仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:歴史

歴史の町 富谷宿しんまち

2022/6/30

吉岡で島田飴を作っている兒玉金兵衛さんのお誘いで富谷宿観光交流ステーション「とみやど」の定員20名ほどのイベントに参加してきました。

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そのイベントは宿場町だった富谷宿の町案内と宮城県最古の造り酒屋内ヶ崎酒造さんの蔵見学、そして「とみやど」内のいい茶屋さんにて利き酒とそれに合うアテをいただきました。

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最初にしんまち歴史ガイドで、富谷市学芸員の清水さんが案内してくれました。
旧佐忠商店、明治40年頃に建てられた店と主屋そして昭和前期に建てられた門が令和2年に国の登録有形文化財となりました。もともとは呉服店だったそうです。
建物の特徴は細かなデザインがなされていて気仙大工の弟子が黒川郡に住み着き建造に携わったのではとのこと。 

『土蔵造2階建ての店舗と木造平屋建ての主屋からなる。店舗正面外観は、白漆喰塗とナマコ壁の外部上部に黒漆喰塗の鉢巻三段を廻し、扇垂木風の軒とする。重厚感ある街道景観を形成する。』(富谷市ホープページより)扇垂木風の軒は神社仏閣に見られる手法です。

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↑写真は見えにくいですが軒下の垂木をご覧ください。

脇本陣
参勤交代でお殿様が泊まる本陣に対し、家来が泊まる宿で気仙屋という建物。1876年と1881年の東北北海道行幸で明治天皇が休まれた部屋が現存しているそうです。その部屋の欄間は矢立欄間といい矢が実際刺さっているそうです。写真は探せませんでした。

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当時の参勤交代の資料に宿場町の様子が描かれていて富谷宿の名産が茶畑と記載されていて、今でも脇本陣の裏に茶畑があるそうです。

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とみやど辺りから東西へ通る道をしんまち通りと言います。この「しんまち(新町)」、何が新しいんでしょう?現代人からすると古いのになぜ新しい?と思いますよね。
1618年伊達政宗から新しい宿場町を作るように命じられた内ヶ崎織部は(鶴巣)北目大崎 幕柳 黒川氏の家老でした。
1620年にできた新しい宿場町=新町となったのでしょう。

山田家住宅の建物も古く幕末に建てられたものだそうです。これに関しては後で調べてもほとんど詳しい情報がありませんでした。

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現在の内ヶ崎酒造がある場所が先ほどの脇本陣に対して本陣となります。現在の建物は明治に建てられたものだそうですが、お殿様が泊まる宿として下調べがされており当時の内ヶ崎本家の内部の図(間取り図)が残されています。普通宿場町の本陣は6〜8畳が一般的でしたがここは9畳もあり有壁宿と同じくらいだそうです。

この本陣がまちの中心で重要な役割を果たしています。つまり大事な場所であって災害があっても守られなければなりません。
しんまちの通りの北側には西川という川が流れていてちょうど河岸段丘の中腹に位置して近からず遠からず生活用水を汲める距離にありながらある程度高さを維持している。しんまちを東西眺めるとこの場所が両側から見て微高地になっています。万が一水害があってもこの場所だけは守られる、そういう町づくりになっています。

歴史を学んだあとは内ヶ崎酒造の蔵見学をしました。1661年創業、今年で361年、明治の頃「鳳陽」ブランドができたそうで、現在16代目。
その16代目が酒蔵を案内してくれました。

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さあお待ちかねの日本酒の飲み比べです。
「とみやど」内にある「いい茶屋」さんにて。
とみやどは内ヶ崎酒造店の向かいにあり旧内ヶ崎醤油店敷地跡を活用した観光交流ステーションでもともと醤油店の職人さんたちが寝泊まりしていた建物をリノベしたのが「いい茶屋」さんです。

このイベントを企画したのも「いい茶屋」を運営する村上さんなのです。村上さんをはじめいい茶屋スタッフと宮城県食産業振興課 技術副参事の橋本建哉さん監修の酒と料理のペアリングを楽しみました。

最初に3種類の日本酒(もちろん内ヶ崎酒造)が用意され、このお酒にはこのアテが合うと説明聞いてからいただきました。それぞれ手が込んでいてどれも美味しかったです。

そして今日は特別に4種目の日本酒が先日の全国新酒鑑評会で金賞を取ったばかりの純米大吟醸が振る舞われました。
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ちょっと昔にタイムスリップ

2022/3/10

柏木市民センターで~むかしの写真で、まちを再発見する~「ここダネ!」
という写真展が開催されています。

先月福沢市民センターで開催された写真展の第2弾で、地元の今と昔の写真などを比較して地元をもっと知ってもらおうという企画です。

パネルには柏木市民センターを中心とした地域の古い建物などの写真が貼られ、現在の写真と見比べることができます。それぞれの写真に見学に来た人が付箋に自分の記憶や情報などを書き込んで貼り付け、他の人との情報を共有することができます。

また、昔の住宅地図も複数年のものが展示されており、より細かな情報(ここにお店があったなとか、古い建物あったっけなど)を知ることができます。これも付箋でさらに情報をみんなで加えていきます。

この企画は3月1日から3月31日まで展示されていますので、前半は自分の知っている情報を書き込み、後半は集まった情報をもう一度見に行って二度楽しむことができます。
ぜひ、お近くの方は見に来ていただき情報を書き加えていただきたいですね。


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子年の神社

2020/1/1

あけましておめでとうございます。

今年は子年。

近所に子年の神社がありましたのでお詣りしてきました。
場所は木町の北山トンネルの入口近くから資福寺へ向かう道にあります。

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ここは東西に続く小径でその途中に神社があるような形で、この小径が不思議で暗渠のようにも思えるがその先が無い。(このお堂の先にも道はあるが、1本向こうの道にぶつかったところで途切れてる)

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いずれにせよ、この神社は『木町千手観音堂』といい、本尊千手観音菩薩は人の苦悩を千本の手で救うのだそうです。

お賽銭箱にネズミのシルエット。

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仙台で有名な子年の神社は宮城野区にある『善入院観音堂』があります。


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塩釜 亀井邸

2019/11/12

塩釜神社の裏参道の脇にある亀井邸に行ってきました。亀井邸は亀井商店の持ち物、現在のカメイ株式会社の前身で大正13年に建てられた別荘なのだそうです。別荘といってもここで様々な商談や接待をするために使用していたそうです。当時、三陸沿岸で石油を扱うために日本石油株式会社と商談して代理店の資格を得たそうです。

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中に入ると昔の塩釜港の街並みのジオラマが展示されていました。

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古いですが小綺麗な和室です。

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こちらは洋間。

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このコウモリのマークは当時の日本石油のマークです。襖の引手にも使われています。

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階段も変わっています。

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境内まで行くとちょうど11月始めの日曜日で大安だったためか七五三の着物を着た子連れで賑わっていて、また、菊まつりみたいなのも催していました。

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跡付丁公園が消滅した時

2018/6/9

平成30年6月9日10日の土日に、春日神社のお祭りがありました。
私が以前「跡付丁公園」に関して書いたブログの内容を境内で展示してくださるというので見に行ってみました。(洗濯ばさみでとめてある)
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春日神社のお祭りは市内でも小さいながらも賑やかな祭りだと思います。私が小学生の頃はよく友達と遊びに行って型抜きをしたものです。
今でも近所の子供達でいっぱいで、町内でやる祭りにしては出店も多くある。
昔ほどではないが今も子供達の賑わいは変わらない。
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境内の展示物には他にもクイズ形式で昔の春日町のことを伝えていて面白い試みだと思いました。その中で「月の湯」の入浴券の写真がありこれは現在のどこでしょう?という問題がありました。答えは現在のSENDAI KOFFEEさんのところだそうです。
私は小学生の頃の同級生で春日町で銭湯を営んでいるところの子がいました。何度か遊びに行ったことがありますが、記憶では春日神社に面する通りだったような気がします。本当はどうなんでしょうね。
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帰りに跡付丁公園の前を通ると新しい看板?
「春日町公園」と表記された看板がありました。いつからだろう?前からあったのに気づかなかったのか。
青葉区の公園課に問い合わせると2年ほど前に名前が変更になったそうです。
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そもそも以前書いたブログの「跡付丁公園」は法務局に行った際に避難場所の地図を見た時に変わった名前の公園だなぁと思い由来を調べたのがきっかけでした。
(下の写真は現在のもので当時見たものは違うかもしれませんが、法務局の下の跡付丁公園という文字が気になったのです)
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それにしても市民にわかりやすい名前にしたのだろうが、どうしてこういう名前なの?と疑問に思うことから歴史がわかる時があるので「跡付丁公園」の名前も残して欲しかったと思う。

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登米は宮城か岩手かどっち

2018/6/3

先日県北に行くことがあったので、
予てから行ってみたかった登米に寄りました。

まずは名物油麩丼の店に行って、味噌ラーメンをいただきました。(笑)
そして何より行ってみたかった有名な教育資料館「登米高等尋常小学校」にむかいました。
建物の中には昔の写真や昔の道具などが展示されていて、
また、昔の授業風景が再現されてたり、校長室には校長先生が座っていたりと当時の風景が思い浮かびます。
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その後は、少し車で移動して旧登米警察署庁舎にも行きました。
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昔の白バイやスカイラインのパトカーが展示されていて、実際乗ることもできます。
お子さんは喜びますね。
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牢獄や取調室などもそのまま残されていました。また、当時の警察は消防団も兼ねていたそうです。
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奥左隅はトイレです。
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実は登米高等尋常小学校と旧登米警察署庁舎は共に山添喜三郎という人物の建築でした。
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この人物は以前ブログに書いた三居沢の発電所の建物も建築しています。
山添喜三郎は宮城県の建築技師で県内のさまざまな建物に携わっていましたが、残念ながらほとんどが取り壊されたそうです。
色々な事情があって幸いにもこの2つが残されることになったそうです。
山添喜三郎の説明文
建築家山添喜三郎は、弘化年間に新潟県西蒲原郡角海浜村に生まれたといわれている。大工として建築を志した山添は、明治5年(1872)オーストリアのウィーンで開催された万国博覧会に、明治9年(1876)にはアメリカのフィラデルフィアで開催された米国独立百周年記念万国博覧会に参加した。この両度の洋行を機に欧米の建築について見聞を広め知識を蓄積したものと思われる。
明治16年(1883)仙台に創設される紡績会社の建築工事に当たり山添の手腕力量が高く評価され、明治18年頃宮城県の建築主任として県庁職員に迎えられたといわれている。建築技師として山添県内に多くの建築物を手がけたがその大部分は解体撤去されおり、登米町に現存する旧登米高等尋常小学校と旧登米警察署庁舎は建築家山添喜三郎の記念碑ともいえるものである。彼は仙台を永住の地ときめ住んでいたが、大正12年3月16日永眠、享年81歳とあり仙台市東十番丁天神下にある栄明寺に葬られている。
時間がなくて行かなかったのですが、
水沢県庁の建物もありました。(こちらは旧登米高等尋常小学校の近くにあります)
宮城の登米になぜ岩手の水沢の県庁が?
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ウィキペディアを参照すると、そのいきさつがわかりました。(以下参照内容)

明治4年1月12日第1次府県統合により一関県・江刺県・胆沢県が統合されて新しく一関県が作られ県庁を磐井郡一関村しました。明治4年12月13日水沢県に改称し、県庁は胆沢郡水沢に置かれる予定でしたが、実際には登米郡の登米県庁として使用される予定で建設されていた建物を水沢県庁として使用しました。
明治8年11月22日 県庁を磐井郡一関村に移転して磐井県に改称。
明治9年4月18日 – 第2次府県統合により、磐井県のうち陸中国部分を岩手県に、登米郡は宮城県に編入されました。磐井県は廃止され岩手県となり、登米はやっと宮城県域で落ち着きました。

そんな紆余曲折の途中で水沢県庁となったということだそうです。


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半子町の藤

2018/5/7

子平町の千田家にある藤で、昔伊達政宗公が朝鮮出兵の際に持ち帰った藤だそうです。

それを伊達家に仕えていた千田家の先祖がいただいて植えたのが今あるものだそうです。
身分の詳しいことはあまり語られていないのでおそらく足軽か何かだと思うけど、千田家の先祖以外にも他の人も何人かもらったのだろうと思う。千田家が特別な身分や業績があったわけではないようなので。それで今まで残っているのがここだけなんだろうなと。
小雨の降る中綺麗な紫色をしていました。
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仙台の西四番丁はどこにある

2018/4/10

北四番丁 東二番丁 はあるけれど西と南は?
熊谷屋は北四番丁通りから青葉神社方面へ少し入ったところにある。
地下鉄北四番丁駅は北四番丁通りと東二番丁通りの延長(勾当台通り)との交差点にある。
多少無理矢理な話の入り方だが、
まず北四番丁の「丁」は侍屋敷が並ぶ通りを指し、北鍛冶町などの町は商人などの住む通りを指します。
東二番丁も然りで、東に行くにしたがい三番丁、四番丁…と付けられ、北も一番丁、二番丁…とある。(東一番丁は現在東一番町変わっている)
では西二番丁や南四番丁とかもあるのでしょうか?今まで聞いたことがありません。西と南は無くて北と東だけなのです。片方だけってなんか変な感じがします。北鍛冶町に対して南鍛冶町がありますし(元の鍛冶町が北と南に別れた)、対になっていないのはなんか気持ちが悪い。
実はちょっと考えればわかることなのですが、これは仙台城のある地形を中心に考えると合点がいきます。仙台城は青葉山にあり自然の要害とも言われています。前には広瀬川、後ろには竜の口渓谷の断崖絶壁、城下町はそんな広瀬川を越えた向こう側につくられました。無論断崖絶壁に町は作れないので自然と城の東側、北側となるのです。
そして開府当初の仙台藩の城下町の一番外れは現在の市役所がある辺りです。時代とともに城下町は拡張され東へ北へ徐々に広がりそれぞれ一番丁、二番丁、三番丁…、と新しくできたのです。
これですっきりしましたでしょうか?
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「風の時編集部」より

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仙台の地名 同心町

2018/4/10

宮城県菓子工業組合兼仙台菓子組合の事務局は青葉区上杉にある同心ビルの2階にあります。

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この同心ビルという建物の名前ってよく見るとなんか変ですね。同じ心?
実はこの辺は江戸時代、同心町という名前でした。
もちろんこの地名には由来があります。
同心とは町奉行の配下にあった同心衆、つまり現在のおまわりさん的な役割を果たしていた人たちが住んでいた町だったのでこの名がつきました。
同心衆は幕府の庶務や見回りなどの警備をしていたそうです。
変わった地名にはちゃんと意味があるんですね。
ちなみに同心ビルの道を挟んでかんぽ生命保険仙台サービスセンターがあります。この建物は旧仙台簡易保険局で昭和11年に建てられたレトロな建物があります。
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またここから南、錦町一丁目にはモダン建築の、的場邸(旧石原謙邸)があります。
これは遠藤新氏の設計した建物。彼は帝国ホテルを設計したライト氏の弟子で、日本で様々な建築物を残しています。
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そんな昔の建物がある地域なのです。

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へくり沢ウォーキングマップ

2018/4/10

以前もブログに書きましたが、仙台市の八幡町界隈を昔流れていたへくり沢(蟹子沢ともいう)があります。現在は暗渠となているそのへくり沢をもっと地元の人に知ってもらおうと、この度柏木市民センター主導で案内板を作成設置しました。

柏木市民センターでは、これまでへくり沢について4回にわたる講習会から始まり、その後講習会参加者の中から声掛けした有志でへくり沢地形模型の製作、さらに昭和15年ごろのへくり沢が脇を流れる八幡小学校を中心としたジオラマ模型の製作をしました。そしてその2つの模型を活用すべく、へくり沢ウォーキングと題し一般参加者を募集して、歩いてへくり沢を案内したあと柏木市民センターにて模型を使って説明をするという事業を何回かに分けて行われました。さらに集大成としてへくり沢ウォーキングの案内板を作ることになったのです。

これまで柏木市民センターの館長さんはじめ、ジオラマ作成メンバー、関連町内会長連合会の皆様で何度か集まり意見交換をしたり、実際歩いて現場を確認したりしてようやく12月末に案内板が完成設置に至りました。

※下の看板はルート最初のもので知事公館から新坂を下ったところにあります。

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※出来上がった看板を確認するメンバー。
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※マップ作成に向けて協議するメンバー。
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この案内板は単なるへくり沢の説明だけではなく、源流地点から広瀬川への合流地点まで8カ所に設置され、それらを辿ってへくり沢の流水域の跡を散歩してもらい地域の歴史について興味をもってもらおうというのが趣旨です。

案内板の詳細はこちらで見ることができます。↓



さらに、持ち歩きに便利な紙ベースのマップを作ることになり、案内板のデザインが完成後すぐに作業に取り掛かり、年末から始めて締め切りが2月までととてもハードなスケジュールで作ることになりました。(年度末までには全ての事業が終わる予定)

まずはマップ作成メンバーで集まり主旨を理解し、どのような形(デザイン)にするか、内容は何を入れるかなど話し合われました。

マップに関しては散策ルートの表示はもちろん、中に盛り込む情報や、高低差だったり、古地図も入れたい…と色々な意見が出まして、何度も修正をしながらやっと完成にこぎつけました。

マップの大きさはA3サイズの縦に4つ折りになっていて持ち歩きに便利な形状になるよう工夫されています。現在の地図の他に大正元年の地図とも比較することができ、また下部には歩くコースの距離と標高が看板の地点地点でわかるようになっています。

裏面にはへくり沢にまつわる様々な説明や事柄が記載されていて、興味が湧くこと必至です。

もちろん紙面の制約上、このマップに書かれていることで全てではありませんが、概略がわかるように考えて作りました。

3月9日には柏木市民センターてマップ完成お披露目会が行われて関係者が集まり、東北文化学園大学の八十川先生の基調講演がありました。

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こちらは前柏木市民センター館長の岡崎さんです。一連のへくり沢の講座は岡崎館長が始めました。のちに現小野館長が引き継ぎここまで来たわけです。
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また3月17日には一般参加者を募集して、マップを実際手に持って各案内板を辿りながらみんなで歩きました。知事公館から出発してへくり沢をさかのぼりました。
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これが完成したウォーキングマップです。
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コメント (3件)

  1. 米倉 達夫 より:

    この「へくり沢」のウオーキングマップを手に入れることはできるのでしょうか?

    1. admin より:

      「へくり沢」ウォーキングマップは柏木市民センターに問い合わせて在庫があればもらえるかもしれません。

      1. 米倉 より:

        ありがとうございました。(返信が遅れて申し訳ございません)

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