仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:学校

小学生のかわいい弟子入り体験

2017/11/21

毎年この時期に受け入れている地元木町通小学校の5年生の弟子入り体験。

10月と11月の2回にわたり行われ、

今回は後半の部です。

例年ですといつも4~5名の児童が来るのですが今年は男の子1名女の子2名の計3名でした。中には10月に木町通市民センターで行われてたお菓子作りの講座に参加してくれてた子もいました。

少ないながらも、逆に楽しい3人だったで、こちらも大いに楽しみながら教えることができました。

今回作ったのはクリスマスにちなんだ練り切り5品。

人数も少なかったのであんこを包む作業は、いつもと違って本格的な包み方で包むよう指導しました。四苦八苦しながらもだんだん上達していきました。教え方がうまかったのか…。

クリスマスツリーを作る際、小田巻に苦戦中。

小田巻は注射器のようにあんこを押し出す道具。

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5種類のお菓子を作りました。

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せっかくなのでゆべしの包装機械も体験してもらいました。

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なんとも楽しく和気あいあいと過ごすことができて教える方も楽しかったです。


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小学生の弟子入り体験

2016/11/24

木町通小学校、2回目の弟子入り体験です。
1回目は仙台駄菓子造りで、今回は生菓子を作りました。
季節的にクリスマスをモチーフにした形です。
色をぼかしたり、あんこを包んだり一生懸命そして丁寧に作業をしていました。

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ゆっくりやればそんなに難しいものではないんです。いや教え方がうますぎるのか(笑)
ただきれいに同じ形を早く作るのが難しいのです。
できたものは
サンタクロース、トナカイ、柊、クリスマスツリー。
どの子も上手にできましたよ!

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真ん中は私です(笑)


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かわいい弟子入り体験

2016/11/3

今年も木町通小学校の5年生の児童達が熊谷屋に弟子入り体験をしに来ました。
10月と11月の1回ずつ計2回、10時から12時までの午前中に行います。

1回目は駄菓子作りのお手伝いを体験しました。
その日は千歳飴を作っていました。
さすがに煮詰めた飴は熱いので工場の人が作業し、子供達は説明を聞きながら見入っていました。

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長く伸ばした飴をコロコロ転がし形を整えます。うまくできたかな?

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オリンピック バドミントン金メダルは伊達の精神で勝ち取った!

2016/8/27

2016年、リオオリンピックのバドミントンダブルスで見事金メダルを獲得したタカマツペア、おめでとうございます。

高橋選手と松友選手といえば仙台市にある聖ウルスラ学院英知高等学校出身ですが、
その一本杉キャンパスの敷地はもともと伊達伯爵家邸宅がありその建物を最初使用していました。
伊達家とゆかりがあるということもあり今も授業で、伊達藩作法を学んでいるそうです。



その伊達家伯爵家邸宅について書きます。

もともと家臣佐々氏のもので、最後の第14代伊達藩主 (30代当主)伊達宗基が版籍奉還以後仙台城より移住する際に
家臣佐々氏の下屋敷を買収したものです。
聖ウルスラ学院て使用していた建物は
その後、邦宗が明治38年(1905)に建て替えたものです。
ちなみに宗基は慶邦の四男ですが、
同じく慶邦の七男31代当主邦宗は養種園を敷地内に開き(現在若林区役所の敷地南側)昭和の終わりまでありました。現在は農業園芸センターへ移転しています。私も幼い頃親に連れられてチューリップを見に行った記憶があります。

建て替えられた屋敷の設計は山添喜三郎によるもので、山添喜三郎という人物は新潟出身の船大工で初めて欧米に渡り西洋建築を習得し、明治5年に開催されたウィーン万博博覧会の日本建築の設計監督を任されたました。 他に三居沢発電所の建物やや登米尋常小学校なども手がけたというすごい方です。

伊達家伯爵邸の建築資材は樹齢200年以上の上質の杉材が用いられ重厚な造りとなっています。
昭和22年、昭和天皇の行幸の際に宿泊所となり、一時知事公館ともなりました。
聖ウルスラ学院の施設として使われるようになったのは昭和58年になってからです。

その後仙台市に寄付され、
現在その建物は旧伊達邸として茂庭の鐘景閣に解体復元され、今もなお見ることができます。

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小学生の弟子入り体験 お菓子作りをしました

2015/11/30

今年で受け入れ5年目となりました。
10月末と11月末の2回にわたり弟子入り体験をするのですが、今日は2回目。女の子二人と男の子一人の計3人。

最初に自分で生菓子のイメージデザインを描いてもらいました。

そして今年は4種類の形に挑戦してもらい、最後に自由にデザインしたものを一つ作りました。

最初はあんこを包むのに悪戦苦闘していましたが、最後の方にはだいぶ上手に包めるようになりました。




作る順番としてはトナカイから始まり、むすび丸、すずめちゃん、サンタクロースと順を追って作っていきました。
下の写真は私が作ったものです。







みんななかなか上手にできました。
オリジナル作品もgood!
1列ごとに各一人ひとりの作品です!



今年の子たちの特徴はやたらと試食をしたがるという点でしょうか。約1名、あんこの切れ端をパクパク喜んで食べてました。(笑)
これも小学生らしくていいですね!和みます。


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地元小学校から弟子入り体験〜お菓子屋さんの卵達?

2014/12/1

毎年行われている地元小学校の5年生の校外学習の一環で学区内の様々なお店に弟子入り体験、いわゆる職業体験が今年もやってきました。

10月と11月の2回に分けて行われて、1回目は駄菓子体験、
そして今回2回目は練り切りで生菓子を作りました。

今回は今までとは違い本格的なものも作らせてみました。




子供達も思った以上に良い出来栄えだったので非常に満足していました。



また、自由に自分のイメージしたものを作り、
そして新たな課題は食品サンプルを作ろう!という挑戦者も試みました。

これは思いつきでやったにもかかわらずとても面白い企画でした。
チョコレートケーキ


イチゴショート


キノコにパスタ


紫芋のモンブラン



子供達はストップをかけないと一日中作り続ける勢いでした。


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地元地域の歴史、再確認。

2014/10/23

仙台市立第二中学校の二中会研修交流委員会主催の(二中保護者対象)講座が10月23日に開かれたので参加してきました。

講師はへくり沢でもお世話になっている柏木市民センターの岡崎修子館長。
岡崎さんは以前「城下町仙台を歩く」という歴史的町名のハンドブックの監修に携わりその執筆もなされたそうです。(当書籍は仙台市役所1階の市政情報センターにて購入可)
中学校の視聴覚室を借りて1時間半ほど行なわれました。
参加者9人



内容は「私たちの住むまちの歴史あれこれ」と題しまして仙台藩開府からまちの簡単な変遷とともに学区内を中止に城下町のつくりや昔の町名について話していただきました。
特に現在の町名と違い昔の町名には意味があり、例えば材木町は材木屋の町で木町通は木町(材木町)に通ずる通りという意味など、なるほどと思うことがいろいろあり豆知識が増えました。

お話が終わった後も保護者から様々な質問がありとても有意義で、参加した皆さんはきっと満足して帰られたと思います。
というより好奇心を掻き立てられもっと聞きたいのに時間が足りず、むしろ満足に達しなかったのではないでしょうか。

これをきっかけに、今回の話を家で話したり、知人に話したり、興味を持ってさらに知ろうとしたり、広がっていってほしいと思いました。

自分の子が通っている学校(二中)の周囲には面白い歴史がたくさんあるっていうことを知ることができたはずです。
もちろん、二中に限らず自分の住んでいる地域にはたくさんの興味深い歴史があり、実はそれが教科書に載るような大きな歴史につながるものだったということもあるはずです。

今回参加した保護者の人数は9名という少人数でちょうどよい人数でした。
もし今後もこのような会を開いていただけるのなら、間違いなく参加者の人数もさらに増えると思います。

以前ブログで菅克復のお話をした時、小学校で仙台の偉人について子供達が教わったと書きましたが、小中学生が郷土史を教わるというのはとても大切なことだと思います。
親達についても同じです。昔を知る人から聞いて、また子へ伝えていく。
自分とその土地の関わり、郷土愛が培われる。
技術が進歩したこの世の中、若い人は新しいものだけがいい、昔のものは堅い古くさいという考えをしがちですが、今までの歴史があって今の自分があるということを忘れてはならないと思います。



今回の講義は、今まで私が受けてきたものと違って特に素晴らしいものだと思いました。なぜなら今までのものはもともと興味があり、あるていど知っている方が参加していましたが、今回は興味は無いわけではないがこういった歴史になかなか触れられない方が参加してくださったので大きな意義があると思います。

岡崎館長、二中会研修交流委員会委員長、設えありがとうございました。


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八重の桜

2013/6/27

仙台に二華高(にかこう)という学校があります。
宮城県仙台二華中学校・高等学校 、2010年に男女共学、中高一貫となり宮城第二女子高等学校から名称を変更したのですが、新しい校名の由来はなんなのか、一見しただけではよくわかりません。
二華校の校舎には「「SEEK TRUTH AND DO GOOD」という文字が刻まれています。

二華校は最初明治37年私立東華女学校として設立、現在のひとつ前の宮城第二女子高等学校の「二」と最初の「華」をとって二華校とつけたそうです。
では東華とは…、(現在仙台市立東華中学校という名前の中学校はありますが)
明治19年に富田鐵之助らによって設立されたミッションスクールの草分け的な学校でした。
富田鐵之助がアメリカ留学中に国際感覚を養う教育の重要性を感じ設立したものであり、
当時の宮城県知事松平正直が万葉歌人大伴家持の「皇家の御代栄えむと東なる 陸奥山に黄金花咲く」の和歌から「東華学校」と名付けた。
(※「花」は「華」ではないかと思うのですが、いろいろ調べても「花」でしたね)
(※後世では花は命の短さの隠喩もあることから、永続的な繁栄を願って県知事が意図して「華」に置き換えたのではないかとも考えられる。←twitterのフォロワーさんに教えていただきました)
場所は清水小路のJT仙台跡地のところでした。
東華学校の校長には同志社の創立者の新島襄が就任。実は新島と富田は同時期にアメリカ留学をしておりその縁もあり同志社設立の際は富田が支援し、また仙台に男子中等普通教育のための英学校を創設したい相談され東華学校の設立に至ったというわけです。(おおまかな流れですが)
東華学校からは一力健治郎など著名な方々を輩出いたしましたが、帝国憲法のもと国粋主義、欧化主義への反動と明治23年の新島襄の死もあり残念ながら設立5年後には閉校となりました。
その後東華学校の生徒や学校設備は宮城県第一中学校(現在の宮城第一高等学校)に編入され、名称は私立東華女学校(現在の宮城県仙台二華中学校・高等学校)へと受け継がれていきました。
東華学校の直接的な流れは宮城第一高等学校ですが、名称と先に述べた「SEEK TRUTH AND DO GOOD(真理を求め善をなせ)」という新島の教育理念は宮城県仙台二華中学校・高等学校へも受け継がれているといえるでしょう。
富田鐵之助が新島襄と同時期にアメリカ留学していたということが縁で、新島襄が当時政治経済の面であまり中心的ではなかった東北の仙台に目を付けた、おそらく現在までの仙台の発展に少なからずこの学校が寄与していたのは間違いないと思います。
そして今や大河ドラマでも知っている方も多いと思いますが、その新島襄の婦人こそが八重なのです。新島襄の日誌によると東華学校の開校式には新島八重も仙台に来て同席したそうです。そんなところでタイトルの「八重の桜」と無理矢理こじつけてみました。
現在仙台JTビル前には東華学校遺址(いし)碑がありますが、元々は現在の場所より300m北西にあったそうです。

「富田鐡之助」と「新島襄先生」の文字が刻まれています。

ちなみに現在の東華中学校は直接的にはまったく関係ないのですがその学区に一高とニ華高があり、その名声と伝統とを鑑にしたいとの願いを込めて「東華中学校」と名付けられそうです。


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