオンタイムなのだけれど実はまったく読んだことなくてさっぱりわかりませんでした。 でも一応予習として空条承太郎が主人公の第3部のスターダストクルセイダースだけは見てきました。( ゚Д゚)オラ、オラ、オラ、オラ…! 原画を見てイラストもさることながら独特の色使いが素晴らしく魅入ってしまいました。 予習してきてよかった、一応知ってるキャラクターがいると安心する(笑) 荒木飛呂彦先生は台原中出身だというがこの前のMIUちゃんも同じだった、偶然。 最後に(これだけは必ず買わなければ!)杜王国銘菓のごま蜜団子を買いました! 東京でも秋にやるそうですね、ごま蜜団子はどうなんだろう?

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お盆のお餅始めました

2012/8/13

本日8月13日よりお餅始めました。本店のみの販売となります。(お盆期間中) 仙台ではお盆にお餅を食べる風習があります。 ずんだ餅 あんこ餅 くるみ餅 ごま餅 の4種類。 ぜひお買い求めください。
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ロケ撮影の様子

2012/8/9

8月9日熊谷屋で撮影が行われました。 撮影したものはささらあめ、ささらあめを作っている作業風景とお店でお客さんがささらあめを買いに来るという場面。 実は2年ぐらい前からこの話はあったのですが、昨年の震災で時期が延びてしまいました。 昨年、平成23年2月10日~4月3日に東京の目黒美術館で『「包」日本の伝統的なパッケージ』という展示会がありました。 わたしも行きたかったのですが残念ながら3.11の震災のため叶いませんでした。会は非常に盛況でとても貴重な展示ばかりだったようです。 そこでこの展示会に協力もなさっていたプローブの押切さんよりお話をいただいてぜひささらあめを映像に残したいということで今回の撮影となったわけです。 さきほどのささらあめの写真は40年以上前に岡秀行さんというかたが撮られた写真です。 残念ながらそこで展示されたもののほとんどは倉庫に雑にしまわれているか、世界の美術館へと譲られてしまったということらしいです。われわれのささらあめもおそらく今はカナダの美術館にあるのでは?と。もちろん展示はされているかはわかりませんが。 それはさておき、その押切さんが岡秀行先生から伝統的なパッケージについていろいろお話を聞き感銘を受けてぜひ撮りたいと。 さらにはパナソニックの最新式の3Dカメラで撮影したいと。 そして七夕明けの朝から撮影は始まり工場では飴の仕込が始まりました。 煮詰めた飴を冷やし揉んで白くしてから色をつけます。 黄色い光は電熱で飴を温めながら作業するためのものです。 竹に挿してできあがりです。 お店前での撮影風景 ↑お店に浴衣姿の女性が甥っ子を連れてささらあめを買いに来るというシーンを撮るところです。 浴衣の女性は仙台出身でシンガーソングライターのMIUさんです。 そして甥っ子役はうちの末っ子です(・´з`・) たくさんのスタッフに囲まれてうちのチビはびっくりしてすねてしまいなかなか撮影が進みませんでしたが、うまく撮れたか心配です(汗 前日にも場所を秋保に移してイメージ映像をとりました。 こちらを参照してください! http://ameblo.jp/miulog6/entry-11323746478.html ちなみ二日目はこちらも http://ameblo.jp/miulog6/entry-11324494393.html MIUちゃんのブログです。 とてもかわいい子でしたよ、同じ仙台出身としても応援していきたいと思います。 それから8月19日(日)am0:50よりミヤギテレビで映画「さよなら夏休み」地上波が放送することになったそうでそれにMIUちゃんは主演で出てるそうです! 要チェックや! また24時間テレビで8月26日(日)18:40~勾当台公園市民広場にてステージに登場します。[#IMAGE|S3#] ちなみに今回撮った映像は資料として残りますが一般にはなかなか触れることはないでしょう。 それから、ささらあめは復活する予定はございませんのでお間違えの無いようよろしくお願いします。

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仙台七夕って旧暦の日程だと思ってたけど違っていたの!?

2012/8/7

七夕の起こりは古くは中国から伝わったといいますが、 最初は棚状に飾り「棚機」などと表記さてたようで、しだいに七日の夕方に行うことから「七夕」となったそうです。 また現在短冊に願い事を書くのが一般的ですが、昔は梶の葉に里芋の葉の露ですった墨で和歌を書いていたそうです。 江戸時代、この風習が五節句の一つとして定めらるようになり民衆にも広まるようになりました。 当時七夕というものは旧暦の7月7日の夕方に七夕飾りを飾り、8日の朝に川に流すというものでした。 ちなみに仙台では広瀬川に流したという文献があるそうです。 明治に入り新暦に変わったことで全国的に七夕が衰退していき、仙台では縮小されながらも存続してきました。 現在の日程の8月の6~8日は新暦と旧暦の間の中歴(新暦の月遅れ)ということでこの期間に仙台では七夕祭りが行なわれるようになりました。  お盆についても同じく中歴ということです。 また七夕の七にちなんで七つの飾り飾られるようになりました。 七つの飾りの意味 紙衣 裁縫の上達や子供の健康祈願 吹き流し  五色の願いの糸が変化 裁縫の上達 巾着  お金に不自由しないように 投網  豊漁 感謝 折鶴  家内安全 延命長寿 短冊  梶の葉に和歌や願い事を各習俗より変化した 屑籠  飾りのくずを入れ、倹約や物を粗末にしないよう戒める


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平成24年仙台七夕祭

2012/8/6

いよいよ本日8月6日から始まりました仙台七夕祭。 今年もおおまちアーケード大内屋前でお店を出してます! 朝、お店の設営後歩いて七夕を見てきました。 今年はなんだか色とりどりで明るくて楽しくなるような七夕飾りが多かったです。 七夕名物の人形劇 全国各地から寄せられた短冊 鉢植えになった竹に七夕の飾りつけをしたもの。かわいいですね! なにやら涼しげなものを見つけました!
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政宗歴史塾

2012/8/4

8月3日 瑞鳳殿にて政宗歴史塾なるものが開催されました。 こういった会はたしか3~4回目で一般者を対象にしたのは今回が初めてだとか。 (これまでは子供たちを対象に歴史に親しんでほしいという趣旨だったようだ) そして今回は定員30名で抽選の結果ラッキーなことに選考され参加してきました。 10:00から始まり最初の一時間は瑞鳳殿に併設されている旅館 天龍閣で講義を聴き、 残りの一時間は涅槃門から瑞鳳殿まで移動しながらいろいろと説明を聴きました。 講義の題名は 「伊達政宗 最期の日々を追う」と題し、亡くなるまでの約5ヶ月間(寛永13年1月~5月)の行動や言動について紹介しそこから政宗はどんな人物だったのかというのを知りました。 自己の健康管理には人一倍気を遣っていた政宗だったがいよいよもって己の死期が近づいたことを悟ると周囲の家臣をいたわりながらも息子忠宗の代になっても引き続き盛り立ててほしいと頼んでいた。 また徳川家に忠誠をたてる政宗は参勤交代の時期が近付いているが自分の体力が持つうちにと時期を早めて仙台を出発し、死ぬ前に徳川将軍(家光)に別れの挨拶をしたいと望んだ。 参勤交代出発の前にホトトギスの鳴き声を聴こうと経ヶ峯へ来た時に 「自分が亡くなった後はこのあたりにいるのがふさわしい場所である」 と自ら墓所とすべき場所を杖でさした、この場所が今の瑞鳳殿の場所である。 江戸に着き家光に挨拶した後、屋敷で療養していた。 家光が医師を政宗のところに遣わせたり、手厚い対処をしていることもあり多くの諸大名たちが屋敷に見舞いに来た。 病床に伏していた政宗は見舞いに来た客人に対しいちいち着物に着替え身だしなみもきちんとして出迎えた。心配した家光にも無理をするなと言われたが政宗は 「仙台藩主として身分をきちんとまっとうして身分がきちんと続くようにと思っています。将軍様をないがしろにするわけにはいきません。…」と答え、 自分が死んでも仙台藩の地位が変わらないようにと政宗の心遣いが感じられる。 江戸にいる妻の愛姫にも会おうとしなかった。愛姫は弱った政宗のそばにいたいと願ったが政宗は「あなたは仙台藩の主君の母君だから、軽々しくふるまうのは品格がある程度の人までだ。」と武士としての品格と次の藩主を見据えた考えを示してる。 政宗の最後 5月24日 根っからの戦国武将だった政宗は戦で死ぬのが本望、このように床で死ぬのは無念と悔やんでいた。 未明に目をさまし、いよいよ死を悟った政宗は体を起こしてもらい髪を整えてもらい、安座して西の方角に合掌しながら死を待ち、そのまま一時気を失い、そしてハッと目を見開いてそのまま息を引き取ったという。 最期まで武将らしい死に方をした政宗だった。 よく伊達政宗は派手好きだったといいますが、政宗は武士の格式を重んじ徳川家に忠誠を示すことで仙台藩の安泰を願い、家臣たちのこと思うとても優しい方だったとうかがえます。 どうして戦に派手な衣装を着たかということに関してはあとで調べたいと思います。 講義の後は外へ出て瑞鳳殿内をあるきながら説明を聴きました。 もともとここは根岸村といい政宗の死後瑞鳳殿を建ててから城下に入ったそうです。 ここ経ヶ峰は名前より僧が修行する聖なる山だった。 ここの階段は伊達六二万石になぞらえて62段あるそうです。 涅槃門は黒漆が塗ってありには菊の紋章が施されているがこれは天皇の菊の御紋とは違う、 秀吉より拝領したものだという。 他にも伊達家の家紋はおなじみの竹に雀、三引両、九曜紋などいくつもある。 そして門の上には伝説の生き物、麒麟が彫刻されている。これは仙台藩の安泰を祈願したもの。 (ブレてしまいましたが) ところでいつもこの門は閉じられ、入り口は脇から入るのがなんでか不思議でしたが、 涅槃門をくぐるということは「 煩悩を去って悟りの境界へ入る」という意味なのでわれわれはわきの入り口をくぐって入るのが正しいということである。 そして門をくぐると急な階段がありその両脇には石灯篭がいくつかある。 この石灯篭はのちに家臣より献上されたものであるがその中には片倉小十郎や茂庭周防、奥山大学などがいた。 瑞鳳殿に施されている動物の彫刻などはすべて阿吽の対になっている。 例えば… 龍 獅子 鳳凰 そして有名な竹に雀も実は(逆)阿吽である。 そして瑞鳳殿の両脇には塔がいくつか建っています。 当時の風習として主が無くなると側近の家臣があの世までお仕えしたいと殉死することがありました。 これは宝篋印塔(ほうきょういんとう)と言って、ここには大きいものが15、小さいものが5ありその人たちを奉ったもので小さいものは家臣のさらに家臣、つまりそのものも自分の主とともに殉死したということ。 これは2代目藩主忠宗の時は16名で、綱宗の時には武家諸法度で殉死禁止令が出ていたのでありませんが、断髪でこれに代わる行為としたようです。 一折説明を聴き終え、最後に伊達18代目の泰宗氏よりお話を聞くことができました。 こんな間近で見れるなんてうれしい! 今回初めて参加しましたがとても勉強になり、また興味が湧いてきました。 とても面白かったです。機会があればまた参加したい。
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