わが家には中学生の娘がいましてテニス部でよく青葉山 テニスコートまで車で送っていくことが多いのですが、 駐車場の隅に目をやると何やら 鳥居がありました。それは細く小さな鳥居で、奥にいくつか同じものがあり、朽ちてるものもありましたがちょっとした京都の伏見神社みたいにも思えました。(写真は夏に撮影したものです)
草木が生い茂って少し気味の悪い感じでしたが 入って小径を辿って行くと小さな祠がありました。その左脇には石碑があり、そこには「五島馬頭観世音」と刻んでありました。
五島馬とは一体なんだろうか。
あとで調べたところ、五島馬とは伊達政宗公の愛馬だそうです。
小牛田の後藤家より政宗公に献上した馬で後藤家から献上された黒毛の馬だったので後藤黒(「ごとうこく」と読むのか)と呼ばれた。後藤黒に政宗公が乗り、戦に出ると必ず勝つと言われるほど名馬だったそうです。
ところが大阪の陣にはすでに老馬になった後藤黒は連れて行かれませんでした。それを嘆き後藤黒は本丸の崖から身を投げたそうです。
政宗公は後藤黒が身を投げた崖の下の蛎崎(現在の川内追廻)に葬り馬上(うばがみ)蛎崎神社を建て追廻馬場の守護としたという。
これが青葉山テニスコートの脇(青葉城のすぐ下)にある神社だったのです。
その後明治4年に、片平丁の良覚院跡に移転して、五島墓(ごとはか)さんとして親しまれ、また子供の馬脾風(ジフテリア)除けの信仰があるということです。(片平の馬上蛎崎神社境内説明板より)
後藤から五島へとどこかで変わっていったのでしょうね。
ところで青葉城にある伊達政宗公の騎馬像の馬はもしかすると五島馬がイメージなのかもしれませんね。
ということで今年は午年、馬にちなんだ話題を書いてみました。
伊達政宗公の愛馬
2014/1/1
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