仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2012年12月10日のアーカイブ

仙台の大晦日は年取り魚にナメタガレイを食べる

2012/12/29

仙台では大晦日の夜に子孫繁栄に縁起が良いと子持ちのナメタガレイの煮つけを食べる風習があります。
ナメタガレイは北海道ではババガレイと呼ばれ、南の方ではインドガレイとも呼ばれるそうです。
昔から大晦日になると食卓に出ていたので、そう不思議にも思わなかったのですが、他の地方の方から見ると不思議に映るようです。
とは言っても地方によってはまた異なる年取り魚があるみたいです。
仙台人としてはあたりまえのナメタガレイ、ではいつごろから食べられるようになったのでしょうか?
実は江戸時代から戦前にかけて、仙台の正月の魚(年取り魚)はタラだったのです。
意外でした!
正月に向けてタラが出回らないことを心配し、調査を命じた伊達政宗の手紙が残っているそうです。
また、戦前の仙台の年中行事に関して「正月にタラ汁は欠かせない」と記した文献も残っているそうです。
(仙台城下「町人列伝」参照)
それではなぜタラからナメタガレイに変わったのでしょうか?
明治三陸地震(1896年-明治29年)の影響で、ナメタガレイが大量に取れるようになり、庶民が食べる年取り魚として定着した。商家では大みそかは忙しくて魚を焼いている余裕はないので、冷めてもおいしいナメタの煮魚が重宝されるようになった(朝日新聞より)ということだそうだ。
ふ~ん、意外と最近なんだぁ!?
それともう一つ、正月の御雑煮に欠かせないのが焼きハゼの出汁。
これも明治以降に広まったそうです、とはいえ江戸時代の仙台城では食されていたようで他に干し鮑や干し海鼠、伊勢海老と豪華な食材を使用した雑煮だったようです。
当然庶民にはまねのできないことで、せめて焼きハゼの出汁だけでもということで少しずつ広まっていったのかも知れませんね。
いずれにせよ、風習は歴史とともに変化していくんですね。
ナメタガレイも焼きハゼもじゅうぶん歴史はあります、このような風習は続けていきたいですね。
そしてなぜそうなのかを知るのも大事だと思います。

 


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北山の羽黒神社と青葉山の名の由来

2012/12/10

伊達政宗が築城した仙台城のある青葉山。
青葉山という名は実は現在北山にある羽黒神社と関係しているのです。
お話に入る前に言葉の意味を確認しておきましょう。
別当寺(べっとうじ):神社を管理するために置かれた寺のこと。
神社と寺がセットなんて変ですね、これは神仏習合が許されていた、つまり土着の信仰と仏教の良いところをとって新たに作り上げた信仰が一般的だった時代の話です。
政宗が仙台城を築城の際、
慶長七年(1602)残月亭の南脇、本丸と二の丸の間(植物園内)に、羽黒神社と別当寺(青葉山)・寂光寺(じゃっこうじ)が建立された。
慶長5年(1600)の松川の戦いにて上杉景勝と伊達政宗が戦った際、福島の信夫山(しのぶやま)にて寂光寺の法印慶印が劣勢に立たされた政宗を寺にかくまい、夜半に裏手から仙台に帰えらせたといわれている。
その後寺は焼き払われ、山伏や宮人は政宗とともに仙台へ移り住んだ、
このとき、仙台城の前身地に青葉山寂光院・羽黒大権現を移したのです。
この「青葉山」は「せいようざん」と読み寂光寺の山号であった、この山号より名をとって
「青葉山(あおばやま)」と称すようになったと言われてい
ます。

その後寛永15年(1638)二の丸が造営されるころまでその地にあり、羽黒神社とともに北山に移転した。
北山に寂光寺が移転したのは慶長7年という記載が多いが寛永15年あたりのほうが年数的にも妥当と筆者は考える
昔の地図にある(北山移転後の)寂光寺。右端は輪王寺でその脇の古海道は中山街道または秀衡街道と呼ばれ現在の北四番丁大衡線の一部分です。

現在の地図(寂光寺があった場所:詳細はわからないので想像です)

(クリックして拡大)
現在では羽黒神社のみ残っています。

 


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コメント (1件)

  1. 横田や・横田 より:

    「寂光寺」検索していましたら出会いました。
    最近、寂光寺の参道がわかりました。横田や斜め向かいのピンク色のマンションが建っているところ。その北側に現在細い道がありますが(羽黒神社の脇までクランクして登る)その東側に立っている住宅1件分が元参道だったところと、むかしから参道わきに住んでいた方(90歳ぐらい)に1昨年聞きました。
    私も、今のクランクした道が参道の一部と思い込んでいましたが、まったくその東側だったとは・・。そう聞いてから見ると確かに今立っている住宅は、参道の上に立っているように見えてきます。

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仙台市内で鮭の遡上が見れるんですか?

2012/12/1

先日KHBの「ナマイキTV」で放送されていましたが、牛越橋の上から鮭の遡上が見れるんです! 私も12月1日(土)に見てきました。 うわぁー!いるいる‼ ↓拡大 岸の方には力尽きた鮭の屍もある。 なぜかこんなところに卵を発見! よくここまで頑張って戻ってきてくれたね。 (左上のは死んだ鮭です、川の中をよ~く見るとたくさんの鮭が並んで泳いでいるのが見えます) 私も以前参加したことありますが、ここからもう少し上流、賢淵手前あたりから鮭の稚魚を毎年放流しているのです。 何も考えずに放流したけど実際こんな街中の川に戻ってきた鮭を見て感動しますね。
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