仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2013年9月のアーカイブ

ヘくり沢(3)~ ヘくり沢と土橋、その周辺の変遷

2013/9/27


*寛文4年(1664)の城下絵図
寛永20年(1643)ヘくり沢に土橋を作り土橋通に繋がる。このことで北三番丁と中島丁が通じた。
明暦2年(1682)土橋から十二軒丁へ通じる道、切通が作られる。

*元禄年間初期(1690年前後)の城下絵図
この地図を見るとさらに中島丁辺りからヘくり沢沿いに南下する道ができている。
元禄8年(1695)土橋から南下する道、そして川内へと渡る橋が架けられる。これが澱橋だが現在のものとはかなり異なる。そして橋の北から東へ曲がる道を作った。(新しくできた坂ということで新坂と名付けられた。新坂通はここへ通ずる道)

*寛政年間初期(1800年頃)の城下絵図(仙台市博物館所蔵)

*明治26年(1893)の地形図
明治10年~20年、土橋と切通を改修して北三番丁と十二軒丁をまっすぐに繋げて、澱橋から土橋に繋がる道をこの道に丁字になるように接続させた。
これがほぼ現在の形になるのです。
ちなみに元禄8年に架けられた澱橋はその後流されたりしながら改修を重ね土橋から中島丁に続く道の延長に架けられた。(明治26年の地形図参照)しかし現在はほぼまっすぐに澱橋へと続いている。(昭和39年「仙台市大鑑」参照)その名残として昔の橋げたが今もあります。


*昭和39年「仙台市大鑑」より
昭和14年(1939)市電を通すために北四番丁を西に伸ばして八幡町と繋げるために、ヘくり沢を暗渠にする工事が始まり、昭和15年に八幡町まで道は繋がった。
第二次世界大戦後、瓦礫を用い土橋付近のヘくり沢を埋め立てて、昭和30年代にはそこに住宅が建てられた。
現在、土橋から土橋通へとまっすぐ道をつなげる工事をしています。これがつながれば正真正銘「土橋通」になりますね。

9月12日に行なわれた講座は無料で定員無しだったこともありかなりの人が集まりました。市民センター側も予想以上だったようで急遽テーブルと椅子を用意しましたが、それでも間に合わず一番後ろは椅子のみで、60人くらいは集まったでしょう。年代は私よりずっと先輩の方がほとんどでした。
約2時間菅野先生のお話を聞けて有意義な時間を過ごせました。また講座後に菅野先生とお話しできてよかった。

↑まだ余裕がありますがこれは30分前です。

菅野正道氏
へくり沢の地図

最後にへくり沢の暗渠を歩いていました
下の画像をクリックすると映像が見れます。


コメント (2件)

  1. 松井秀明 より:

    はじめまして、松井といいます。今年2月27年ぶりに仙台に戻ったものです。朝通勤時に土橋ー澱橋を通るようになり、その道の曲がり、起伏が懐かしく、そして桜の土橋の風景に思わず目を奪われていました。そのたび「きっとここは、江戸時代からの道に違いない!誰か由来を教えてはくれないだろうか・・・」と思っていました。由来が大変よくわかりました。ありがとうございました。
    改めて仙台の町を歩くと、戦災で残った地域の道はとても味わい深く感じています。気になる箇所がいくつかあるので、今度は私も自分で調べてみようと思います。本当にありがとうございました。

    p.s お菓子のほうも食べようと思います。

    1. admin より:

      松井様 コメントありがとうございます。仙台には一見不思議な場所がたくさんありますよね。ちょっと視点を変えるといろいろなことが見えてきます。これからもよろしくお願いします。

コメントする 

へくり沢(2)~ だから土橋通なのです

2013/9/27

現在北四番丁から続く国道48号線は八幡町へと向かい大崎八幡神社を横切りその先へと続いているが、実は以前は土橋通で寸断されいたという。繋がったのはわりと最近(?)で、市電が走る昭和になってから。
へくり沢は仙台開府当時から深い渓谷を成していて、開府当初はそこで城下町が終わっていた(城下町との境界線)可能性が高いということだそうです。
それだけ沢を越えるのには難所だったのです。
へくり沢を越えるには当初は沢の浅い上流の方の覚性院(春日神社辺り)を通っていたそうです。
今も名残として石橋が残っている。

しかしそれでは仙台城へはかなり遠回りだったのでへくり沢に土橋を架けることにしたのです。
さらにその後に土橋から十二軒丁へ通じる道を作った。これは切通と呼ばれる。(切通:切通しとは、山や丘などを掘削し、人馬の交通を行えるようにした道である。Wikipediaより)
しかしこれらの道は現在のそれとは異なっています。
土橋が造られた当初そこへ通じる道は現在のようにクランク状ではなく緩やかなカーブを描きながら現在の土橋通へと繋がる。だから土橋通なのです!

【*寛文4年(1664)の城下絵図】
土橋通や切通、そしてまだこの頃存在しない淀橋など幾つか時代とともに変遷を遂げて現在に至っているのです。
へくり沢が開渠になって広瀬川にそそぐ


コメント (0件)

コメントする 

へくり沢(1)~土橋通りの土橋ってドコ?

2013/9/26

土橋通とは厚生病院の西側から国道48号線を横切り北西へ続く道。
仙台では○○通とは○○に通ずる道という意味。では土橋とはどこを指すのか?
土橋とは澱橋へ向かう道の尚絅学院高校の少し手前の道を指します。この部分はよく見ると通りの両端が崖のようになっていて、尚絅学院高校の裏へと続いている。東側の下方には住宅がある。
これは昔へくり沢という深い沢があって、それを越えるために昔の人が樋を通し土手を盛って作った橋が土橋なのです。

あぁ なるほど…って
いや待てよ、しかしながら土橋通は厚生病院の西側で北三番丁にぶつかると鋭角なクランクがあってから土橋へと続く。しかも北三番丁からさらに続く道に対し丁字に土橋からの道がぶつかっている。

とても土橋通が土橋へと素直に至る道とは思えません。さすがに無理がありますよねぇ。
そんな折、先日、柏木市民センターで「へくり沢を訪ねて」へくり沢-歴史な話と題して仙台市史編さん室の菅野正道さんを講師に迎えて講座が開かれたので参加して、その中でへくり沢と土橋についてお話を聞く機会がありました。


コメント (0件)

コメントする 

むすび丸参上!祝 昇進!

2013/9/10

こんにちは
今年の7月まで販売していた「むすび丸」(上生菓子)は以前お伝えしたように、Facebookページの「いいね!」が300になるまで出さないと申し上げましたが、先日のニュースにあったようにめでたくむすび丸係長が課長に昇格なされたということで、記念しまして特別に100個限定で、しばしの間、一時的に販売を再開することになりました!(9月10日より)
この機会にぜひよろしくお願いします!

↓河北新報平成25年9月6日朝刊より


コメント (0件)

コメントする