仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

仙臺暖簾を守る会

2015/11/2

昨年入会させていただきまして2年目の参加になります。
この会は今年で21回目を迎え、昨年まで初代から会長であられました湯目会長が惜しくも亡くなられまして、ダゼンの田中さんが現在の会長となります。
もともとは、使い古した暖簾をただ捨てるのではなくどこかで供養してほしいということで大梅寺の住職が引き受けてくれたのがきっかけでした。

本日最初に暖簾感謝祭といたしまして蕃山の大梅寺にて暖簾の碑を前に副住職に読経をしていただきまして、会員らが御焼香をしました。









暖簾とは信用ということをあらためて心に刻み商売に邁進していきたいと思います。


大梅寺周辺の木々も色づきとても綺麗でした。







場所を江陽グランドホテルに移し総会と懇親会を行いました。
この会は歴史が古いだけでなく暖簾を将来大切に守っていく企業の方の参加の入会を歓迎しております。もちろん今年起業したという方も対象です。

これから地元を盛り上げるためにも入会される方歓迎です。


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季節外れの青森ねぶたを見てきました

2015/10/29

全菓連東北・北海道会議が青森市で行われました。
このブロック会議は毎年持ち回りで来年は岩手県再来年は宮城県、その翌年は北海道となっています。

私は宮城県菓子工業組合、常務理事として初めて会議に参加させていただきました。

議題としては2017年に開催される三重県の全国菓子博覧会についてと法改正による組合企業に影響する事柄の確認などでした。特に成分表示や栄養表示は零細企業でなくてもとても負担が大きくいかに軽減するかというものが説明され、お客様や百貨店のご理解も賜りたいところであります。

菓子博についてはお伊勢堂さん菓子博ということで成功に向けて各県の意見が交わされました。







幸いにも会議前に早く青森駅に到着することができましたので少しだけ観光をすることができました。

青森駅に隣接するねぶたの家(ワ・ラッセ)に向かい、青森のねぶたを見ることができました。菓子屋というもの世間がお休みの時が忙しい時で七夕も例外ではなく、その時期に行われる東北の夏祭りは一切見に行くことは叶いません。ですのでこの機会にねぶたを見ることができてとてもよかったです。一生見れないと思っていましたから。











次に三角状の建物(青森県観光物産館アスパム)の物産館に移動し13階で食事をした後、1階でお土産を購入しました。やはりリンゴ関連の商品が多かったです。
写真は三角状の側面から撮ったものです。



最後に青函連絡船の八甲田丸を外から見学して、おそらく当時現在の青森駅から貨物車両が船に入る線路、いわゆる引込み線を見学しました。




この先が八甲田丸の後部につながる。

日帰りでしたがとても有意義な時間を過ごすことができました。


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柏木ふれあいまつりでへくり沢の研究発表

2015/10/10

柏木市民センターで「柏木ふれあいまつり」が10月4日に開催され、外では屋台で飲食ができ、体育館ではステージで踊りや中学生の琴の演奏などがありました。
また館内では各サークルの発表に混じり、へくり沢の地形模型とジオラマも展示されました。










柏木市民センターは元仙台高校跡地にある市民センターです。体育館は街の中ではけっこう広いのではないでしょうか。会議室も十分な広さがあり、そこでへくり沢を中心とした昭和33年の地図をもとに作成した地形模型と八幡小学校界隈とへくり沢の昭和12年ころのジオラマ模型を展示しました。







地形模型は2014年の2月から有志8名ほどで半年かけて作ったものです。厚さ3mmのスチレンボードに昭和33の仙台の地図を写したものを数十枚用意し地道にカッターで切り、重ねていったものです。これでより立体的に地図を見ることができ、へくり沢の崖の深さを目で確認することができます。

ジオラマ模型はさらに対象地域をクローズアップし八幡町の春日神社入り口にある今野氏の昭和12年ころの記憶をもとに描いた絵を参考に作成しました。模型は単に地形ばかりでなく当時の建物により近づけて作りました。また田んぼや畑、その他の木々も記憶をもとに細かく再現いたしました。
当時を知る人にとってこの模型はとても懐かしいものなったでしょう。


このジオラマは地形模型完成後に着手し、これも半年くらいかかり2015年の春に完成しました。最初市電は複線で作製したのですが、この年はまだ単線だったとの意見から複線から単線へ付け替えたりして細かいところまでこだわっています。

作製に関わった受講生の我々は素人ながらに今まで学んできたことを活かして来場者に解説・説明をしました。

熊谷屋ブログも参考として並べさせていただきました。




こちらは蒲生の地形模型で宮城野区中央市民センターのみなさんが作成したものです。 




我々は単にこれらのものを作ってきただけではなく、それの前には3回の講義と1回の現調をしてへくり沢について学び調べてきました。
講師の方のお話だけではなく、今野氏の昔の記憶や受講生メンバーで地元の方の記憶の話や地質に詳しい先生などの話も交えてとても貴重な事柄を知ることができました。これは講座に参加したり本で調べたりするだけでは知り得ない貴重な情報でした。 


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「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というメッセージがしつこく出てくる時の対処

2015/9/8

ある朝パソコンを起ち上げると

「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というエラーメッセージが出てきた。


よくわからないので、とりあえずそのメッセージを消そうとしましたが、
何度も何度も出てきます。
挙句の果てにメールを開いたら、今までフォルダ分けしていたものが無くなりメールも消えてしまいました。
え、どうなってしまったのだろうか?
前の晩自動アップデートを行い再起動したらしいが、その影響だろうか?
メーカーに問い合わせてもWindows7をWindows10にアップグレードしたのでサポート外と言われるし、
ウィルス?故障?
いずれにせよこのままでは業務に支障をきたしてしまうのでなんとかせねばなりません。
修理を依頼する前にできること、考えられることをいろいろと考えてみました。
XPを使っていた当時はいろいろと不具合などがあってそれを解決するためにいろいろ知識を身につけましたが、
しばらく平和の状態が続いていたのでとてもあたふたしてしまいました。
メールは二つアカウントを設定していましたがなぜか片方だけがいちいちパスワードを確認してきます。
今さらパスワードと言われても…、以前メモしておいたものを入力しても受け付けず、知り合いにパスワードをリセットしてもらい、
なんとか送受信が可能になりました。
最初はファイルも開けませんでしたが、しつこいメッセージを×印を押すことにより、5~6回目ぐらいでやっと消えてくれてファイルも開けるようになりました。
しかし、何かする度にメッセージがしつこく出てくるのでまだまだ安心はできません。
よくよく確認するとエラーメッセージは
「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というもの。


つまりドライブのEをどうにかしなければならない。
調べてみると、本来デフォルトでEのはずのDVDディスクのドライブがDドライブになっていて、EはUSB差込のドライブにあてられていました。
他の外付けHDDなどもドライブ名が変わってしまっていました。
まずはUSB差込のドライブ名を適当な別なものに変え、DVDディスクのドライブ名をEに変更することでエラーメッセージは無事解消されました。
あとはほかのHDDなどのドライブ名を直して、メールの保存先も元の場所に戻してなんとかすべて復旧することができました。
たまにこのようにドライブ名が変わってしまう現象があるようです。
参考になさってください。

 


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蓮の花が見事に咲いています。蓮の実って本当にこういう形…

2015/7/25

奥州七福神の大黒天が祀られていることでも知られる喜伝山秀林寺は輪王寺の斜め向かい、
ちょうど北山トンネルの出口にあります。
その特徴的な山門の形は竜宮門です。
よく見るとその門の裏側に大きく立派なハスがふた鉢植えてありました。




蓮の花を間近でマジマジと見るのは初めてかもしれませんが、
よく見ると本当に蓮の実ってこういう形しているんだなぁと感動しました。















まだ蕾はあるので、これから見頃だと思います。お近くを通る際は是非足を止めて眺めてはいかがでしょうか?


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跡付丁と跡付丁公園  春日神社には昔 参道があった

2015/7/10

春日町の裏通り、法務局の裏辺りに小さな公園があります。いつもなにげなく通っていましたがその名前は跡付丁公園というそうです。



近くの辻票に跡付丁/北材木町とあったのでその跡付丁から名前がきているのだろう。



木町通一丁目の通りに東西に交差する道の角に辻票が建っていたのでその東西の道が跡付丁なのだろう。

しかし近所に住む知り合いに聞くと実は現在の場所と違うんだそうです。

実は現在の場所より少し南にずれて木町通一丁目の通りにある須藤紙屋さんの向かいから東に延びる道が昔の跡付丁で、それは国分町の通りまで突っ切っていました。(現在は西公園の通りから跡付丁公園まで)。



現在の表具屋さんの裏の辺りが昔の通りで春日神社のすぐ真裏を通っていたことになる。



では春日神社は後ろも前も道に挟まれた薄い土地だったのか?



これも実は現在の道とは若干違い今より少し南に道が位置していました。
現在の春日神社の正面はすぐ道路なのに対し大正元年の地図を見ると、参道の印が表記されています。




これらは戦後の区画整理で土地が区画し直され、周囲に分配してどうしても余ったところが跡付丁公園になったそうです。

大正元年の地図を見てわかる通り現市役所の南側の通り(表小路)と北材木町の通りを直結させるためにずらしたのですね。

ちなみに大正元年の地図には跡付町とありますが丁と町とちらが正しいのでしょうか。
【跡付町】(ここでのよみは 「あとつけ*ちょう」 と呼んでいる)
跡付(あとつけ)とは幇間(たいこもち)の異名で、即ち遊客の機嫌を取り、酒興を助けることを仕事とした男衆のことである。…住んでいた所からこの町名が生まれたと思われる。
三代藩主綱宗が隠居した万治三年(一六六〇)に本弓の町・二日町・天神下などの遊郭屋が禁止されたとか、当時国分町に外人屋(諸国各藩などから来た人々の宿泊所)がこの附近に置かれたことなどを思い合せてみると、二日町や国分町に隣接するこの裏横丁に、跡付町のような性格の町の存在が想像される…。
(仙台地名考より)

コメント (1件)

  1. ごとう よしこ より:

    ブログを拝見しました。今年も春日町内でお祭りが行われます。昔の写真を集めて皆さんに見て頂く機会を作っていただきました。是非こちらのブログもそのまま掲示させていただきたいのですが、いかがでしょうか?お店のpdfにして印刷と考えています。お店の名前もそのまま出ることになります。ご了承頂けたら、印刷(A4)し掲示物を作りたいとおもいます。使用は来月6月9、10日です。ご検討よろしくお願いいたします。

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いよいよ始まる杜の都プレミアム商品券in仙台

2015/7/9

全国各地で話題となっているプレミアム商品券が仙台でも7月11日より発売されます!

1000円の商品券が12枚綴りとなっていて、12000円分の商品券が10000円で買えるというものです。内半数の6枚は中小店舗のみ、残り6枚は中小店舗及び大型店舗でも使用することができます。

具体的に申しますと赤の専用券は熊谷屋本店で使用できます。緑の共通券も同じく熊谷屋本店で使用できます。

しかし熊谷屋のエスパル店や長町モール店では緑の共通券のみの取り扱いとなりますのでご注意ください。

一番良いのは全ての券を熊谷屋本店で使用するのがベストでございます。
どうぞよろしくお願いいたします。

 


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北山 寂光寺の参道はここにあった

2015/6/11

北山羽黒神社の別当寺は青葉山 寂光寺だったという話は(「北山の羽黒神社と青葉山の名の由来」)以前にしましたが、その参道の名残りがわりと最近まであったとう話を輪王寺の斜め向かいに店を構える横田やのご主人に教えてもらいました。寂光寺自体は明治元年に廃寺となりました。横田やのご主人が北山に住む90代のおばあさんに若い頃はその参道の名残りがまだあったと教えてもらったそうです。
実際その場所に立ってみると予想以上に広い参道でした。
それだけ大きなお寺だったのでしょうか。境内は羽黒神社の東側で北山霊園より南側あたりではないかと推測します。
左側細い路地がその先クランクになっており羽黒神社へとつながる。この道より右(東側)からピンク色のマンションが建っている位置までが参道の幅です。
地図上で確認。(地図をクリックで詳細)この地域は根白石街道と秀衡街道に挟まれたところである。
ちなみに現在の羽黒神社境内にある愛宕神社がもとあった場所は北山霊園の真ん中南側あたりだそうで現在も参道の一部が残っています。
この階段は壁で左に曲がりその先は北山霊園の管理事務所の裏にたどり着くが、実際当時はどうだったのか。壁の先に階段があったのか?
反対側から見るとちょうど壁のうらは駐車場?になっており開けている。ここら辺が愛宕神社の境内だったのか?
北山霊園内にの駐車場のど真ん中にどうどうとある松の木。
これも昔からのものなのか。こういう邪魔なところにある大きな木は大概そうだろう。
そういう木とそれを残そうとした配慮はとてもすてきだと思います。

コメント (7件)

  1. バッケ より:

    進展あったら書き込みしようといましたら大分日が空いてしまって失礼します。
    この旧街道の先、枯木橋の傍らに、(確か)「月山大権現 羽黒山大権現 湯殿山大権現」と刻まれた石碑があり、その繋がりと田中様のように思っておりました。
    せめて碑がある地に昔あった物がどのようにあったか知りたく、図書館で古地図を見ようとしたものの自力で探せずじまい、これ以上辿れずにいました。
    久しぶりに碑の前を通ったついでに再度碑を見ました。すると、日が射してきて前には見えなかった文字を確認。
    「金峯山 行者」
    名前の隣に細く刻まれておりました。
    脇に日付と講中立之の文字。

    話は飛びますが。鉄門海上人についてネットで読んでいたところ、下記の表記がありました。

    『上人の足跡が、北は北海道から関東にまで及び、庄内地方をはじめ上人の徳を称える頌徳碑がいたるところに建立しています。 主な石碑を一覧表にまとめましたが、現在も調査中です。 皆様の近くに『湯殿山 鉄門海』などと刻まれた石碑がありましたらお知らせ頂けると幸いに存じます。御協力をお願い致します。

    県名 市町村 石碑数 場  所 碑    文 建立年月日

    庄内町 22基 余目連枝 厳島神社 湯殿山行者 鐡門海
    (一部抜粋)』

    このような碑なのかもしれませんね。
    金峯山寺、奈良の吉野に縁のあるお方と思いました。
    遠き昔、このような方がいらっしゃった事、それを残して伝えた事、今、このように気づく事、少ししみじみと思いをはせました。
    どこまで当たってるかわかりませんが、ネタを投げた者としてこれで話がとりあえず締められればすっきりしそうでしたので書き込みいたします。

  2. 田中泉 より:

    石碑「徳音海」についての予想

    各位
    おばんでございます。
    表記の件、思い当たることがあるので書き込み致します。
    「徳音海」の文字がどのように刻まれていたかは存じ上げませんが、
    私には人名の様に思われます。
    では、どこの人間か。
    現在の山形県、出羽三山の湯殿山系統の行者であれば納得できます。
    明治の廃仏毀釈以前、出羽三山は月山と羽黒山が天台宗、
    湯殿山は真言宗での奉仕を行っていました。
    この湯殿山系統の行者には名乗りに特徴があり、
    宗祖空海(湯殿山系統では湯殿山は空海の開山と申し上げる)から
    一字頂戴し、「〇〇海」と名乗ります。
    湯殿山系の即身仏になられた行人様には
    真如海上人、鉄門海上人といずれも「海」が付きます。
    とすると、徳音海上人に世話になった人が供養に建てたのではないかと。
    予想する次第です。胎蔵界大日如来の種子が書いてあれば完璧なんですが。

    羽黒山神社別当が寂光寺は形にはまっていますので
    素直に行けばこれで。

    1. admin より:

      田中さん
      なるほどおもしろい推理ですね。梵字についてはまったくわからないですけど「徳音海」という文字の上に何か梵字が刻まれているようですね。
      胎蔵界大日如来の種子かは私には判別着きませんが…。

      詳しい説明ありがとうございました。

  3. バッケ より:

    石垣のところで行き止まりに見える石段、以前はお寺があったのだろうかと、石段脇にあった石碑に刻まれた文字を頼りに探し始めたもののわからず、結局、廃寺の名前と地名からこちらのブログを見つけました。
    石碑に刻まれた「徳音海」(ネットで検索してわからず)からお寺があったと推測してたのですが、もしかしたら石碑は旧街道に沿ってるからあるのかもしれませんね。
    愛宕神社はあの地にずっと鎮座されてたと思ってました。
    違う視点からの話を読めて面白かったです。
    上れなくて、石段を上った先がどうなってるかわかったのがなによりでした。

    ところで、近場に謎がもう一つあるのです。
    鳥居前にある羽黒神社の案内図にある「帝釈天」。
    とだけ、申しておきます。
    ゆくゆくは境内でどなたかに尋ねようと思ってます。

    1. admin より:

      バッケさん、こんにちは。
      なるほど、北山霊園の下の道にある石段を調べていたらこのブログに辿り着いたのですね。
      羽黒神社にある現在の愛宕神社がその昔、北山霊園あたりにあったという話は横田やさんのご主人にお聞きしました。
      残念ながら石碑の「徳音海」については存じ上げませんでした。

      「帝釈天」に関しましては、現在はありませんが、羽黒神社境内の愛宕神社のとなりに最近までありました。
      しかし神社の建物の後ろに道路を通すためになぜか帝釈天だけが撤去されたそうです。震災の年あたりのことです。

      1. バッケ より:

        ご返信ありがとうございます。
        他の日付で帝釈天についてのお話をされているのを書き込みした後に気づきましてf(^^;)失礼しました。

        帝釈天を奉ってるところを調べたときに仙台では羽黒神社だけでてきたのと、他の方のブログでは帝釈天とその後ろにあったお寺がなくなっているとあったので、移転に期待もしてましたが、そうでしたか。

        境内では春にご神木を仰ぎ見る楽しみがあるのですが、御神木の下が古墳(昔からの自然の地形だと)だったとは思いもよらず。
        住んでる北山の氏神様をようやく知る事もできました。
        他にも興味あるお話があってためになりました。
        ブログ、これからも拝読させていただきますね。 

        1. admin より:

          ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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羽黒神社のお祭

2015/6/10

北山羽黒神社は,仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長7年(1602)に福島県信夫郡より分祀してきたものと伝える。仙台市登録文化財となっている北山羽黒神社境内社は,かつて当社の拝殿であったが,昭和45年(1970)の新築の際に移築され,境内社として残されたものである。入母屋造(いりもやづくり)桟瓦葺で,桁行(けたゆき)三間,梁間(はりま)二間,三方に縁を廻らし,一間の向拝(こうはい)が付く。江戸時代後期の建立と思われる。(仙台市ホームページより)

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6月6日は北山羽黒神社のお祭りでした。
ここのお祭りはここ最近の仙台市内の神社のお祭りでも珍しく賑わいをみせ、氏子の演芸が盛んです。
まちなかの神社のお祭りとしては賑わっている方なのではないでしょうか。
同日程で行われていた春日神社のお祭りはもっと屋台も人も多いですが、羽黒神社もなかなか面白いなと思いました。
こちらがかつての羽黒神社の社殿です。
現在は立派で頑丈な社殿が建っています。
他にも境内には愛宕神社があり、さらに少し前まではその横に帝釈天がありましたが後ろの道路を通すために撤去したそうです。なんとも悲しい。(写真は当時のもの、木の下に「帝釈天」板看板が見える)
羽黒神社の階段から見る景色。
翌 日曜日にはお神輿があり町内を練り歩いてました。

 


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平成27年 青葉まつり

2015/5/25

今年は伊達政宗公の長男・秀宗公が、伊予宇和島に入って400年の今年。宇和島市で開催されている「宇和島伊達400年祭」を記念して、宇和島市民からの公募で選ばれた伊達秀宗公と家臣が登場しました。 ですが仙台市立第二中学校の生徒が神輿渡御の列に参加していてずっと彼らの追っかけをしていましたので、他の山鉾等はほとんど見ませんでした。 中学生の生徒達は朝の7時半に近くの小学校の体育館に行き、神輿の方々と一緒に着替えて8時には青葉神社へ移動して準備をしていました。 DSC_0247

青葉まつりの警備は仙台青年会議所の皆様がボランティアで行っているのです。
いつもご苦労様です。
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出発は9時20分頃、大太鼓を先頭に青葉神社から行列が始まりました。 DSC_0260 通町の検断屋敷の前を通り DSC_0298 横山醤油前を通り DSC_0326 フォーラムから熊谷屋あたりで1回目の給水休憩。 DSC_0347 その後二日町方面へ向かい、お神輿は加藤八百屋の前で神主さんに祈祷してもらっていました。 DSC_0352 生徒達は途中で別れ市役所で30分程度昼食休憩をとったあと、一番町商店街を練り歩きました。 ここからは武将の行列も加わり間近で見ることができるので意外といいです。
(画像をクリックすると動画が見れます)
青葉まつり1
(画像をクリックすると動画が見れます)
青葉まつり2
(画像をクリックすると動画が見れます)
青葉まつり3
(画像をクリックすると動画が見れます)
青葉まつり4
(画像をクリックすると動画が見れます)
青葉まつり5
その後藤崎デパート前で休憩したあと、青葉通から東二番丁通を北上して、三越のところで定禅寺通に曲がり晩翠通で折り返して市役所がゴールです。約2時頃、ここから小学校に戻り着替えて解散。 DSC_0438 朝早くからかなり長い道のりをご苦労様! この行列に参加できるのはこの学校の特権です。疲れたけどいい思い出になったことでしょう。


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