仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

四ッ谷用水の上流を訪ねて パート2

2013/11/1

北堰をあとにまたバスで移動して聖沢へ。
ここは聖沢をまたぐために木製の箱樋(水路橋)が架けられた。現在はコンクリート製で上の三つのスリットは降雨などで水量が多くなった際に余分な水を流すための穴。

写真はカーブする旧道を撮ったわけですが、実は昔直角の道だったとか。ガードレールの向こう、人がいるあたりが昔の道でその下を四ッ谷用水が通っている。

上の写真の先にあるのが池の跡。鬱蒼と生茂っているが現在は水はありません。昔の第三隧道出口付近にためられた防火用に使われた溜池。その証として「防火用水」という標柱がある。

「防火用水」という標柱はだいぶ古いもので以前は池の脇に立てられていたものが朽ちて倒れていたそうです。それを近くに住んでいる方が現在の場所に立て直したそうです。「火」という文字は確認できる。

さらに向こう側には隧道を掘る作業用の穴、「ズリ出し口跡」がありましたが、バスが停車することができず写真には撮れませんでした。
そしてさらに向こう側、八幡研修センター(旧文理ランドスケープ園芸専門学校)の敷地が昔の沈砂池だそうです。現在は水はありません。
そして今回いろいろ知った中でおもしろかったもの、それは「四ッ谷用水湧き上り」というものです。
下の方から隧道を通って上へと流れていく、まさに湧き上っているかのような場所です。実際のものはすでに無くなっているので確認することはできませんが、昔を知る方から聞いて書いた想像図を見ると、なんとも不思議な作りです。逆サイフォンの原理とも言われていますが、私にとって謎が多いです。なぜなら四ッ谷用水はそもそも河岸段丘に沿って緩やかな傾斜を利用して仙台の町へ流していたのになぜこのような構造をつくったのか?出口の作りがアーチ型だというので明治時代に造られたらしいが、謎は多い。

イメージ図から場所は賢淵あたりの国道48号線と弘法山の間あたりのようです。


この後は柏木市民センターで昼食ととり、休憩後ワークショップとして四ッ谷用水に対する意見交換をしました。四ッ谷用水の存在を広めるにはどのようにしたらよいかなど。
また、東北大雨宮キャンパス(農学部)が青葉山に移転するにあたりその後の土地活用の一つとしてなんとか四ッ谷用水に関するものができないだろうかなどという話も交わされました。北六番丁を本流とする四ッ谷用水はちょうど農学部のあたりを通っているのです。ぜひ有効利用できたらいいなと思います。
なんだかんだでまた長くなってしまいましたが、
今度は自分でまた行ってみて、じっくり見てきたいと思います。
今回見たところ


コメント (2件)

  1. さなえ88 より:

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    今日もダッシュでくるみゆべしを15個買いました!只今名古屋への帰路ですが我慢できず一つ食べました(笑)
    相変わらず美味しいです。
    仙台の歴史も楽しく拝見しています。

  2. kumagai-ya より:

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    さなえ様 いつもありがとうございます。またお越しの際はよろしくお願いします。

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