去年は時間がなくて見れなかった臥龍梅、今年は見ることができました。
若林にある宮城刑務所の敷地の中にある臥龍梅、11月の矯正祭で見学するとこができます。
さらに今回はちょうど発掘調査をしていたので、それも見ることができてラッキーでした。
大きな門をくぐって最初に目にするのは左右に大きく手を広げたように伸び続ける松。水平に伸びた枝の長さは15m、14mと非常に長い。種類は黒松であるが土井晩翠に「蟠竜の松」と名づけられた。
(「杜の都の名木・古木」より)
その松の先には発掘調査が行われている場所。
ここは政宗公が晩年過ごした若林城でその跡に刑務所が建てられた。老朽化と地震の影響で立て直すことになったが、若林城ゆえ発掘調査が行われたという次第。そこに行くと各作業員が説明してくれました。刑務所の外を流れる六郷堀が城内にも流れていたことを示す痕跡が見つかったとのこと。26日の新聞にも載った。
若林城は仙台藩祖 伊達政宗が仙台城築城後の寛永5年に「仙台屋敷」として造営した城で、晩年の政宗公は若林城を仙台での居所としました。寛永13年に政宗公が死去すると、遺言により城は廃絶され、『伊達治家記録』によると、城内の多くの建物は寛永15年に二代藩主の忠宗公が造営した仙台城二の丸に移築されました。その後、城跡藩が営む薬園となり、明治12年に宮城集治監が置かれました。
城跡の規模は東西420m、南北350mもあり、本丸部分としては他の大名の居城にも匹敵する広さがあります。周囲には高さ5mの土塁と外側には幅約20mの堀跡が巡り、土塁や門の配置から、戦を意識した城とも言われています。
(若林城跡発掘調査 第13次 遺跡見学会資料より)
そのあと受刑者の作業場を見学、ここは家具など木工用品を製作する場所で、なかなか年季のはいった建物だ。大きな体育館のようでもあり、その天井を見ると天井裏は木の板、また、天井から鉄の骨組みのような感じのものがぶら下がっている感じ。
作業場の次はいよいよ臥龍梅。
残念ながら花の時期には見ることはできないが見事なものだった。昭和17年に国の天然記念物に指定されて以来、刑務所の人も手入れをすることができず枝は伸び放題。(写真ではわかりずらいが)柵をかなり超えて枝を広げている。しかしながら老齢で花は年々小さくなっているのだそうだ。
(「杜の都の名木・古木」より)
古城の梅
2013/11/11
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