現在の仙台市太白区郡山にあった北目城。
現在は鬱蒼とした雑草が生い茂っている一部の土地が北目城跡として残っているが、ご覧のとおり外からは何も見えないのが残念だ。(鹿又交差点手前)
この城はもともと豪族粟野氏の居城だった。寛正年間に茂ヶ崎城(大年寺山あたり)から移城した。
そして天正19年(1591)伊達政宗に敗れ支配下となった。
この時の北目城攻略の逸話で毘沙門天の話がある。
政宗が兵を送ってもなかなか落ちなかった北目城、粟野大膳が毘沙門天を篤く信仰していてそのご加護のせいだと考え、政宗も毘沙門天に「もし北目城を落とせたなら、城下に毘沙門堂を建てて厚く奉じよう」と願った。
その甲斐あってみごと勝利を収めた政宗は自分も同じように敵から毘沙門天に願をかけられては己が危ういと、約束を反古にして毘沙門天の像を堀に捨ててしまったという。
それを憐れんで町の人たちが毘沙門天を拾って祀ったのが荒町の毘沙門天堂といわれている。
ちなみのそこに祀られている毘沙門天様を拝見するには12年に一度の寅年に行われるお祭りの日しかないのだという。(お祭りは毎年行われている)
残念ながら私がそれを知ったのは寅年が過ぎたばかりであった。しばらく待たなければならないのだ。
北目城はその後伊達政宗が慶弔5年(1600)関ヶ原の戦い前哨戦の白石攻城の際の拠点となり、
そして戦後も岩出山には戻らず北目城にて仙台築城の構想を練った。
その後、村民は仙台城下に移り住み、その場所が現在の北目町だそうだ。
北目城と北目町
2012/9/1
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