仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2014年6月のアーカイブ

勉強会

2014/6/29

仙台北法人会 青年部会の勉強会に6月26日行ってまいりました。(エルパーク)

「継続的に売上を上げる組織営業の手法」という題で
講師としてプロセスマネジメント大学仙台校校長であられる沢田元一郎さんがお話をしてくれました。
勉強会には部会員も含め一般の方々もたくさん参加していただけました。

 



仕事を効率化させるためには、
きちっと明確な目標を立て、そこにたどり着くまでにはどのようなプロセスを踏まなくてはならないのか、数字などで具体的に明示し、社員に共有させ行動しやすく、継続的に続けて行くことが大切だということを学びました。

つまり曖昧な目標ではいけないということです。
かなり要約しすぎましたが、ネタバレになるのでこの辺にしておきます。

とにかくお話を聞いてて業種は違えど、わかりやすくとても勉強になりました。

会社を経営されてる方や管理職の方はぜひ聞いてみるととても勉強になると思います。
機会があればぜひ参加してみるといいです。

なお仙台北法人会青年部会ではこのような一般参加型の経営者向けの勉強会などの事業や社会貢献事業を行っております。

興味のある方は入会も随時受け付けています。
事務局はこちらから→http://www.yg88.com/

また今後の一般参加型の事業などもぜひ参加してほしいです。


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「架け橋 きこえなかった3.11」

2014/6/28

宮城県倫理法人会女性委員会の事業である映画上映会に参加してきました。

「架け橋 きこえなかった3.11」というタイトルの映画で監督は今村彩子監督です。

6月24日に仙台メディアテークにて行われたのですが、会場は満席でした!250名入るとのことでかなりの人数でした。

当日、今村監督と撮影に協力した宮城県ろうあ協会の会長をしている小泉さんのお二方がいらしていました。



映画は3.11の震災のドキュメントですが、今まで見たものとは見る視点が違いろう者を中心としたドキュメント映画でした。

実は今村監督もろう者で音の聞こえない者の立場に立って震災を見つめた映画でした。
つまり津波警報が聞こえない、テレビやラジオでは情報を得ることができないなどを様々な困難がありました。

今まで様々な震災のドキュメント番組などを見ましたが、ろう者を中心とした映像はいったいどんなものなのだろう?映像を通してきちんと伝わるのだろうか?という不安もありましたが、見終えた後むしろ今まで見てきたものよりとても素晴らしい作品だと思いました。

障害を持っている方も、しっかり震災から立ち直っているのを見て逆に自分達もしっかりしなければとも感じました。

ここでもちろん詳しく映画の内容を説明することはできませんが、ぜひ見るべきだと思いました。この映画は現在各地で上映されていますが、海外でも上映されるなど幅広く賞賛を得ています。

今後、仙台北法人会青年部会の事業でもこの映画の上映をする予定です。(11月)
その時はぜひみなさん見に来てください!


http://studioaya.com/


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資福寺の紫陽花

2014/6/27

仙台の中心部から少し北に位置する北山には昔からのお寺が多い。
その中に資福寺があります。

資福寺は別名紫陽花寺と呼ばれるほど紫陽花がきれいに咲き誇るお寺として仙台でも有名です。

 



6月末、紫陽花が咲く時期になると境内の小書院にてお抹茶が設けられるのです。


お抹茶(菓子つき)は400円。
中に入ると建物の裏側に通され、座敷を抜けると目の前がすぐ池の外廊下に案内される。
板の間に腰を下ろし池越しに竹林を眺めると心が落ち着きます。



抹茶の美味しさもさることながら
目の前に見える風景、気候、場所、
そして菓子…、この全てが揃ったとき本来の味以上に至福を味わえるのではと感じました。
まさにそんなひと時を過ごすことができました。

 


実は抹茶と一緒に出された菓子は白松さんの最中と熊谷屋のハッカなんです。

資福寺は古いお寺で鎌倉時代に山形の米沢(現在の高畠町)に建立され、のちに伊達家に保護されるようになりました。
その後伊達家とともに岩出山へ移り、
されらに仙台谷地小路(現在の東六番丁)へ。
そして現在の北山へと移ったのです。

資福寺は政宗が幼少の時 梵天丸と名乗っていた当時、学問を学んだ場所。
父輝宗が梵天丸の学問の師とするべく虎哉和尚(こさいおしょう)を甲斐の国(甲州)より招き入れ資福寺の住職とした。

教育係の喜多に梵天丸が「梵天丸もかくありたい」(自分も不動明王のようになりたい)というセリフは有名ですね。



ちなみに紫陽花と時期を同じくして樹齢320年の木蓮の花も咲いているんですよ。
花の大きさは大人の顔ぐらいもあります。

 


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仙台の赤線の歴史

2014/6/19

東照宮より東六番丁を南下して45号線までの途中、中ほどに比較的広い道が丁字路でつながっている。そこを左手に曲がると西友小田原店がある。
その曲がった先には他にドラッグストアや小さな飲食店や商店がいくつも立ち並びちょっとした商店街をなしている。



しかし、この周辺では細い横道ばかりで他に商店街らしきものはなく、突如として現れたように感じる。
なぜここだけ急にお店が多いのか。メインストリートの東六番丁通りにあるなら納得がいくのですが…。

さらに西友小田原店の先を曲がったところの道幅がそこだけ妙に広くなっていて、200mほど行くと突き当たり右に折れる細い道となる。
以前からこの場所が不思議でなりませんでした。
↓西友の脇の通り




調べてみると昔この辺りは実は遊郭があったということです。なんとも中心部から離れた場所になぜ?
仙台の遊郭の歴史について大まかに見ていきましょう。
宿場町として栄えた国分町に明治2年仙台城にやってきた官軍の要請で遊郭ができました。
仙台城二の丸の官軍が仙台鎮台なってからはより近くの常盤丁へと遊郭が移転した(明治11年)。この常盤丁は現在の仙台市民会館がある辺り。

しかし常盤丁の南側に隣接したところに陸軍の将校クラブである偕行社が設置されると場所柄ふさわしくないということで、明治27年に現在の小田原六丁目あたり(常盤丁)へ移されました。
この地域はもともと江戸時代から蜂屋敷と呼ばれ二代藩主忠宗公より養蜂を始めた場所だったため、その名がついたということです。養蜂場は嵐で崩壊してしまいましたが、地名のみが残りました。


近くに昔から住む方に聞いたところ、東六番丁から小田原六丁目へ入る入口に大きな門があったそうです。通称 大門(おおもん)と呼ばれ、夜定時になると門を閉じ、人の出入りをできなくするためだったそうです。常盤丁の周囲も道が細くなったり曲がりくねってたりして袋小路に近い形状でした。

大門をくぐった通りの北側に遊郭がありました。
遊郭があった地域は新たに常盤丁と呼ばれて、市民会館の辺りは元常盤丁と呼ばれるようになりました。遊郭街のメインストリートは現在の西友の先を曲がった通りで道幅が広くなっています。
↓東六番丁から小田原六丁目に入る入り口



現在は遊郭の面影はほとんど残っていません。
強いていうのなら、「コーポラスあさかや」という集合住宅が突き当たりにあるが、これはもともと「安積屋」という遊郭だった。ここら辺でも大きな建物で木造5階建だったとか。



遊郭の南西の外れには十二軒長屋(じゅうにけんながや)と呼ばれる長屋があり通称 やり手ババアの住居があった。

 

やり手ババアとは当時 客引きをする年配の女性のことをそう呼び、彼女らの仕事は建物の格子窓から手を出しての客引きでした。なぜ表に出なかったのかというと、公道での客引きは禁止されていたためで、建物を敷地から少し下げたところに建て、そのスペースに客を立たせて建物の中から交渉していたのです。


↑上の写真の千登勢屋は旅館ですが、当時の建物のつくりの名残なのか、少し建物が敷地より下がっていて格子窓もある。

また遊郭は遊ぶ建物と宿泊施設と別棟になっていました。例えば通りを挟んで別棟が宿泊施設。

遊郭には質屋もセットで存在していた。遊郭で遊ぶためのお金を作るために質屋に行ってお金を借りた。そのため質に入れたものをしまう蔵もあり、それに使われていた蔵は今でも残っている。



メインストリート突き当たり西側に神社があった。現在はないがおそらくこの辺りのあんぜんと商売繁盛を祈願したものではないか。 また男客で気に入った女性がいて連れていきたい場合はこの神社で 遊郭と縁を切る儀式を執り行ったそうです。参道には桜並木が並んでいたそうです。現在の駐車場。



また遊郭に遊びに行くことを隠語のようなものですが「草餅屋に行く」と言ったそうです。

遊郭は華やかな場所でもあり、影がある場所でもあります。
売れっ子の遊女がいる一方落ちぶれた遊女は東八番丁や塩釜へと場所を移し仕事を求めたそうです。
またいわゆるヤクザもいくつか同時に存在して 守料(もりりょう)や ショバ代をもらうことによって、
いざこざが起こらぬよう秩序を維持していたそうです。
遊郭では職業柄特別な病気にかかることも多くいわば専属の病院がありました。場所はメインストリートの突き当りにありました。



昭和33年売春防止法によって赤線が廃止され、その後はその建物を活かして旅館や下宿屋に転用され、地名も旅籠町となった。
現在西友がある場所もあけぼの荘(遊郭:五城郭)だったところです。
先に述べたコーポラスあさかもしかりです。
唯一旅籠町の名残を今も残しているのはユースホステル千登勢屋だけです。
当時は相撲の巡業や野球選手などいろいろな有名人が泊まったそうです。
今の風景からはまったく想像もつきませんね。
余談ではありますが常盤町は仙台で初めて電話ボックスが設置された場所の一つでまさもあります。それだけ人の往来が多かったことを物語っています。
また仙台市内では毎年市内中心部以外にも七夕飾りが各地で飾られますが小田原で飾られるのもそんな繁華街であった歴史があるんですね。

旅籠町の名は今も公園の名称として残っているが常盤丁の名はどこにも残っていない。


しかし電柱を見上げるとかろうじてその名が確認できるのだ。


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仙台・あおば祭り 30周年

2014/6/4

若葉のあざやかな青が目に映える、さわやかな天気となった日曜日の朝。
18日の本祭りは絶好の祭り日和となりました。

北山にある青葉神社には朝からたくさんの人が集まり、御神輿が出てくるのを待っていました。
この風景は今も昔も変わりませんね。

奥に見える鳥居は2011年の東日本大震災で倒壊してから四年目にして再建されたもので、
仙台・あおば祭に間に合うように建てられました。


地元二中の生徒達も行列に参加しています。

 


9時20分を過ぎて御神輿が出てきました。

 


稚児行列、みんな可愛いですね。



横山味噌醤油屋さんの前を通過して行きます。横山さんも参加しています。



いよいよ熊谷屋の前まで来ました。
青葉神社からまっすぐ南下して
毎年この辺でみんな一度休憩をとります。



女御輿ですね。



場所を移動して勾当台公園付近へ。
様々な山車(だし)が雀踊りとともに練り歩きます。



そしてなんといっても今年は第三十回記念で宇和島の牛鬼が特別参加しているのです。
目の前で見るそれはとても迫力のある動きでした。
二匹の牛鬼を神輿のように担ぎ、絡みがあり、そして我々のいる沿道に向けて何度も振り下ろされる長い首。
とても見ごたえがありました。


https://www.youtube.com/watch?v=i4X7gG9AS_U&feature=youtu.be
↑画像をクリックすると映像が見れます。


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