仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

熊谷屋をデザインしていただきました

2014/1/21

宮城県工業高等学校、インテリア科卒業制作展示会に行ってまいりました。
以前より学校の方から「熊谷屋」さんのデザインを卒業制作として作らせていただいてもよろしいでしょうか?という申請のお手紙と、
今度卒業制作したデザインを展示しますという案内のお手紙をいただいておりました。
案内のお手紙には白黒で一部のデザインが表示されていましたが、それからは色などの情報がわからず正直地味なデザインだという印象を受けていました。
しかしながらせっかく作ってくださったのだからと、展示会期間中に一目は見ようと会場に足を運びました。
場所はサンモール一番町から南町通に出て向いニッセイ仙台ビル1Fにある東北工業大学一番町ロビーです。
仙台の人は元サイカワ向かいといえばだいたい場所はわかることでしょう。
それほど広いスペースではありませんでしたが、その中に熊谷屋をデザインしたものが展示されていました。
それらを見て驚きと感動を覚えました。
地味どころか新しいのに懐かしい、そしてかわいらしいデザイン。
2種類の手提げ袋がありましたがどちらもよい。
新しいものと伝統、そして受け入れやすさを取り込んだ素晴らしいデザイン。
こんなデザインしてくださった生徒さんに感謝です。
ありがとうございます。






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仙台駄菓子の熊谷屋がある場所はこんなところです

2014/1/15

地下鉄仙台南北線北四番丁駅から3分ほど、熊谷屋がある木町通二丁目、ここは昔の名を北鍛冶町という。
仙台藩の時代、店の前の通りは「奥州街道」といい、ここから二日町そして国分町の芭蕉の辻へとつながりさらには江戸まで続いていました。江戸時代の五街道のひとつで白河以北は参勤交代の交通に使われるなど交通の要所でありました。
今は私の子供のころとは(30年ほど前)すっかり街並みも変わってしまったが昔は北鍛冶町商店街として今よりも多くのお店がありました。
ちょっと現在の写真を見ながら30年ほど前の風景を思い出しながら散策してみましょう。
まずは国道48号線を挟んで二日町方面。向かって右手のLAWSONは最初サンチェーンでした。
変わって左側の角の三階建ての建物はかなり古く、当時すでに年数の経ったような建物でした。そしてその焼肉屋(ジャント)さんがある場所には八百屋さんがありました。しかもそこのオヤジさんはプレートのついた市場の帽子をかぶりジャリ銭などのお金は吊るされたザルの中。時代の流れでビニールのレジ袋が主流になってきた頃でも四角い紙の袋でザ昭和の八百屋という感じでした。

ちなみに奥の「花火」と書かれたビルは仙台七夕花火祭にはかかせない芳賀鉄砲火薬店で、シドニーオリンピックの花火も手掛けた名工です。
それでは北鍛冶町に入り、現在セブンイレブンがあるところは昔エッソのガソリンスタンドでした。
その反対側の不動産屋さん(ハートフルハウス)の建物はもともとケーキ屋さんの時のものです。当時ショートケーキが120円くらいの時代。現在は瑞鳳殿の入口にお店があります。

その後ろのマンションは以前はさまん商店という雑貨屋さん、小さなホームセンターと言ったところでしょうか。
下の写真で手前の木の辺りが先ほどのマンションのところでその奥隣のコインパーキングの場所には昔魚屋さんがありました。大泉魚店さんといい、創業天保5年。
さらにその奥には小さな下駄履物屋さんがありました。
そしてその奥隣に熊谷屋。

現在熊谷屋の奥隣は手前に駐車場、奥にアパートなどの建物ですが、駐車場部分には朝日園というお茶屋さんがあったんです。
その隣は洋服の仕立て屋、パーマ屋さん。
写真で車が2台駐車しているところは中地畳屋さんでした。
残念ながら今では全部なくなっていまいました。

電柱手前黄色い看板の建物は現在2階が学習塾ですが向かって左側の白い方の1階が昔、ハンバーグ屋さんで、今では有名になった支倉ハンバーグの本店で愛子に移転しましたが残念ながら愛子も閉店してしまいました。とても美味しかったんですよ、同じような味は大学病院向かいにある支倉ハンバーグでも味わえます。
当時北四番丁から北六番丁までの間の唯一の飲食店だったのでは。

熊谷屋の向いは(滝廉太郎作曲した)「荒城の月」の作詞をした土井晩翠の生家があったところなんです。(現在の薬局)
その隣の骨董雑貨屋のくじらやさんはその前はウルマ商店という古い商店で果物や缶詰ほか生鮮以外の食品を扱っていたと記憶してます。(建物はそのまま)
その隣が今井時計屋と加藤硝子店。(現在は建物ありません)その空地(駐車場)の隣が伊澤竹細工屋さん、昔はいろいろと竹細工を作っていましたが現在は仙台七夕の玉の骨組みを作っています。(多分今年の七夕に向けてもう作り出していると思います)

上の写真で島津布団店の隣は映画館のフォーラム。できた当時はこんなところに映画館⁈と思いましたが、今では人気の映画館となりました。上は伊澤竹に雀ビルというマンションでもともとここは「伊澤竹に雀本舗」という造り酒屋でした。
その向かいにある台湾料理の店(海鮮館)は以前小山書店だったところを改装して料理店に(最近閉店してしまいましたがここの激辛台湾ラーメンは好きでした)、駐車場を挟んでその先の小さな建物は伊勢屋精肉店だったところで、コロッケがとても評判でいつもお昼には売り切れでとてもおいしかったのですが、残念ながら店主が体調を壊し閉店となり今では幻のコロッケとなってしまいました。今でも世界一安くておいしくいコロッケだったと私は思っています。


映画館フォーラムの斜め向かいの角のお店は昔は10円20円の駄菓子屋さんで子供の頃よく遊びに行きました。その後コンビニが珍しい当時、近所では第一号のコンビニのサンクスになりました。(当時ものすごい出来事だったと記憶しています)
特にここ北五番丁まで昔はかなりお店がありその裏にも多くの小さな家がひしめき合っていました。奥に長いとはいえ現在駐車場になっているところを見るとここに何十軒もの世帯が暮らしていたと思うとあらためてびっくりです。
そしてこちらが地元スーパーのITO。新鮮な野菜や魚がおいしい!現在地中海風の外装ですがお店を構える前は行商して市場で仕入れたものを売って歩いたそうです。

相当昔の写真がこちらです。ほぼ定点観測です。「伊藤八百屋」と奥に「ミドリ美容院」が見えます。

ITOスーパー向かいのタイ料理店サバイサバイ、見た目入りづらい外装ですがとてもおいしいですよ。
これより北は戦災から免れたため古い建物がところどころ残っています。

1985年の木町通二丁目の写真です。


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熊谷屋がアニメ映画「Wake Up, Girls!」の作品中に出ています。

2014/1/13

アニメ映画「Wake Up, Girls!」には熊谷屋ほか仙台市のさまざまな場所が使われています。 またこの映画は4番目の「仙台シネマ」にアニメでは初めて仙台市より認定されました。

地元でも大いに盛り上げていきたいのでぜひともご覧いただければ幸いです。

本作品は映画とテレビ放映があり上映映画館、放送局日程等の詳しい内容はこちらをご参照ください。http://wakeupgirls.jp/onair.html

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熊谷屋がアニメ映画とテレビ作品に出ます

2014/1/12

1月10日(金)仙台MOVIXで行われた

「Wake Up Girls! 七人のアイドル」の

上映会&舞台挨拶に行ってまいりました。





アニメ「Wake Up Girls!」には熊谷屋ほか仙台市のさまざまな場所が使われています。

またこの映画は4番目の「仙台シネマ」にアニメでは初めて認定されました。地元でも大いに盛り上げていきたいものです。



ストーリーはこのような感じです。

仙台で活動する弱小プロダクションの所属タレントがついにゼロになり、巻き返しをはかるためにアイドルユニットの結成を思い立つ。6人の女子高生をオーディションで集めるが、果たしてうまくいくのか…。







なおテレビシリーズは仙台では

1月12日深夜25:25から毎週日曜日放送です。是非見てください!









詳しくはこちら↓

http://wakeupgirls.jp/onair.html


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仙台藩第4代藩主綱村縁の二本松

2014/1/6

以前四ツ谷用水を辿った時に見た松の木

ここは土橋通沿いにある宮城県看護協会会館・看護研修センターの敷地で、その昔仙台藩四代藩主伊達綱村公が水鳥を飼っていた御飼鳥(おかいどり)屋敷があった跡で、当時の松が現在もなお残っているということでとても感慨深いものがありました。
しかしながら、先日見た時には無くなっていてとても驚きました。少し前に松が病気にかかっているという話を聞いたことありましたがまさかこんなに早く無くなるとは…。

宮城県看護協会会館・看護研修センターで話を聞くとやはり2013年の11月30日にやむなく切ってしまったそうです。
仕方が無いことです、その松を見れただけどもよかったと思うしかありません。
よく見ると切り株が二つありました。説明文には「二本松」と書かれており、そもそも二本あった両方とも枯れてしまったということなります。


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仙台を舞台としたアニメ映画「Wake Up Girls!七人のアイドル」間もなく公開!!

2014/1/2

「らきすた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」でアニメ界では著名な山本寛監督。
以前「かんなぎ」という作品で七ヶ浜および仙台を舞台とした作品を作られましたが、
今回は仙台の街中を舞台とした作品で、アイドルが成長していく過程を物語にした作品
「Wake Up Girls!」が2014年1月10日より東宝系(仙台ではMOVIX)で公開上映されることになりました。
テレビシリーズもテレビ東京系列で(宮城は仙台放送)で同じころ始まるのでぜひご覧になってください!
アニメの背景にはリアルに仙台の街・建物が出てくるそうで、熊谷屋もその中に出てくるそうなので楽しみです。

Wake Up Girls!のみなさんが2013年の夏に仙台に来られた時のこと、市民広場の七夕飾りに願いを書いた短冊をつけたということで写真におさめてみました。
願いが叶うといいですね。応援しています。
山本寛監督

吉岡茉祐ちゃん

永野愛理ちゃん

田中美海ちゃん

青山吉能ちゃん

山下七海ちゃん

奥野香耶ちゃん

高木美佑ちゃん


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伊達政宗公の愛馬

2014/1/1

わが家には中学生の娘がいましてテニス部でよく青葉山 テニスコートまで車で送っていくことが多いのですが、 駐車場の隅に目をやると何やら 鳥居がありました。それは細く小さな鳥居で、奥にいくつか同じものがあり、朽ちてるものもありましたがちょっとした京都の伏見神社みたいにも思えました。(写真は夏に撮影したものです)


草木が生い茂って少し気味の悪い感じでしたが 入って小径を辿って行くと小さな祠がありました。その左脇には石碑があり、そこには「五島馬頭観世音」と刻んでありました。
五島馬とは一体なんだろうか。


あとで調べたところ、五島馬とは伊達政宗公の愛馬だそうです。
小牛田の後藤家より政宗公に献上した馬で後藤家から献上された黒毛の馬だったので後藤黒(「ごとうこく」と読むのか)と呼ばれた。後藤黒に政宗公が乗り、戦に出ると必ず勝つと言われるほど名馬だったそうです。
ところが大阪の陣にはすでに老馬になった後藤黒は連れて行かれませんでした。それを嘆き後藤黒は本丸の崖から身を投げたそうです。
政宗公は後藤黒が身を投げた崖の下の蛎崎(現在の川内追廻)に葬り馬上(うばがみ)蛎崎神社を建て追廻馬場の守護としたという。
これが青葉山テニスコートの脇(青葉城のすぐ下)にある神社だったのです。
その後明治4年に、片平丁の良覚院跡に移転して、五島墓(ごとはか)さんとして親しまれ、また子供の馬脾風(ジフテリア)除けの信仰があるということです。(片平の馬上蛎崎神社境内説明板より)



後藤から五島へとどこかで変わっていったのでしょうね。
ところで青葉城にある伊達政宗公の騎馬像の馬はもしかすると五島馬がイメージなのかもしれませんね。

ということで今年は午年、馬にちなんだ話題を書いてみました。


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勾当台とはいかに

2013/12/5

勾当台ってよく考えたら変な名前ですよねぇ。仙台に生まれた時から住んでいて今まで普通に勾当台公園って呼んでいました。

ところで仙台には市街地を横断する三つの主な道路がある、
青葉通、
広瀬通、
そして定禅寺通。
青葉通はわかる、杜の都仙台だから。
広瀬通もわかる、広瀬川流れる岸辺〜♬
定禅寺通の定禅寺ってなんだ?お寺なんかどこにもないぞ。
昔はあったんです、しかも重要な場所に。
現在の勾当台公園の裏あたりに定禅寺というお寺がありました。それは青葉城から見て鬼門に位置する場所にありました…しかしながら明治になって…明治6年に廃寺なってしまったのです。
 古刹(こさつ)定禅寺は京都三宝院の末寺で、永正年間(1504~21)に融済法印を開山とした真言宗であった。
 伊達政宗が仙台開府に当り、城の鬼門にあたるので、真言密法の祈願時として定めた。寺領六十六石を給して着座格に列し、仙台における真言宗三寺の一として重きをなした。住持はしばしば藩主の連歌の席に連なるなどのことがあり、伊達家の帰依も篤かったが、宝永五年(1708)正月の大火に堂宇がことごとく炎上した。さらに明治維新後は藩の外護(げご)を失って衰頽(すいたい)し、かつ明治六年に至り仙台鎮台病院をここに移すことになったので、ついに廃寺となった。定禅寺跡には戦災(昭和二十年七月)の時まで、古木として有名な定禅寺桜があった。
 定禅寺通は本材木町からこの定禅寺門前に突き当たる通りということから起った地名である。
(仙台地名考 菊地勝之助著より)

定禅寺に続く道として定禅寺通という名が残ったのです。定禅寺は現在の勾当台公園の裏の方にあったそうです。
で、危なくスルーするところだった勾当台公園の勾当台、よく見ると変な漢字の集まりですね。勾は勾配の勾?当はあ当る?台は公園の奥が高台になっているが…。よくわからない。
調べてみると、勾当とは盲官の位階の一つで、上から検校、別当、勾当、座頭の順でした。
(※盲官:盲人で琵琶・管弦・鍼・あんまなどを業とした者に与えられた官名。)
座頭市は座頭の市さんだったんですね、なるほど。
勾当台とは花村勾当という盲人の狂歌師からきた地名だそうです。
花村勾当の屋敷があった場所で芭蕉の辻から見て高台であったため勾当台と呼ばれるようになったということです。確かに公園の奥、野外ステージがあるところは急に高くなっている。屋敷は現在の公園の東側から北側の高台にあったそうです。
花村勾当という人物は
ある時伊達政宗に名前を尋ねられると
「なに一字 ちがいありとて ことごとし きみは政宗 われは政一」
と即興の歌で答えた。この粋な返しにとても気に入った政宗は、その狂歌の才を愛でて、勾当の役職と屋敷を与えた。
現代だったらこのステージに上がってうたうのか(笑)ある意味聖地?

不思議な地名を紐解くと意外なおもしろいことがわかりますね。
ちなみに現在の勾当台公園は以前ブログに書いたように、地下鉄の開通に合わせて道路を作るために削られました。
削られた…、正確には分断されたのです。
昔の航空写真を見ると南西角の部分が今もなお残っているのです。
それはどこかというと毎年光のページェントで定禅寺通りの角に聳え立つ木に大きな(au協賛の)電飾がつけられてますよね、その木こそが以前の勾当台公園の南西角にあったヒマラヤシーダなのです。場所は変わっていません。
昭和50年の勾当台公園

昭和59年の勾当台公園(地下鉄南北線工事の様子)

現在の勾当台公園

今年の冬はまた違った感じで光のページェントを見ることができそうです。
【おまけ】
勾当台公園の一部には「古図広場」というところがあって昔の養賢堂の門の前に位置します。またそこには昔流れていたという四ッ谷用水の復元水路があります。単なる憩いの池じゃないんですよ。
古図広場という名だけあって林子平の銅像があったり、昔の通りの名前の地図があったり、また仙台城下をイメージした立体的な地図があります。ちょうどバスの停留所の裏、もしくは地下鉄の出入り口にあるので人は通るのですが通り過ぎる人がほとんどです。ちょっと立ち止まってちょっとの間、昔の風景を思い浮かべてはいかがでしょうか。


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閖上朝市

2013/12/1

12月1日に閖上朝市がグランドオープンということで、行ってまいりました。



お天気も良く、大勢の人が来て賑わっていました。駐車している車の量もいっぱいでした。





ちゃんと避難誘導の看板もありました。





市場に到着したのは遅めの10時近くでしたが、普段ならもう終わりの時間ですがグランドオープンということでまだまだやっていました。午後1時まで。

市場のお魚もいつもながらすごかったですが、食べ物屋さんも多くなった?



昔のレイアウトは入り口からテントなどが並び奥の建物がコの字になっていてそこに魚屋さんやお肉屋さんがありましたが、

新市場は入り口入ってすぐから建物率が高い印象を受けました。人がたくさんだったので全てを見る余裕はありませんでしたが、建物は右側に二列奥へ続き間にテントの列が並びメインの通路はその間を行く二つ。



会場左側にはイートインの建物が4軒ほど並び、その先にはこの日秋田B級グルメのお店がありました。



一番奥にはメイプル館と称したお食事処の建物がありました。



お買い物の最後は必ずここで締めです。

個人的に大好きな豊華さんの水餃子!

これにキムチを山盛りにのせて食べるとうまいんだなぁ、幸せ〜!







この地が再び活気づくことを祈願してお買い物させていただきました。

また来ます‼


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へくり沢をたずねて 現地調査

2013/11/28

前回10月24日に柏木市民センターで講座があり講師は東京スリバチ学会の皆川典久氏。この回は土木な話と題して次回の実地の予習的な感じでした。相変わらず、周囲の人は自分よりずっと年配の方がほとんどでした。
そして11月10日にいよいよへくり沢を歩いて辿る。
今回、変わったところと言えば若い人たちがちらほらおりました。学生の男子が二人と、若い女の子3人組。
女の子達に聞くと自分の住んでいる街についてなんか知れるかなと予備知識も特別な興味もなく軽い気持ちで参加したそうです。それでも興味深げに見ていました。
こんな感じで若い人でも参加するととても面白いですよ。普段毎日のように通っている道なのにこんなものがあるなんて知らなかったとか、昔は川だったのかと驚きがあります。
ではでは、簡単に辿ったコースを見て行きましょう。

集合場所は大崎八幡宮の鳥居下。
前回の講座で先生が私は雨男なんですと前もって謝ってましたが、当日は台風も近づき予告通りあいにくの空模様。なんとか終わりまでもってくれればいいなぁと祈りながら歩きました。
途中パラパラと降ってきましたが、フードをかぶるくらいでなんとか大丈夫でした。
八幡神社を出て、龍寶寺へと少し登り途中路地を曲がり先の四ッ谷用水の上を通りながらしばらく先で曲がり西友八幡店の脇から48号線を超えて、八幡杜の館に立ち寄りました。


ここは元造り酒屋の天賞の敷地で杜の館は天賞移転後一部建物を移築したものです。
建物内では展示物がその時によって変わります。

八幡杜の館をあとにして宮城第一高校の前を通って歩くとこんな看板がありました。

ここはよく自転車や車で通るのに初めて気づきました。さらにはその少し先にあるシーアイマンション中島丁の敷地内にある木がすごい。樹齢300年のたぶのき。

よく注意して見てたつもりでしたがわからないものですね。
敷地内には井戸もありました。
あとで知ったのですがここには他に2本も保存樹木あるそうであとでゆっくり見に行きたいと思います。
まっすぐ進むと尚絅女学院だが、手前左手は昔の十二軒丁にあたるそうだ。
尚絅女学院の脇から橋の下へ降り、澱不動尊前を通りながらへくり沢が広瀬川へとそそぐ出口を確認。

そこから沢跡を上に辿り土橋へとぶつかる。ここは細い獣道のような道を行き上へと登って行きます。
傾斜に沿って横に進む道、これは昔の土橋の名残で一段、二段と徐々に高くなったそうです。昔は沢の底まで降りて渡っていた。

土橋の上へ出ると現在の十二軒丁へ曲がり、すぐ脇に下る。
そこは土橋を挟んで橋の反対側の沢跡。

そこから北へ戻って八幡小学校の裏を北上。ここは昔深い沢だったが今は全くおもかげはない。道なりに行くと石切橋に出る。ここは沢こそ見えないが橋の名残がある。

春日神社に移動し、御堂の中を見せてもらうことができました。そこには今野喜一さんが描いた昭和15年ごろの周辺の絵で参道に設置されてるもののオリジナルが納められていて、今野さん本人に貴重なお話を聞くことができました。

四ッ谷用水と交差する地点を見、赤道を辿って寿徳寺方面へ。

最終的に国見児童館がゴール。ここは少し上方より湧き水があり堰き止めて堤を作り、その堤が現在の国見児童館あるところである。国見児童館脇から国見小学校の境の傾斜は堰き止めた名残。

ここからへくり沢は始まっている。
ここで本日の講座は終了なのだが、それを待っていたかのように急に雨足がひどくなった。とにかくギリギリまで天気がもってよかった。
それにしてもかなり歩いたなぁ。
【本日歩いたコース】 ※地図をクリックすると拡大して見れます


コメント (4件)

  1. kumagai-ya より:

    SECRET: 0
    PASS:
    これからもよろしくお願いします。

  2. caz3 より:

    SECRET: 0
    PASS:
    丁寧なご解説を頂き、ありがとうございました。なるほどよくわかりました。
    過去分の記事を読まずにコメントを書いてしまって、すみませんでした(笑) もう以前から詳しく解説されていたのですね。タグをたどって、へくり沢以外の記事も是非読ませていただきます。ありがとうございました。

  3. kumagai-ya より:

    SECRET: 0
    PASS:
    caz3さんコメントありがとうございます。おっしゃるとおり新坂通は南端の新坂に由来する名前です。もともとは新坂に通ずる道ということでその名がつけられました。土橋通も同様に土橋に通ずる道ということでその名がつきました。仙台で○○通というものは○○に通ずる道となりその先に○○があります。「こんな端っこに…合理的ではない」という風に思われるのも当然だと思いますが、先ほど述べたとおりです。ただ本ブログにもあるように「へくり沢(1)~土橋通りの土橋ってドコ?」(http://kumagaiya.exblog.jp/20455975/)の中で土橋までまっすぐ土橋通が直結していないことからどうして土橋通というのか最初疑問でしたが歴史の変遷をみることによって納得できます。

    結論を言うと土橋はへくり沢に架かる橋で四ッ谷用水に架かるものではありません。
    私も最初は四ッ谷用水を越えるところに架けた橋のこと言うのかと思っていましたが先に述べたとおり○○通の○○とはそういうことです。
    へくり沢に関する当ブログ順に読んでいただくとだんだんその変遷や理由がわかってくると思います。
    わたしもそういった疑問から書いたので内容を理解していただけると思っています。

  4. caz3 より:

    SECRET: 0
    PASS:
    はじめまして。楽しく読ませていただきました。
    突然申し訳ございませんが、お尋ねしたいことがあります。
    「土橋通り」の名前の由来についてなのですが、
    一般にはこのへくり沢にかかる土橋が名前の由来、と言われると思います。しかし、こちら http://www.melon.or.jp/melon/contents/Section/Water/wg/profiles/profile031.html には、四谷用水にかかった土橋を元にした地名である、と書かれていますね。どちらが正しいのでしょうか?
    へくり沢の土橋は、長い土橋通りの南端に在るので、こんな端っこに位置する物を元に通り名をつけるのは合理的でないのでは・・・、とも思ったのですが、すぐ近所の新坂通りはまさに通りの南端の坂が名前の由来です。お城から見て通りの入口にあたる南端の地形から通り名をつけた、とも思えます。いかがなものでしょうか。

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