昭和24年度版復刻JTB仙台市街圖の地図を見ていると大学病院の敷地にヒヨンノ木という表記があった。なんとなく見過ごしてしまうような小さな字ですが、ちょっと待てよ、なんで木の名前がわざわざ地図に載っているのか?と疑問に思いました。何か理由があるはずそして今もあるはずと確信しました。
しかし何度地図のあたりを歩いてもそれらしき木も看板も無い。
もしかしてもう無くなってしまったのか?東北大学に問合せたら教えてくれるのか、などとしばらく考えていました。
東北大学付属病院の脇の通り北四番丁-大衡線の通りは毎日通る道。車からよく見ているはずの木。ふと気が付いてあの木はずいぶん大きな紅葉の木だなぁ、近くから見てみたい。
と思い普段車で素通りするところを車を降りて近くに行ってみました。なるほど立派な木だ。これなら仙台市の保存樹木にでもなってそうなものだ。よく見ると保存樹木の看板が傍に立っていた。やっぱり…。
しかしそこには「紅葉」ではなく「ひよんの木」の文字が記載してありました。まさかこれが 紅葉ではなく「ひよんのき」?
…ではなく、隣の木が「ひよんのき」だったのです。
地図の位置とはずれているので移動したのかもしれませんがおそらくこれがあのひょんの木でしょう。
大学病院の歴史とこの木がどのように関係しているのかはわかりませんが、同じ歴史を刻んできた木であることには間違いありません。
今さらですが、「ひょんの木」という名前は変わった名前ですよね。そもそも変わった名前だからこそ目に止まったのかもしれません。
ひよんの木(ヒョンノキ)は正式名称をマンサク科のイスノスキという植物です。その葉にアブラムシの仲間が作る虫コブがある。虫コブとはアブラムシの仲間が葉に卵を産み幼虫が成長する過程で葉の細胞が異常に膨れできたコブのようなもので成虫になる時に開けられた穴から息を吹き込むとヒューヒューと音がなるのでその名がついたそうです。
ヒューヒュー…ヒョンヒョン…ひよんの木。
追記:
このひよんの木は「要説 宮城の郷土誌(続)」によるともともと西南部、四国、九州が自生地で、仙台で自然生していない植物であると、また栽培できる北限が仙台でこれだけ旺盛に繁茂するのは珍しいそうです。東北大学附属病院は藩政時代、武家屋敷でその家の人がひよんの木を移植したものらしい。元の場所は大学病院構内関口外科〔第二外科。関口→桂→葛西外科〕と産婦人科病室との中間の東端にあったのですが両建物は、昭和 50 年代の初めには新設棟に移り、取毀し撤去されたようなので、恐らく木も工事に伴い移動したと思われます。
なぜ移動までしてひよんの木を残したのかというと東北大学医学部第二外科教室の同門会の名が「瓢木会」といい、先に述べた建物の前にあったひよんの木から名をとったものだったからでしょう。
こういったことから東北大医学部のひよんの木は歴史的にも植物学的にも大変珍しいものでもあるといえるでしょう。
木のある場所の敷地は歩道より高い位置にあって意外といつも通っていても意外と気づきにくいかもしれませんが時間のある時ちょっと立ち止まって見るのもいいと思います。
コメント (2件)
東北大学第二外科同門会の名称「瓢の木会」の由来ともなった「瓢木」は少なくとも第二外科の開設当初の大正初期より第二外科医局の入り口に立っていたと思われます。昭和30年代末に病棟、医局とも移転しましたが「瓢木」はそのままに保存され、移植など位置の移動はありません。
隣の紅葉の木のほうが樹勢が盛んで成長も早く、かっては「瓢木」のほうが大きな木でしたが、今では紅葉の木に圧倒されてしまっているような状態です。大学に紅葉の木の枝打ちをお願いして「瓢木」にかかる枝を落としてもらったこともありました。今後とも大切に見守っていきたいと思います。
鈴木様
コメントありがとうございます。「瓢木」は位置の移動などは無かったのですね。地図上の位置は実際の場所よりかなり西側に位置していますが、これは間違いというか適当な印なのでしょうかね。
また、当時隣のモミジの木のほうが小さく「瓢木」のほうが大きかった樹齢もすごかったのでそちらのほうが目立っていて、現在では大きさが逆転したということを知りますと、いろいろなことが納得できますね。
今では少々目立たなくなってはしまいましたが、これからも東北大学病院のシンボルとして大切にしたいですね。