仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:学校

東北学院高校、甲子園で初出場初勝利おめでとう!

2021/8/12

今年の学院は違うぞ!

東北学院関係者の友人から聞いた言葉です。
「今年の野球部は強いらしいぞ。甲子園行けるかも。」
まだ地区大会が始まる前に言っていました。
地区大会の結果を見ながら、
うん、確かにこれは甲子園に行けそうだと私も思いました。
私が現役だった頃も、素晴らしいピッチャーがいて彼が「みんなを甲子園へ連れていくんだ」
とういう話を聞いたことがあった。
しかし、その年はいいのはピッチャーだけで、
さすがに甲子園は甘くなかった。
地区大会のどこまでわからないですが、4回戦くらいで敗退したのかな。
昔の成績を見ると地方大会で準決勝まで行った年は何度かあるみたいですが、
年によって戦力にばらつきがあるようです。
これまで甲子園とは無縁だった東北学院高校の甲子園行が決まったときは嬉しかったですね。
そして甲子園開幕二日目の8月11日第4試合。
試合前に学校への寄付を済ませて、ラジオやテレビで観戦しながら仕事をしていました。
相手はあのイチローの出身校愛工大名電。
強敵相手に序盤から押し気味の学院の攻撃。
なんか行けるんじゃないかと思ってきました。
試合が動いたのは3回裏、一気に3点を取りました!
ツーアウト満塁からタイムリーで3点!
次の4回表に1点返され、
3塁2塁で一打同点のピンチ。
なんとかその回をしのいでくれました。
冷や冷やしました。
2点差ですが、
ピッチャーや守備、それから攻撃にも勢いがあったので
ある程度まだ安心はありました。
5回に1点を追加、
さらにタイムリースリーベースヒットで1点追加して5対1!
これでさらに安心。
7回8回に1点ずつ取られ、
さらにはレフトの山田君が足を負傷するなど
ここにきて不穏な感じがしてきました。
幸い山田選手は試合に復帰し、そのまま続行しました。
学院としてはさらに追加点を取って安心したいところですが、
なかなか取れず。
でも、攻撃は毎回かなりいい感じで、ほとんど塁に出ていました。
着実にアウトを取って、
最後、9回表を抑えて初勝利!!
おめでとうございます!
なんていうか、
母校が甲子園で初勝利って、
こんなに嬉しいものなんだって初めて感じた気持ちでした。
この一勝が、優勝にも匹敵する喜び。
もちろん2回戦以降も 頑張ってほしいし、
引き続き応援します。
感無量です!
今年一番のニュースでした。
いや、まだまだああるはず!

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自分づくり教育アワード

2018/8/3

第3回仙台自分づくり教育アワードが8月10日エレクトロンホールで行われ、功労者の事業所への表彰を受けに行ってきました。

お盆の非常に忙しい中、また天候の不安定な中向かうと、急激な土砂降りになり、すぐ近くなのにもかかわらず車に乗って向かうも、今度は駐車場がどこも満車で入れず、結局会場から離れたところに車を駐める羽目になってしまいました。

来賓の中には郡仙台市長を始め各関係者が並び、その中に仙台青年会議所の理事長代理として青木君がいました。

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表彰は代表6名で賞状を壇上で受け取り、その中には卸町の会として石井君がいました。(向かって左端)

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表彰式の後は事例紹介として

仙台市立三条中学校と同じく荒巻小学校および通町小学校の小中9年間通した自分づくりの事例や、

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仙台市立仙台商業高等学校とサイダーで有名なトレボンさんとの共同商品開発した「仙臺サイダー」について、
当会長である山口哲男氏によるコーディネートで紹介されました。

 

文部科学省初等中等教育局児童生徒課調査官の長田氏の講評
(スライドの左下に私写ってました)

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仙台市では各地域の小学校中学校と連携して弟子入り体験や職場体験などを子供達にさせることによって、将来の仕事への興味を持たせたり、仕事選択の参考またはよき経験となるようにし、就業率を高めていこうという狙いがあります。

熊谷屋でも木町通小学校の弟子入り体験と仙台市立第二中学校の職場体験を受け入れています。(この2校に限らさせていただいていますが)

これから将来仙台市の地域活性化か今の子供達にかかっています。また優秀な人材が地元で活躍していって欲しいです。


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オリンピック バドミントン金メダルは伊達の精神で勝ち取った!

2016/8/27

2016年、リオオリンピックのバドミントンダブルスで見事金メダルを獲得したタカマツペア、おめでとうございます。

高橋選手と松友選手といえば仙台市にある聖ウルスラ学院英知高等学校出身ですが、
その一本杉キャンパスの敷地はもともと伊達伯爵家邸宅がありその建物を最初使用していました。
伊達家とゆかりがあるということもあり今も授業で、伊達藩作法を学んでいるそうです。



その伊達家伯爵家邸宅について書きます。

もともと家臣佐々氏のもので、最後の第14代伊達藩主 (30代当主)伊達宗基が版籍奉還以後仙台城より移住する際に
家臣佐々氏の下屋敷を買収したものです。
聖ウルスラ学院て使用していた建物は
その後、邦宗が明治38年(1905)に建て替えたものです。
ちなみに宗基は慶邦の四男ですが、
同じく慶邦の七男31代当主邦宗は養種園を敷地内に開き(現在若林区役所の敷地南側)昭和の終わりまでありました。現在は農業園芸センターへ移転しています。私も幼い頃親に連れられてチューリップを見に行った記憶があります。

建て替えられた屋敷の設計は山添喜三郎によるもので、山添喜三郎という人物は新潟出身の船大工で初めて欧米に渡り西洋建築を習得し、明治5年に開催されたウィーン万博博覧会の日本建築の設計監督を任されたました。 他に三居沢発電所の建物やや登米尋常小学校なども手がけたというすごい方です。

伊達家伯爵邸の建築資材は樹齢200年以上の上質の杉材が用いられ重厚な造りとなっています。
昭和22年、昭和天皇の行幸の際に宿泊所となり、一時知事公館ともなりました。
聖ウルスラ学院の施設として使われるようになったのは昭和58年になってからです。

その後仙台市に寄付され、
現在その建物は旧伊達邸として茂庭の鐘景閣に解体復元され、今もなお見ることができます。

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地元地域の歴史、再確認。

2014/10/23

仙台市立第二中学校の二中会研修交流委員会主催の(二中保護者対象)講座が10月23日に開かれたので参加してきました。

講師はへくり沢でもお世話になっている柏木市民センターの岡崎修子館長。
岡崎さんは以前「城下町仙台を歩く」という歴史的町名のハンドブックの監修に携わりその執筆もなされたそうです。(当書籍は仙台市役所1階の市政情報センターにて購入可)
中学校の視聴覚室を借りて1時間半ほど行なわれました。
参加者9人



内容は「私たちの住むまちの歴史あれこれ」と題しまして仙台藩開府からまちの簡単な変遷とともに学区内を中止に城下町のつくりや昔の町名について話していただきました。
特に現在の町名と違い昔の町名には意味があり、例えば材木町は材木屋の町で木町通は木町(材木町)に通ずる通りという意味など、なるほどと思うことがいろいろあり豆知識が増えました。

お話が終わった後も保護者から様々な質問がありとても有意義で、参加した皆さんはきっと満足して帰られたと思います。
というより好奇心を掻き立てられもっと聞きたいのに時間が足りず、むしろ満足に達しなかったのではないでしょうか。

これをきっかけに、今回の話を家で話したり、知人に話したり、興味を持ってさらに知ろうとしたり、広がっていってほしいと思いました。

自分の子が通っている学校(二中)の周囲には面白い歴史がたくさんあるっていうことを知ることができたはずです。
もちろん、二中に限らず自分の住んでいる地域にはたくさんの興味深い歴史があり、実はそれが教科書に載るような大きな歴史につながるものだったということもあるはずです。

今回参加した保護者の人数は9名という少人数でちょうどよい人数でした。
もし今後もこのような会を開いていただけるのなら、間違いなく参加者の人数もさらに増えると思います。

以前ブログで菅克復のお話をした時、小学校で仙台の偉人について子供達が教わったと書きましたが、小中学生が郷土史を教わるというのはとても大切なことだと思います。
親達についても同じです。昔を知る人から聞いて、また子へ伝えていく。
自分とその土地の関わり、郷土愛が培われる。
技術が進歩したこの世の中、若い人は新しいものだけがいい、昔のものは堅い古くさいという考えをしがちですが、今までの歴史があって今の自分があるということを忘れてはならないと思います。



今回の講義は、今まで私が受けてきたものと違って特に素晴らしいものだと思いました。なぜなら今までのものはもともと興味があり、あるていど知っている方が参加していましたが、今回は興味は無いわけではないがこういった歴史になかなか触れられない方が参加してくださったので大きな意義があると思います。

岡崎館長、二中会研修交流委員会委員長、設えありがとうございました。


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八重の桜

2013/6/27

仙台に二華高(にかこう)という学校があります。
宮城県仙台二華中学校・高等学校 、2010年に男女共学、中高一貫となり宮城第二女子高等学校から名称を変更したのですが、新しい校名の由来はなんなのか、一見しただけではよくわかりません。
二華校の校舎には「「SEEK TRUTH AND DO GOOD」という文字が刻まれています。

二華校は最初明治37年私立東華女学校として設立、現在のひとつ前の宮城第二女子高等学校の「二」と最初の「華」をとって二華校とつけたそうです。
では東華とは…、(現在仙台市立東華中学校という名前の中学校はありますが)
明治19年に富田鐵之助らによって設立されたミッションスクールの草分け的な学校でした。
富田鐵之助がアメリカ留学中に国際感覚を養う教育の重要性を感じ設立したものであり、
当時の宮城県知事松平正直が万葉歌人大伴家持の「皇家の御代栄えむと東なる 陸奥山に黄金花咲く」の和歌から「東華学校」と名付けた。
(※「花」は「華」ではないかと思うのですが、いろいろ調べても「花」でしたね)
(※後世では花は命の短さの隠喩もあることから、永続的な繁栄を願って県知事が意図して「華」に置き換えたのではないかとも考えられる。←twitterのフォロワーさんに教えていただきました)
場所は清水小路のJT仙台跡地のところでした。
東華学校の校長には同志社の創立者の新島襄が就任。実は新島と富田は同時期にアメリカ留学をしておりその縁もあり同志社設立の際は富田が支援し、また仙台に男子中等普通教育のための英学校を創設したい相談され東華学校の設立に至ったというわけです。(おおまかな流れですが)
東華学校からは一力健治郎など著名な方々を輩出いたしましたが、帝国憲法のもと国粋主義、欧化主義への反動と明治23年の新島襄の死もあり残念ながら設立5年後には閉校となりました。
その後東華学校の生徒や学校設備は宮城県尋常中学校(現在の宮城県仙台第一高等学校)に編入され、名称は私立東華女学校(現在の宮城県仙台二華中学校・高等学校)へと受け継がれていきました。
東華学校の直接的な流れは宮城仙台第一高等学校ですが、名称と先に述べた「SEEK TRUTH AND DO GOOD(真理を求め善をなせ)」という新島の教育理念は宮城県仙台二華中学校・高等学校へも受け継がれているといえるでしょう。
富田鐵之助が新島襄と同時期にアメリカ留学していたということが縁で、新島襄が当時政治経済の面であまり中心的ではなかった東北の仙台に目を付けた、おそらく現在までの仙台の発展に少なからずこの学校が寄与していたのは間違いないと思います。
そして今や大河ドラマでも知っている方も多いと思いますが、その新島襄の婦人こそが八重なのです。新島襄の日誌によると東華学校の開校式には新島八重も仙台に来て同席したそうです。そんなところでタイトルの「八重の桜」と無理矢理こじつけてみました。
現在仙台JTビル前には東華学校遺址(いし)碑がありますが、元々は現在の場所より300m北西にあったそうです。

「富田鐡之助」と「新島襄先生」の文字が刻まれています。

ちなみに現在の東華中学校は直接的にはまったく関係ないのですがその学区に一高とニ華高があり、その名声と伝統とを鑑にしたいとの願いを込めて「東華中学校」と名付けられそうです。


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