先日、仙台市歴史民俗資料館主催の『小さな旅 見学「荒町界隈を旅しよう」』に参加してきました。
開始時は雨が降っており移動も傘をさしての移動。
まず最初は「森民酒造」さんへお邪魔しました。(お休みの日にもかかわらずご主人が案内してくれました)
森民酒造さんは勝山さん、天賞さんが郊外へ移転した現在唯一城下町に残る造り酒屋なのだそうです。
それにしてもこんな街中に今もあるということが不思議でしたが、ご主人のお話を聞くととても納得のいくものでした。
もともと荒町は御譜代町の一つで、本荒町(現在の一番町二丁目、元仙台 エクセルホテル東急のあたり)にあったものが現在の場所に移ったそうです。
ちなみに御譜代町とは大町など6町あり、伊達家に従い伊達郡、米沢、岩出山と経由して仙台に移ってきました。
ではなぜ本荒町から現在の荒町へ移ったのかというと、荒町には麹を作る役割があり本荒町という土地は水質が麹を作るのに向かなかったため水質の良い現在の場所へ移ったという説があるそうです。確かに荒町には孫兵衛堀(川村孫兵衛重吉は四ッ谷用水の建設にもかかわった人物)が流れており、また地名にも清水小路とあるように水源が豊富だったことがうかがえます。染師町があるのも納得、昔は孫兵衛堀で染物をしている風景が見れたそうです。
もちろん酒造りには川の水を使うのではなく地下深くより汲み上げた井戸水(この水は山からしみ込んだものが40~50年かかって濾過されたものだそうだ)を使っておいしいお酒を造っているのだそうです。伊達政宗はお酒をこよなく愛していた人ですからね、力の入れ方も相当なものだったでしょう。
森民酒造さんの建物自体は創業前からのものでもともと麹屋さんの建物だったそうでかなり古いそうです。
柱や梁には菌がびっしり着いているのでしょうね。
次に向かったのが森民酒造さんの裏手にある昌傳庵と仏眼時
二つのお寺は荒町公園でつながっており、車通りの激しい表通りから少し奥へ入っただけで何とも静かで緑豊かな別の土地に来た気分になります。(奥に見える緑が生茂っているところは森民酒造さんの酒蔵)
荒町はこのあと訪れる奏心院、満福寺…とけっこうお寺あるんですね。表の通からはなかなかわかりませんが、ちょっと奥に入るとたくさんのお寺があり、荒町はお寺の町でもあるんですね。これも新たな発見でした。
荒町のメインストリートはかつての奥州街道で町人の町、昔の地割(間口6間奥行25間 うちもそうですが)の名残が(写真左側)今でもうかがうことができます。さらには(写真右側)時代とともに半分の3間になった土地も多くあるそうです。
次に向かったのが「佐藤麹味噌醤油店」さん。
先に述べたようにここらへん一帯は麹屋さんがもともと多かった、最近まで2件残っていたそうですが、銭形屋さんが店を閉め、現在残っているのが佐藤麹味噌醤油店さん。
佐藤麹味噌醤油店さんは米沢、岩出山と御譜代町とともに移り住んだところで大変歴史のあるところです。
たくさんの麹屋さんがひしめき合っていた中それぞれが競合しなかったのか?という素朴な疑問。
店ごとに担当の地域を決めていたそうで、佐藤麹味噌醤油店さんの場合は六郷と七郷方面だったそうです。
明治35年に酒税法が施行されると一般の家庭ではお酒を造ることができなくなり、それ以降は麹の需要が減り味噌造りの方に力を入れるようになったとか。
また店舗脇にはレールが敷いてありトロッコに載せ重い材料を60mある奥の工場まで押して運んでいるそうです。
次に訪れたのは仙台箪笥の「門間箪笥店」。
中には入りませんでしたが中庭を見学しました。建物も裏の作業場もとても古く年季の入って箪笥ともどもいい仕事しているなという印象を受けました。現在も若い人から年配の人まで一人前の指物職人目指して頑張っているそうです。
そんな創業当時から変わらぬ場所で商売をしてきた門間箪笥店さんですが、道路整備事業で建物が危機に立たされているそうです。
建物は平成14年国の登録文化財に指定されたのにどうするんだろ。
あの高架の先(手前)が建物の脇に来るのですがさらに高架の脇にスペースを取らなければならず、その範囲に建物一部が重なるそうです。仙台市もなんとかしてほしいものです。
門間箪笥さんから移動して泰心院の前まで来ました。
ここの山門はなんと仙台藩の藩校である養賢堂(現県庁あたり)の門が移築されたものなのです。
屋根の上部には三引両と九曜紋が施されています。初めて見ましたがかなり大きく存在感のあるものです。昔の人はこんな立派なものをよく作ったものだなぁと感心するとともに、それが今なお現存していることに感動しました。
なぜここに移築したのかという記録はまったく残っていないそうです。戊辰戦争のころこの門が払い下げになっていたという事実だけが確認されるとのことで、旧藩の物を保存するという行為があまり公になっては困るということで記録を残さなかったのではないかとも推測されるとか…。
さらに次に向かったのは荒町で忘れてはならない毘沙門堂。
ここには北目城から移ってきた毘沙門天が祀られています…ということは知っていたのですが、
ここで相撲が行われていたのは知りませんでした。かの有名な仙台が誇る横綱谷風もここで相撲をとっていたそうです。ちなみに谷風は当時近くの七郷掘りの泥さらいをしていたところ巡業に来ていた相撲部屋にスカウトされたのがきかっけだそうです。堀の掃除をしている姿を見て屈強な青年がいると。
また昔からここは人の往来が多くコミュニケーションをとるのに最適な場所だったようで
「奇縁二天石(きえんにてんせき)」という石碑が建てられました。
よく見ると後ろに「たつぬる方」表に「をしゆる方」と書かれています。
これは尋ねる方が求人の張り紙を貼り、教える方が(こういう人いるよと)情報を貼るといった具合に使っていたそうです。それだけ人の往来が多かったということで、大正時代には仙台で最初の数少ない公衆電話がここに設置されたことからも想像できます。
最後に向かったところは…
七郷掘りから六郷掘りへと分岐するところを見ながら
舟丁にあるしだれ桜の綺麗な駄菓子屋さんへ行きました。
ここでは工場のうらにある史料館を見せていただきました。(ここは一般の方でもお店の人に声をかければ見ることができます。)
その中にある「熊谷屋」
雨も最初だけでだんだん日が差し、終わるころには暑くてたまらないくらいでした。
今回荒町をあるいて荒町の存在自体の歴史がとてもよくわかりました。そして講師をなさって下さった西大立目祥子さんの町の歴史に対する思いもすごく感じ取れとても勉強になりかつ楽しい一日でした。
<参考:西大立目祥子さんの著書>
帰りに、見学したお店のお味噌とお酒を買っていこうかと思いましたが、森民酒造さんは土曜日お休みで閉まってしまいました。でも同じ荒町の通りにあるお酒の種類が充実した及川酒店で購入できましたよ。
今回の荒町さんぽのルート
荒町の魅力
2013/6/21
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