仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:四ッ谷用水

仙台藩第4代藩主綱村縁の二本松

2014/1/6

以前四ツ谷用水を辿った時に見た松の木

ここは土橋通沿いにある宮城県看護協会会館・看護研修センターの敷地で、その昔仙台藩四代藩主伊達綱村公が水鳥を飼っていた御飼鳥(おかいどり)屋敷があった跡で、当時の松が現在もなお残っているということでとても感慨深いものがありました。
しかしながら、先日見た時には無くなっていてとても驚きました。少し前に松が病気にかかっているという話を聞いたことありましたがまさかこんなに早く無くなるとは…。

宮城県看護協会会館・看護研修センターで話を聞くとやはり2013年の11月30日にやむなく切ってしまったそうです。
仕方が無いことです、その松を見れただけどもよかったと思うしかありません。
よく見ると切り株が二つありました。説明文には「二本松」と書かれており、そもそも二本あった両方とも枯れてしまったということなります。


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四ッ谷用水の上流を訪ねて パート2

2013/11/1

北堰をあとにまたバスで移動して聖沢へ。
ここは聖沢をまたぐために木製の箱樋(水路橋)が架けられた。現在はコンクリート製で上の三つのスリットは降雨などで水量が多くなった際に余分な水を流すための穴。

写真はカーブする旧道を撮ったわけですが、実は昔直角の道だったとか。ガードレールの向こう、人がいるあたりが昔の道でその下を四ッ谷用水が通っている。

上の写真の先にあるのが池の跡。鬱蒼と生茂っているが現在は水はありません。昔の第三隧道出口付近にためられた防火用に使われた溜池。その証として「防火用水」という標柱がある。

「防火用水」という標柱はだいぶ古いもので以前は池の脇に立てられていたものが朽ちて倒れていたそうです。それを近くに住んでいる方が現在の場所に立て直したそうです。「火」という文字は確認できる。

さらに向こう側には隧道を掘る作業用の穴、「ズリ出し口跡」がありましたが、バスが停車することができず写真には撮れませんでした。
そしてさらに向こう側、八幡研修センター(旧文理ランドスケープ園芸専門学校)の敷地が昔の沈砂池だそうです。現在は水はありません。
そして今回いろいろ知った中でおもしろかったもの、それは「四ッ谷用水湧き上り」というものです。
下の方から隧道を通って上へと流れていく、まさに湧き上っているかのような場所です。実際のものはすでに無くなっているので確認することはできませんが、昔を知る方から聞いて書いた想像図を見ると、なんとも不思議な作りです。逆サイフォンの原理とも言われていますが、私にとって謎が多いです。なぜなら四ッ谷用水はそもそも河岸段丘に沿って緩やかな傾斜を利用して仙台の町へ流していたのになぜこのような構造をつくったのか?出口の作りがアーチ型だというので明治時代に造られたらしいが、謎は多い。

イメージ図から場所は賢淵あたりの国道48号線と弘法山の間あたりのようです。


この後は柏木市民センターで昼食ととり、休憩後ワークショップとして四ッ谷用水に対する意見交換をしました。四ッ谷用水の存在を広めるにはどのようにしたらよいかなど。
また、東北大雨宮キャンパス(農学部)が青葉山に移転するにあたりその後の土地活用の一つとしてなんとか四ッ谷用水に関するものができないだろうかなどという話も交わされました。北六番丁を本流とする四ッ谷用水はちょうど農学部のあたりを通っているのです。ぜひ有効利用できたらいいなと思います。
なんだかんだでまた長くなってしまいましたが、
今度は自分でまた行ってみて、じっくり見てきたいと思います。
今回見たところ


コメント (2件)

  1. kumagai-ya より:

    SECRET: 0
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    さなえ様 いつもありがとうございます。またお越しの際はよろしくお願いします。

  2. さなえ88 より:

    SECRET: 0
    PASS:
    今日もダッシュでくるみゆべしを15個買いました!只今名古屋への帰路ですが我慢できず一つ食べました(笑)
    相変わらず美味しいです。
    仙台の歴史も楽しく拝見しています。

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四ッ谷用水の上流を訪ねて パート1

2013/11/1

「政宗公の用水原点を見る!」と題しまして、「四ッ谷用水の水を街並みに!」市民の会で企画された四ッ谷用水の上流をバスでたどるツアーに参加してきました。
昨年、大崎八幡神社から支倉堀あたりまで歩くツアーに参加してとても勉強になりましたが、今回はその上流編。下流であれば自分でも簡単に見に行くことはできますが、上流となると難しい。県の管理している場所もありますし、…でもこういうツアーだから見れる場所がありました。
今回のバスツアーでいろいろ知ったことがありますが、まだまだ疑問・調べたいことがたくさんあります。なので、あまり深く掘り下げず見てきたことを中心に書きたいと思います。
朝の9時過ぎ霧雨が降る中仙台市役所噴水前に集合。

コースは市役所~郷六(現在の取水堰)~北堰(昔の取水堰)~工業用水沈砂池~聖沢掛樋~柏木市民センター~市役所前
このバスに乗って行きます。

四ッ谷堰に着きました。ここで県の管理している方から説明を受けました。ここに来るころには雨もなんとか止んでくれました。

ここの標高は65m、梅田川合流地点は40m、そこまでの距離は7.2kmなので0.3%の勾配を利用してうまく用水をながしています。
四ッ谷堰は以前はここから800m下流にあったものが時代とともにだんだんと上流に移動し、ここに移ったのは明治10年頃で、昭和30年代に工業用水に使われることなり、ピーク時は毎時4000トンも流していたそうです。震災の影響もあり現在は毎時1500トンほど流れているそうです。
この先は宮城野区大梶にある水道事務所まで約2時間かけて送られ、そこから塩釜市内・パークタウン・仙台港方面の各企業へと送られます。実際のここの操作は遠隔で大梶の事務所から行っているそうです。
ここでの管理は取水量の調整のほか、ゴミの除去、濁度の管理、pHの管理を行なっています。
濁度は10度以下、平均にして4~5度だそうです。
pHは7度に調整され流されます。これは薄くても濃くてもだめで、パイプを傷つけないためでもあります。
一番気を遣うのが油だそうです。上流から流れてくる油。すぐ近くにも生瀬橋(おいせばし)という橋もあり、そういった橋の上で車両事故が起こると車の油が川へ落ちる可能性があるため、事故情報には特に注意を払っているそうです。
これが除塵機。大きな熊手のようなもので落ち葉などのごみをかき上げて上部に集めます。

下から見たところ

ここに塵が集められます。よく見ると奥に大きなもずく蟹が!昔はもっとたくさんいたそうです。

この堰は川に対して斜めに設けられている全国でも珍しい堰だそうです。実は現在、川に対し斜めに堰を設けることは国で許可されないのだそうです。(すみません、理由は忘れました)
橋の下から左へ流れるのが広瀬川本流、本流から脇の水路に堰を利用して水を引き、先ほどの除塵機へ流れていく、そして余計な水は手前のところから本流へと戻してやります。

続いてバスで移動して沈砂池へ。

ここはA型開渠という。入り口から向かって左側には流していません。右側の池に流し込んで砂をとります。
水の入り口は馬蹄形の口で狭くすることで流れのスピードを速くさせ隧道途中で砂が沈まないようにしている。

ここにきて急に広くなるので流れがゆっくりになる。
横一列に並んだ孔の開いた清流壁に水を通すことにより流れるスピードを均一にしている。

さらにそこから歩いて広瀬川の方へと進むと北堰(昔の四ッ谷堰)が見れる。
現在は対岸に取水口があって、三居沢の水力発電へと流れていく。
取水口の向こうには郷六御殿跡が見える。


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へくり沢 地形(3)

2013/10/17

土橋の名残り
現在、土橋は北三番丁から十二軒丁に対して丁字にぶつかる形ですが、これまでの話のように、いろいろな変遷を遂げて現在の形になりました。
ではその名残りはまだあるのだろうか?かつて沢だったところは住宅が建ち、沢の名残りはあるものの昔の土橋の名残りなんて考えもしなかった。もちろん今と昔で土橋の位置が異なることを知らなかったのだから当然だ。
現在の土橋の東側に下方へ降りて行くけもの道にも似た径がある。下の住民の近道かな?くらいにしか思っていませんでしたが、その径は下からの登ってきて二手に分かれ土橋の両端へ続く。この二またの径がちょっと不思議には感じてはいました。

実はこの二またの径が昔の土橋なのだとか。(詳しくはわからないので仮説といたしましょう)そうだとすると下へ降りる径はへくり沢沿いに河口まで辿り新坂へ続く径と考えると納得がいく。(仮説)

橋というものは対岸から対岸へ架けられるというイメージ、もしくは古地図上では平面のイメージだが、実際は沢の斜面を少し下って下の方で橋を架けていたようです。
それはおそらく沢の深さもさることながら対岸への距離もあり普通に橋を架けることは困難だったからなのでしょうか。
そして二またの径の北側へ伸びる先は現在の道には合流せずに右にカーブし再び左にカーブして土橋通へと繋がっていた。その左にカーブして土橋通に繋がるところはおそらく現在白い建物が建っているあたりだと思います。建物の沢側はかなりの崖になっていますが、昔、その下にも家があったので建てる際に削って切り立ったのでは。だから以前はもう少し緩やかな傾斜だったのではないかと推測される。


明治26年の仙台測量全図にもまだその跡が載っているのがわかる。

大正元年の地図では土橋通と北三番丁とがぶつかるところで少し突き出ているのが名残か。(現在の道路とほぼ同じ)

現在の同場所(北三番丁から十二軒丁を見た写真)

今回の講座で今と昔のへくり沢周辺についてある程度正確なイメージが掴めたような気がする。
そして今までモヤモヤしていたことがだんだん晴れてきました。


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「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その5

2012/10/24

今回の最終地点である六幽庵に到着しました。 庭園を初めて拝見しましたがなかなか広いんですね。そりゃそうです、もと島田市長が住んでいたところで、当時二中の校舎から庭が見えてましたから、だいたいの広さはわかっていました。 ここからは六幽庵の建物内に入ります。 中はこのようになっているんですね。 ここで昼食をとり、 そのあと、みんなで四ッ谷用水かるたなるものでかるた大会をしました。 みなさん真剣で早い早い!ほとんど獲れませんでした。(汗) その中の一枚。 北六番丁と通町の交差点あたりの写真で用水の上に交番が建っているという不思議な写真。へぇ~! 写真が横向きで見にくいですが、小さい小屋がそれです。 このあと仙台・水の文化研究会の会長さんのお話と 仙台リバースネット・梅田川の方のお話を聞きました。 今回参加してみて、今まで聞きたかったことを質問することができ、 また新たに知ったこともありましたが、 帰ってきてさらに聞きたいことが増えました。 またこういった催しがあればぜひ参加したいです。 ところで、現在四ッ谷用水は工業用水として使用されていますが、 実は仙台キリンビール工場で使用している水は四ッ谷用水のものだそうです。 その水を浄化してビールを造っているそうです。 知らないうちに私たちは四ッ谷用水とかかわっているのですね。 今回歩いたコース(地図をクリック) 最後に一緒に同行した方も記事を載せていましたので紹介します。 私のと比べるとかなりしっかり書かれていますね(汗) →「たまきさんBlog」


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「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その4

2012/10/24

さていよいよ北六番丁通へと入っていきます。 ただまだ四ッ谷用水は通りの上を通っています。 写真がアップ過ぎてどこの場所かわかりにくいですが、林宅寺の山門前の橋の横です。 この先をもう少し行くと、マンションの前でついに北六番丁通りと合流します。 マンション前のコスモスが咲いている場所の下を通っています。 そしてごみ集積所の後ろを通って、自販機の裏を通ってここで合流します。 ここは歯学部の裏にある四ッ谷用水の支流のひとつ支倉掘の遺構が残っているところです。 現在は大学病院の敷地になっていますが、昔は支倉通が通っていました。 そしてこの堀を背にして見るとその先の支倉通へと流れは北上していきます。 ここは珍しく逆方向へ流れていました。 そしてその遺構の名残が今でも確認できます。 左側の塀の下部の石垣が四ッ谷用水のものです。知らなかった! ちなみに第二支流は木町通を南下し、 第三支流は通町から国分町へと流れていました。


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「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その3

2012/10/24

春日神社前にある昭和15年当時の絵を見て説明する阿部さん。 ここから四ッ谷用水を先に進むとほどなく 四ッ谷用水の洗い場跡があります。 当時の階段状の石段がはっきりと残っています。 さらに進み土橋通を曲がります。 この通りは第一支流となり、下の本の表紙の写真は当時の同じ場所で右側がそれに当たります。(ちなみに自転車を置いて用水で何かしてる人は刃物の研ぎ屋さんで研いだ刃を濯いでるところだそうです) そしてここ 宮城県看護研修センターの真ん中にある松が当時から唯一残る松の木、一本だそうです。 ちょうどさきほどの昭和15年当時の絵に描かれていた池のある場所です。 【参照】春日神社前にある昭和15年当時の絵 ※先日のNHKの放送で使われたものと絵が違うようなのでもう一つ原画があるのでしょうか、絵はお堂の中に納められてるそうです) 第一支流跡(この先曲がって土橋通を行く) ちなみに土橋通と北六番丁通りの交差点の角にある建物はバイオテクノロジーを扱う立派な会社ですが当時は染織工場があって用水の水を使用していたそうです。


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「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その2

2012/10/24

四ッ谷用水の上を歩いていきます。 コンクリートの線が四ッ谷用水です。(赤いジャンバーの人が歩いているところ) 北山丘陵にそって四ッ谷用水が流れているのがわかります。 我々が歩いている道と右のアパートの間の溝を流れています。 電柱脇の白い棒は「四ッ谷の水を街並みに!」市民の会が立てた標柱です。 石切橋近くの瀬田谷不動尊(石尊神社)、この裏を流れています。 この神社では昔 お祭りではねこ踊りというのが踊られていてこれが現在の雀踊りの原点だと言われています。 またここは石職人の町で城の築城はもちろん、四ッ谷用水の建設にも大きくかかわっていると思われます。 この石橋(石切橋)はへくり沢に架かっていた橋です。


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「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その1

2012/10/24

10月24日 「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」というものに参加してきました。 この会のことはたまたま通った六幽庵の前の掲示板で情報を得ました。 さっそく応募しましたが、 なんと定員15名のところ60名ほどの応募があったそうです。 いったいみなさんどうやって知ったのでしょう?先日のNHKで四ッ谷用水を特集したこともあり応募してきた方もいらっしゃいました。 とにかく60名中急きょ増員した21名の一人に選考されました! 朝の10時より15時まで有意義な時間を過ごすことができました。 集合場所の大崎八幡神社の太鼓橋前へと。 さすが晴れ男、昨日の雨が嘘のよう! 60代~70代の方がほとんどでしたね。 四ッ谷用水は伊達政宗が岩出山から仙台へ移った時に城下の人々が生活できるように整備したもので、郷六村の広瀬川から水を引いてきて、その水は城下を駆け巡り梅田川やもとの広瀬川へと流れていきました。 その用水は人々の生活用水として、火消しのため、作物栽培のためなどに使われました。 現在は本流のみが工業用水として今なお使用され、四ッ谷用水はコンクリートで覆われほぼ暗渠となっています。 太鼓橋から見た四ッ谷用水 今回の主催は仙台市ですが、協力として 仙台・水の文化研究会 「四ッ谷用水の水を街並みに!」市民の会 仙台リバースネット・梅田川 水・環境ネット東北 の方々が同伴してくださいました。 人数が多いため3グループ(よグループ、つグループ、やグループ)に分かれ、説明を聴きながら移動しました。 我々の「つ」グループには仙台・水の文化研究会の阿部義明さんがついてくださいました。 それでは出発!


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