仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2014年2月28日のアーカイブ

へくり沢「ふしぎ!発掘!発見! 不思議な地形をジオラマにしよう」 その1

2014/2/28

柏木市民センターで昨年4回に渡り「へくり沢」についての講座が開かれましたが、その集大成として「へくり沢」のジオラマ模型を作ります。

※「へくり沢」とは昔、国見の辺りを水源とし八幡町を縦断する深い沢のことを言い、現在は広瀬川へとそそぐ暗渠となっている。この深い沢のため仙台藩開府当初は町の中心部と八幡方面が寸断され土橋ができるまではかなりの遠回りを強いられていた。







昨年の講座はたくさんの方が出席しましたが、ジオラマ作業は約8人と有志の方々で行われました。





我々の他には柏木市民センターの館長さん等2人、そして今回指導してくださるのが仙台マップの安斎信行先生です。



ジオラマ作製は4回に分けて1月の25日からほぼ毎週土曜日の午後2時間余りずつ行われました。



初日は安斎先生の方から作業について簡単な説明をいただきましたが、何せ私も含めみんな初めての体験なのでなかなかイメージを浮かべるのが難しいようでした。



昭和33年の地図をもとに作るわけですが、その地図を800mm四方厚さ3mmのスチレンボードに貼り合わせ、同じものを60枚くらい用意します。(もとの地図は25枚で、そこから60の標高を取り出す)



それらのボードを一定の間隔の等高線で切っていきます。それぞれのカットしたパーツを重ねていき完成させるのですが、これが大変なようです。



<模型製作仕様書>より

8、操作手順

1、等高線のトレース

高い方から重ねる地図

1図 140m、120m、100m、80m、60m、

2図 138m、118m、98m、78m、58m、

3図 136m、116m、96m、76m、56m、

4図 134m、114m、94m、74m、54m、

5図 132m、112m、92m、72m、52m、

6図 130m、110m、90m、70m、

7図 128m、108m、88m、68m、

8図 126m、106m、86m、66m、

9図 124m、104m、84m、64m、

10図122m、102m、82m、62m、



低い方から重ねる地図

11図 22m、12図 24m、13図 26m、14図 28m、15図 30m、

16図 32m、17図 34m、18図 36m、19図 38m、20図 40m、

21図 42m、22図 44m、23図 46m、24図 48m、25図 50m



意味の分からない数字が並んでいますが、10図から順に上に見ていくと122、124、126…と2mずつ増えているのがおわかりになると思います。そして高い方から重ねる地図では4~5つの標高を切り出していきます。

(今はわかっているから言えますが、最初は説明を聞いてもちんぷんかんぷんでした)



簡単にイメージを説明しますと、例えば富士山のジオラマを作ろうとすれば裾野の方からカットしたパーツを順に重ねていけばできると思うのですが、材料を節約するために1枚のボードから幾つかの等高線のパーツを取り出します。つまり裾野の部分をとるボードで上部分もとることになり、少ない枚数でより多くのパーツを切り出しそれらを重ねると富士山の内部が空洞になるのです。



これは事前に作成した簡易的縮小版。



一通り説明を受けたあと早速作業開始。各ボードには切るためのガイドライン(指定の等高線に沿って少し太めの実線)が引いてありますが、たくさんある等高線の中で密集してるところでは多少見づらい感はあります。



ペン型のカッターを手に切り込みを入れるが垂直に切るのが難しい。また切ったつもりでも下まで貫通していなかったり。





一回目は初めてだったので慣らしということで終了。でも次回からはカットするパーツの大きさは小さくなりますからと言われた。本当に難しいのは今回だけであとは比較的楽なのかと一安心。





しかし二回目は単純ではないのです。

次のパーツは起伏が多いので、つまり山がたくさんありその間に窪地もある、全てがなだらかな傾斜とは限らないのです。

また比較的直線に近いライン・滑らかなラインは比較的カットしやすいのですが、そもそも自然の地形なのでそういうものはほんのわずか。細かくうねうねとしたラインをひたすらカットしてい作業を強いられます。ゴミみたいな小さなものもパーツです。



その日は貼り付け積み上げ作業も同時に行われました。カット作業の合間に積み重ねられたものを見ると少しずつ実感がわきます。



作業にも熱が入り真剣です。完成するのが楽しみになりました。


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あのレンガアーチがなくなる⁈ 通称 X(エックス)橋

2014/2/20

大正10年に造られたというX橋。
仙台の人には馴染みあるX橋、
仙台駅の北側にあり線路によって分断された元寺小路と名掛丁のそれぞれ東西両端を結ぶ形が>--<になっており、正式名称を宮城野橋という。
橋の両端が二股に分かれているのがXに見えることからX橋と呼ばれるようになりました。

(大正元年)

(昭和3年)
かく言う私も正式名称を知りませんでした。
宮城野橋は大正10年に当時高価なアスファルト舗装で造られ、戦後昭和36年に二代目ができたらしいですが、その際全て新しくしたのか部分的に造り直したのかよくわかりません。
したがってアエルの裏に位置するレンガでできた跨道橋すなわち宮城野橋西レンガアーチがいつのものなのかよくわかりません。
もし誰かわかる方がいたら教えてください。
後日仙台市の道路管理課管理係より返答をいただき、昭和36年に作られたものだそうです。
X橋の一部の使われなくなった石材は仙台駅東口にある塩竈神社の石畳に再利用されていることはあまり知られてないでしょう。


名掛丁藤村広場にあるモニュメント

X橋はもともと旧仙台城二の丸の第二師団と、歩兵第四連隊(現榴岡公園)や練兵場(現宮城野原公園総合運動場)との間を結ぶため建設されました。
現在新宮城野橋はほぼ完成に近い状態まで出来上がってきていますが、先ほどのレンガアーチ状の跨道橋は写真撮影時2月7日現在まだありました。
都市計画で宮城野橋が新しくなる、道路が広くなる、渋滞が緩和され便利になる。
しかしレンガアーチはどうなるんだろう?


このレンガ造りのアーチトンネルはとても味があって好きでした。そのまま当然残されるのだろうと勝手に思っていました。
しかしながら、先日それも壊されてしまうということを知人より知らされて大変ショックを受けました。
壊されるのもショックでしたが、壊されることが全く報道されないということです。
アエルの展望台から撮った写真を見ると現在片道が完成されてもう片方がちょうど跨道橋にぶつかるようです。


今も作業は進んでいます。

背の高いビルの裏にあるのでもしかしたら仙台の人でも知らない人が多いのかもしれませんが、数少ない仙台中心部の遺構がなくなってしまうのは大変残念なことだと思います。
※現在、仙台市の道路管理課管理係の話によると保存の有無に関して歴史的価値並びに保存方法を含め、総合的な観点より検討中だそうです。
また宮城野橋の延長線から一本入った元寺小路沿いに一軒だけあるお店の早坂陶器店は周辺の区画整理で2月いっぱいで移転するそうです。


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さらば農学部

2014/2/18

北六番丁沿い、ちょうど勝山スケートセンターがあった場所の向かいに東北大学の農学部があります。そこは街中であるのに閑静で自然が多かったり、羊などが放牧されていて、それを見に近くの保育園児達がお散歩に来たりと憩いの場にもなっています。
また周辺には小学校や中学校などの教育機関も多い。


今度 東北大学農学部雨宮キャンパスの青葉山への移転により、現在の敷地が別な用途へと使われることになります。
昨年(平成25年)の4月に仙台市と仙台商工会議所と東北大学でもその敷地の活用と街づくりに議論が交わされ商業施設・居住施設・医療施設・オアシス空間などを盛り込んだ土地利用構想が考えられ、それに基づき施設などが設けられる予定らしい。
そしてこの度1月初めに入札が開始され同月31日にイオングループに落札されたことになったのは新聞などのニュースでも記憶に新しいと思います。
現在の農学部には旧制第二高等学校時代の建物があり、
現在でも入口の守衛室としては使われており大変貴重なものです。
屋根はマンサード風で北仙台駅の駅舎にも同じ様な形が見られる。
(計画によると残されるようです)

他にも旧体育館の建物がありましたが残念ながら守衛さんによると去年の春あたりに解体されてしまったそうです。
現在の様子(砂利の空地のところに建物はあった)

また戦後しばらく宮城県第一女子高等学校があったらしく、その碑も残してほしい。

また脇の雨宮堤通には雨宮神社(磐上神社)がひっそりとあり、その境内あたりには四ツ谷用水の名残で用水に架けられた橋が残っていると聞いたことがある。

実際見てみるとこれのことなのか。(白い部分)

四ッ谷用水は北六番丁を本流とし梅田川へとそそいでいく。
そして農学部の近辺にはその名残である欄干の標柱が残されている。
これは当時仙台市長だった島野市長に付属小学校4年生の児童たちが手紙を送って保存を懇願したことによって残されたものであるという。

今後どのように再利用再開発されていくのかはわからないが、四ッ谷用水を市民に知ってもらうチャンスとして、農学部跡地には四ッ谷用水の資料館などの施設をぜひ盛り込んでほしい。


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