臥龍梅:
別名「朝鮮梅」とも呼ばれている。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、伊達政宗が文禄の役(1593)の際に朝鮮から持ち帰り、仙台城に植えさせた後、隠居所であった若林城(現宮城刑務所)に移植した。他に明治8年に分植された西公園のものと慶長14年(1609)、落慶の時に政宗公自ら手植えした松島の瑞巌寺本堂前のものと3本が有名。
といっても西公園と瑞巌寺のものは知りませんでした(汗)
その臥龍梅が北六番丁黒沢内科さんの庭にも立派に咲いていました。
上記の梅の種からか分稙したかは定かではありませんがおそらく関係してるものと思います。
黒沢家は大番士三百石だった。
「目で見る仙台の歴史」(仙台市市図録編纂委員会)より
「もう一つの廣瀬川」(佐藤昭典)より
今は建て直して昔の建物の名残はありませんが、臥龍梅は約150年間今ももとの場所にあります。
自転車置き場のところの門から一般の方も見れるようになっているので見頃の時期ぜひ行ってみてください。
ご覧になる際は木の根の周囲の土を踏まないよう注意してください。木が老齢のため根が傷みやすいのだそうです。
コメント (2件)
伊達正宗帰還の折に持ち帰った臥龍梅、とりわけ隠居所に植えられた臥龍梅(宮城刑務所内)はご覧になられたことがありますか?
瑞巌寺の臥龍梅は取材しており、なかなかスケールがおおきいものです。
矯正展の際に見に行きました。八方に大きく伸びた枝は通路の方まで及んでいました。刑務所の方の話によると天然記念物なので枝の剪定ができないとおっしゃっていましたが、実際剪定をした方が木のためにも良いのではと思いました。