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仙台の街中(まちなか)に村と村の境があるの? (荒巻村)

2014/7/22

二日町の裏の方にある公園内に小さな祠がある。
その名も村境榎稲荷明神。
村境って街中のこんなところが村境だったの?
どことどこの村境なの?

 



祠の傍にある石碑をみると
もともと荒巻村と小田原村の境にあった明神だったとか。
それが現在の仙台市役所の北東に祀られそこには大きな榎(えのき)があったそうです。そして当時 そこは荒巻村と仙台との境になっていたそうです。

仙台地名考によると
荒巻は荒牧とも呼ばれ北東は東照宮の小田原から東六番丁沿いに南は現在の荒町、芭蕉の辻を中心に米ヶ袋・川内、国見、現在の荒巻本沢〜杉山(台原)ということですからかなりの範囲だったのでしょう。
現在でも荒巻の地名が残っているところがあります。
北山の奥の荒巻本沢 荒巻中央 荒巻神明町の他
国見の 荒巻西雷神 荒巻仁田谷地 荒巻坊主門、
そして青葉山一帯の荒巻青葉。

仙臺開府の際荒巻村の一部を取り入れ、現在の仙台市役所の北東が村境になったという。

最初の荒巻の範囲を上記の説明に沿ってだいたいの範囲を描いてみると以下のようになるのか?(大雑把なので間違いもあるだろう)


荒牧は粗蒔(あらまき)で自然に生い茂った草原、なので荒巻は完全な当て字と言えます。字からも想像できるように荒牧は広大で良質の牧草地帯だった。
ここで陸奥の良馬が育ったのだろう。


話は戻り、榎の木は一里塚としても利用された木で、大きく葉もモコモコとしていて遠くからも確認できるからだろう。現在の仙台市役所の北東にあった榎も大きく御神木とされたのだろう。
村境には田畑や水利の権利をめぐり争いが起こるので道祖神などを建てて厄除けをするのが風習だったようで、この村境榎稲荷明神もそのような経緯で建てられたのだろう。
今もなおひっそりと佇み、商売繁盛の神様として町内会有志で毎年7月の最終日曜日に祭礼が行われている。

また、通町にある熊野神社は宮城郡荒巻村総鎮守。


以前の場所は不明ですが寛文7年にここに移されたそうです。
鎌倉時代からあるとうことなので
仙台でもそうとう古い神社だと言えます。
現在の社殿は享保7年(1722年)に建てられたらしい。
通町熊野神社神楽は仙台市の無形民俗文化財に指定されている。


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