平成28年度 奉納の会が5月10日に行われました。
これは仙台藩祖伊達政宗公を祀る「仙台青葉まつり」に合わせて、
産業や工芸の奨励を行った公の偉業を偲び
感謝の意を表するために地場産品を公の御墓、瑞鳳殿に奉納するものです。
ここ数年はいつも天気が良いのですが、今年は朝から生憎の雨の中で執り行われました。
今年は「G7仙台財務大臣・中央銀行総裁会議」が控えており、意気込みも皆ひとしおです。
熊谷屋からは仙台駄菓子の箱詰を奉納させていただきました。
2016/5/10
平成28年度 奉納の会が5月10日に行われました。
これは仙台藩祖伊達政宗公を祀る「仙台青葉まつり」に合わせて、
産業や工芸の奨励を行った公の偉業を偲び
感謝の意を表するために地場産品を公の御墓、瑞鳳殿に奉納するものです。
ここ数年はいつも天気が良いのですが、今年は朝から生憎の雨の中で執り行われました。
今年は「G7仙台財務大臣・中央銀行総裁会議」が控えており、意気込みも皆ひとしおです。
熊谷屋からは仙台駄菓子の箱詰を奉納させていただきました。
2016/5/10
宮城で先行公開の映画「殿、利息でござる!」を公開翌日の5月8日(日)に仙台フォーラムにて見てきました。
会場は朝から満員御礼で、その次の時間帯では舞台挨拶もあったようです。
仙台フォーラムは1999年に開館して、徐々に認知度も高まり今では「熊谷屋さんはどこらへんにあるの?」と聞かれるとフォーラムの斜め向かいと答えるだけでだいたいわかってくれるほどです。フォーラムさんのおかげで北鍛冶町も以前より老若男女多くの人が訪れるようになりました。
話は戻して
この映画は仙台市より北に位置する黒川郡の大和町は吉岡宿で実際あった話だそうです。
現在もその場所にある穀田屋さんのご先祖様が主人公になるのですが、
実はその右隣の酒屋さんが児玉商店さんで、先日吉岡神社の島田飴を作っているとブログに書いた兒玉(こだま)さんのお店なのです。
映画には地元の方が多数エキストラで出演しており、その中に児玉さんも参加しているとのことで、映画を見にいきました。それがなくても地元映画ですし内容も面白そうですし、キャストも宮城にゆかりのある人でしかも豪華な役者さんがずらっと出演していたのでとても興味深く思っていました。
阿部サダヲさんが主演なのですでに面白い映画という頭で見ていたんですが、
まさか涙が出るくらい感動するシーンがあるとは思いもしませんでした。
結局、エキストラの中から児玉さんは見つけられませんでしたし、セリフもあったという本間ちゃん(本間秋彦氏)も全然わかりませんでした。
「肝煎」(きもいり)、「大肝煎」(おおきもいり)という言葉を初めて知りました。
約2時間という時間は面白くてあっという間に過ぎてしまいましたが、充分楽しめました。
また吉岡に行ってゆかりのある場所をあらためて訪ねてみたいです。
とてもオススメの映画なので皆さん見てはいかがでしょうか。
そして是非吉岡宿を訪れてみてください。
吉岡宿はここです
2016/5/8
先日新聞に半子町の藤が一般公開されたと載っていたので、日曜日に見に行ってみました。
門が開く前からけっこうな人が待っていました。
この時の時点でまだ5分6分咲きといったところでしょうか。
ここの家は一般の家なのですが、政宗公時代に御大工の棟梁をやっていて、当時朝鮮から持ち帰った臥龍梅を特別に分けてもらい、今に至っています。
樹齢は約420年ほどと推定されます。
アクセスは
JRで仙山線東北福祉大前駅、
バスで子平町-北山循環で、壽徳寺前で降車となります。
2016/1/1
あけましておめでとうございます。
今年の干支は申年です。
新年早々こんな話からで申し訳ありませんが、「鬼門」というものをご存知でしょうか。
鬼門とは方角でいうと北東、その方角から鬼が入ってくると言われています。この言葉は中国から伝わり風水から来ていると言われています。また中国の北東から異民族が攻めてくるのを鬼になぞらえたとも言われています。
日本に伝わり独自の陰陽道と合わさり現在の「鬼門」となったようです。
古来、北東の方角の鬼門には守護するためのものを配置します。お城でしたらそこから鬼門の方角に寺院を配置します。仙台城に対する定禅寺や東昌寺や東照宮(お寺ではありませんが)などがそれに当たります。城下町が広がるにつれ鬼門の位置も広がったのでしょう。
東昌寺のマルミガヤの木は鬼門除けに政宗公が植えたとされますが樹齢500年なので真相は定かではありません。
2015/12/7
黒川郡大和町吉岡に島田飴というものあり。祭でこれを手に入れることができたら良縁に恵まれるという縁起物。
宮床の北側に昔、宿場町で栄えた吉岡という町があります。そこにある吉岡八幡神社での毎年12月14日に行われるお祭りで花嫁行列があり、島田飴という変わった形の飴が売られます。
その島田飴を買い求めようと前日の夜8時から並び始め夜中には50人にもなるほど各地から人々がやってきます。
毎年売切れ、今年は2400個作るそうです。
さらに今年の12月14日お祭り当日はNHKの「あさイチ」が生中継で入るそうです。
島田飴の形は花嫁の髷(島田髷)をかたどったもので、縁結びの縁起物として喜ばれています。その大きさはハンドボールくらいの大きさとでもいいましょうか。
先日11月28日に河北新報でもちょうどとりあげられましたが、
今回その島田飴の製造過程を見学させていただきました。
ボランティアの方々で作られているということで、それらを仕切って切り盛りしているのが島田飴祭実行委員長の児玉金兵衛さんです。
島田飴はもともと「白酒屋」という菓子屋で作られていましたが菓子業やめてその歴史が終わりかけた時、児玉さんがその火を絶やすものかと「白酒屋」の職人さんに特別に弟子入りをして工場の一角を借りて作ってきました。その後も場所を変え職人さんに手伝ってもらいながらも飴作りを続けて来ました。
そしてその職人さんも高齢になり一緒に作ることができなくなり、いよいよ児玉さんへの肩の荷が重くなります。
児玉さんの自宅、児玉金兵衛商店は宿場町時代から酒屋を営む歴史のあるお店です。その蔵は平成27年NHKのドラマ『独眼竜花嫁道中』の舞台にもなりました。
朝早めに飴の仕込みを済ませ10時頃からボランティアのお手伝いの方々が来て飴作りの始まりです。
まずは髷の小さなパーツを形作っていきます。
次に土台となる大きな部分を作ります。型となる石に漆を塗ったものを使用して一つ一つ手作業で形作ります。
形ができたものは同じ型に移し替え冷まします。整形する際、飴の温度が熱くてもだれてしまい、冷め過ぎても伸びにくく難しいもので、力のいる作業です。飴に関わらず菓子作りは作業しやすい硬さでは製品としてうまくないのです。
昔使っていた型は木製です。
次に冷めた土台に赤い飴を巻きつけます。これも温度が大切です。温かすぎると内側の接着部分が剥がれてきます。
続いて赤い飴でもう一つパーツを作ります。これができたところでお昼休憩。
午後からは仕上げに入ります。午前中に作った二つのパーツを本体に取り付けます。この時も赤い飴を上から取り付けて接着剤の代わりをします。またこの赤い飴の温度が高すぎると他のパーツが垂れてしまいます。
赤の角のような部分が上に向かい、白い部分が左右に水平に伸びる、これが理想的な形です。
これまでの作業の中で見ていて一番苦労するところだと思いました。
みなさん一つ一つ思いを込めて真剣な表情で作業しています。
一通り出来上がったら最後はラッピングと箱詰めです。せっかく出来てもここで終わらせては飴が湿気ってしまいます。
最後に吉岡八幡神社に寄って行きました。隣には古い武道館があり現役で使用されているようでした。
みなさん良縁に恵まれるといいですね。
2015/11/27
2015/11/2
青葉区木町通一丁目、仙台市立木町通小学校の裏側(西側)の通りに晩翠亭いこい荘という旅館がある。なんでもミシュランジャポンに載ったそうです。
他の人から見ればうちもそうかもしれないが、 なんでこんなところに旅館があるのかあるのか不思議で仕方がなかった。
旅館などの立地は温泉などの観光地あるという一般的なイメージ。街なかでアクセスも便利ですが特に観光地が近くにあるわけではない。(でも見るものはたくさんありますよ)
ここだけではない、仙台市内でもなんでこんなところに旅館がと思うところはよくあります。
話は変わりますが、
白松がモナカの大学病院前店が白松がモナカの第一号店と聞いています。
ではなぜなぜこんな場所に始めたのか?
店名の通りすぐ近くには東北大学の付属病院(通称:大学病院)があり、
お見舞いに行く人がそこでモナカを買って持っていくということを見込んでということは
簡単に察しがつきます。
下の写真2枚は道路拡張前の白松がモナカ大学病院前店です。
おかちゃんさんのブログよりお借りしました。
詳しく白松がモナカの社長に尋ねたところ、戦後初めての店はやはり大学病院前店(現在より北にひとつずれたところ、北四番丁大衡町線の道路拡張のため現在の位置に移動)で、
それ以前は、同じ場所で下宿屋を購入して旅館として営んでいたそうです。
実は昔は、いこい荘 の近くに森末旅館がありました。ここは森公美子さんの実家でのちにホテルニューモリスエ、そしてホテルセントキャッスルと名前を変え現在ではマンションが建っています。
その他にも本田旅館(確か小学生の頃まであったと思います) や、
大盛館などの旅館が数軒ありました。
昔は交通の便が悪いく、遠方からの患者等は時間をかけてやってきて遅い時間に着き、その晩は病院の近くで泊まり次の日朝早く病院に向かう人が多かったということです。
2015/7/25
奥州七福神の大黒天が祀られていることでも知られる喜伝山秀林寺は輪王寺の斜め向かい、
ちょうど北山トンネルの出口にあります。
その特徴的な山門の形は竜宮門です。
よく見るとその門の裏側に大きく立派なハスがふた鉢植えてありました。
蓮の花を間近でマジマジと見るのは初めてかもしれませんが、
よく見ると本当に蓮の実ってこういう形しているんだなぁと感動しました。
まだ蕾はあるので、これから見頃だと思います。お近くを通る際は是非足を止めて眺めてはいかがでしょうか?
2015/6/10
北山羽黒神社は,仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長7年(1602)に福島県信夫郡より分祀してきたものと伝える。仙台市登録文化財となっている北山羽黒神社境内社は,かつて当社の拝殿であったが,昭和45年(1970)の新築の際に移築され,境内社として残されたものである。入母屋造(いりもやづくり)桟瓦葺で,桁行(けたゆき)三間,梁間(はりま)二間,三方に縁を廻らし,一間の向拝(こうはい)が付く。江戸時代後期の建立と思われる。(仙台市ホームページより)
2015/5/25
今年は伊達政宗公の長男・秀宗公が、伊予宇和島に入って400年の今年。宇和島市で開催されている「宇和島伊達400年祭」を記念して、宇和島市民からの公募で選ばれた伊達秀宗公と家臣が登場しました。 ですが仙台市立第二中学校の生徒が神輿渡御の列に参加していてずっと彼らの追っかけをしていましたので、他の山鉾等はほとんど見ませんでした。 中学生の生徒達は朝の7時半に近くの小学校の体育館に行き、神輿の方々と一緒に着替えて8時には青葉神社へ移動して準備をしていました。
青葉まつりの警備は仙台青年会議所の皆様がボランティアで行っているのです。
いつもご苦労様です。
出発は9時20分頃、大太鼓を先頭に青葉神社から行列が始まりました。 通町の検断屋敷の前を通り 横山醤油前を通り フォーラムから熊谷屋あたりで1回目の給水休憩。 その後二日町方面へ向かい、お神輿は加藤八百屋の前で神主さんに祈祷してもらっていました。 生徒達は途中で別れ市役所で30分程度昼食休憩をとったあと、一番町商店街を練り歩きました。 ここからは武将の行列も加わり間近で見ることができるので意外といいです。
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その後藤崎デパート前で休憩したあと、青葉通から東二番丁通を北上して、三越のところで定禅寺通に曲がり晩翠通で折り返して市役所がゴールです。約2時頃、ここから小学校に戻り着替えて解散。 朝早くからかなり長い道のりをご苦労様! この行列に参加できるのはこの学校の特権です。疲れたけどいい思い出になったことでしょう。
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