仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:仙台さんぽ

青葉神社例大祭

2016/11/2

伊達政宗公を祀る 青葉神社の例大祭に参列して参りました。

青葉神社のお祭りは春と秋、そして青葉まつりの三つ。
春は政宗公の命日の5月24日に、
秋は伊達政宗が中納言に任命された日を新暦に換算した10月9日に行われています。

朝、雨が降っていましたが例大祭が始まる頃には無事止みました。

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拝殿に入り、神主がお供えを終えた後、参列者も本殿に向かい一人ずつ玉串奉奠をいたしました。

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一通り終えた後、場所を移動して直会が行われました。

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境内では青葉神社通りまちづくり協議会のテントも出ていました。
ここでは東北工業大学の方が作成した一昔前の通町の町並みが展示されていました。

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へくり沢にはもっと上流に源流があった

2016/10/29

柏木市民センターでの事業
「へくり沢ウォーキング」
今回で4回目です。ひとまず最後になります。
最初の1〜2回目は2015年の11月に行われれ、柏木市民センターから出発してへくり沢を下って広瀬川との合流地点まで歩くというもの。
3回目は6月に行われる、今度は逆に上流へと歩きました。出発は新坂の上にある知事公館からで春日神社の辺りまで行き柏木市民センターへ戻るというもの。

そして今回はこれまではへくり沢の下流部分を歩いたのに対して、「源流を訪ねる」と題しまして上流部分を初めて歩きました。

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参加した人数は定員の15名。

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まずは出発前に模型を使って予習です。

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いつもは最後になる春日神社から始まり今野さんも張り切って説明していました。

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ここは四ツ谷用水とへくり沢が交差する所なので、四ツ谷用水の洗い場跡を見学して、実際立体交差している部分の上に立ちました。
みんなが立っているのが四ツ谷用水の上で、2枚目の画面左側石垣が見え土地が下がっているのがわかると思いますが、へくり沢の滝の部分です。

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へぇ〜この下を四ツ谷用水が流れているのかぁ。

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へくり沢の暗渠部分は道が赤くなっていて赤道と呼ばれています。その赤道を辿って行きます。

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途中タコ公園で一休み?

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さらに歩くと国見小学校に着きます。

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道路に出てから国見コミュニティーセンターへ向かいます。

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信号の隣に花がお供えされていますが交通事故とかそういうものではなく疱瘡神様なのです。
もともと国見台病院の敷地にあったものの一つで病院を建てる祭、移動したそうです。

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背後の建物は国見児童館でここがその昔堤でした。つまりため池でここからへくり沢が下流へと流れて行くのです。

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ちなみにこのすぐ上の国見コミュニティーセンターも堤で2段階になっていました。

少し移動して福聚幼稚園の駐車場に来ました。ここから下を見ると地形が溝のようになっています。
これはへくり沢へと流れ込む支流でキツネ沢いうそうです。

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策の右側の溝がキツネ沢の跡になります。

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下の国見コミュニティーセンターから見た写真で正面の木の左側に側溝がありますがそこの場所を通って堤に流れ込んでいたと思われます。
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近くに仙山線の駅、東北福祉大駅がありその脇に道路が通っていますが、駅が作られる以前は芋沢街道と言って細い道が本道として使われていました。
それでも昔はバスが通っていたそうですが、今ではその街道を横切る踏切は人しか通れません。

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先ほどコミュニティーセンターと児童館の堤からへくり沢が始まると言いましたが、実は源流はもっと上なのです。
堤とは川を堰き止めてため池を作り農業用水として使っていたのです。ならばその先にもっと上があるのは当然です。

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芋沢街道の踏切を越えた少し先が本当のへくり沢の源流だったのです。
ここは昔の地名で一ノ坂、二ノ坂というそうで、今でもその名残が感じとられる建物の名前があるというのはとてもいいことですね。

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ということで今回はここで解散です。


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市電開業90周年

2016/10/29

東北工業大学の一番町ロビーにて市電の当時の写真展があるというので行ってきました。

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私も幼い頃のかすかな記憶を辿って懐かしく写真を見ました。
当時の行動範囲はとても狭く家からの数百メートルほどの範囲しか記憶にほとんど残っていません。
長町の駅や原町の駅などは見てもわかりませんが想像を膨らまして見ていました。

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2階ではスライドを見ながら説明と座談会があるというのでそちらも参加しました。
開業90周年の節目の講演は宮城野区で印章店を経営する庄子喜隆さん。
面白いエピソードのたくさん聞けました。

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座談会は庄子さんに加え仙台市博物館仙台市史編室長の菅野正道さんらを交え行われました。

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へくり沢探索ツアー

2016/6/4

3年前から柏木市民センターではへくり沢について講座が行われてきました。
最初は3〜4回に分けて講師を呼んで講座がありまして、私はへくり沢に興味があったのですべての講座に参加しました。

【へくり沢おさらい】
仙台城下町の北西に位置する深い沢、現在の八幡町あたり。
そこにかかる橋を土橋といい、そこに通ずる道を土橋通りと呼んだ。
へくり沢はどこなのか、土橋はどこなのか、なぜ土橋通りと呼ぶのか、幾つかの疑問を持っていたところにちょうどこの講座があったので参加しました。
その後講座を受けた人の中から有志で昭和33年の仙台市の地形模型を製作し、翌年には今野さんの描いた絵を参考に八幡町界隈のジオラマを作製。いずれもへくり沢の地形が詳しくわかるものでした。

この事業は4年間と決まっているそうで、今年がラストイヤー。その集大成で完成直後まずは一般の方を迎え事業報告会、そして翌年の柏木市民センター祭りで来場者への披露及び説明、
さらに実際にへくり沢跡を受講者たちが今までの知識を元に市民(まち歩き参加者を募り)に説明しながら歩く事業を行いました。
すでに去年の11月に2度行っており、今回は3度目。

今回のスタッフメンバーは柏木市民センター小野館長と山内さん、有志メンバーより私の他、北波さん、三品さん、鹿戸さん、付き添いで青葉区中央市民センターのお二人。その他、春日神社待機組が今野さんと皆川さんです。

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今回6月4日に行われ、この日はとても天気が良く、良すぎて日焼けしてしまうほどでした。
前回の集合場所は柏木市民センターでしたが今回は知事公館です。

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ここはすぐ下に新坂という坂があります。新坂というからには新しい坂です。そしてそこへ向かう道を新坂通りと呼びます。
現在の新坂通りはそこから大学病院を越して北側に位置します。そこは新坂町がありますがそこから南には大学病院に突き当たります。
しかし本来なら大学病院ができる前は道があり、さきほどの新坂まで繋がっていたのです。
ちなみに大学病院ができて寸断された時は西側脇に新新坂通りが作られました。

新坂は新しい坂と申しましたが、これはへくり沢を渡るために元禄年間頃に新しく作られた坂という意味です。

館長さんの挨拶と北波さんの解説。

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まずは15人ほど参加者が集まり2班に分かれて出発しました。
最初は知事公館よりすぐ下にある東北で最古の板碑、澱橋不動尊。

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それについて一通り説明が終わると何やら隣の民家に移動してここには大砲の弾があると説明してくれました。
説明してくれたのはそこに住む方でした。何やら集まっているのを見てせっかくだからと庭の敷地に入れていただきました。他人の家なので本当は入っていけないのですがご主人自ら説明してもらい、思わぬ偶然にラッキーでした。この砲弾はロシア戦争の時のものらしいです。

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そこからへくり沢の河口にあたる地域を歩きました、ここは暗渠で現在、住宅地になっています。ちょうど尚絅女学院の裏の崖です。

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上の写真は下の写真の住宅の真ん中を通る道路を歩いているところです。

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とても深い崖になっていますが、普通河口でしたら浅く広がりをみせています。しかしその昔へくり沢と広瀬川は平行して流れていて、流れの速い広瀬川にその一部を取られてしまったのです。いわゆる河川争奪で途中からもぎ取られたため本来の河口部分が無くなり深い沢からいきなり広瀬川に流れるような形になったのです。

集落を抜けると壁にぶち当たります、この壁こそが土橋なのです。よく見るとジグザグにつたって上に登る道があります。国道48号戦から尚絅女学院へ向かう途中両側を見ると両側は深い崖のようになっています。つまり沢を横切るように道が走っているのです。

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土橋に上がってから疱瘡神を見学。
これは一見何でもないような石ですが、ここを工事した時に掘り起こされ、その後、実はたいへん古いものだと判明しこの場所に祀られたそうです。

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我々がここから移動しようとした際にここの町内会長さんが声をかけてきて疱瘡神について当時の事を話してくれました。掘り起こされ時は単なる石と思われ捨てられたのですが後から貴重な歴史的石だということがわかって一生懸命探したそうです。誰も見向きもしない石を一生懸命見ている人達がいたので声をかけたそうです。
当時の話を当事者から聞くのはとても貴重でした。

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土橋の反対側に周り、急な斜面を下りて行きました。ここもへくり沢の深い崖です。
その昔、戦前ここには旧制ニ高のアイスホッケーのリンクがあったそうです。
当時リンクを管理していた庄子さんのご子息がそこに住んでいてお話を聞くことができました。

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現在は建物が建っていますがそこにリンクがありそこに張った水はへくり沢の水ではなくもともとは四谷用水の水だったのだそうです。四谷用水とへくり沢が交差する春日神社の掛樋から12月の5日間朝の8時から夕方の5時までへくり沢へと解放したのです。そしてリンク使用中、へくり沢はリンクの下を流れていたらしいです。

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なぜここにリンクを作ったか?ここはスペースがあり深い沢で日陰なので氷がなかなか溶けにくいことが理由にあげられます。
大きさは30m×60m、これらのことは尚歯会の文献に残っているそうです。

このあとへくり沢の暗渠に沿って遡り石切橋まで移動しました。

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ここまでくるとへくり沢はある程度細く浅く、渡りやすくなりこの橋を通って昔の人は西側と東側の往来をしていました。
逆に言えばここしか橋が渡せず、中島丁の侍もみな遠回りをしてここを通ることになります。
ここは昔の欄干の名残があります。

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春日神社に移動して待機していた今野さんが説明をしてくださいました。
社殿の中に掛けられた今野さんが子供の頃の昭和15年頃の記憶をもとに本人の描いた八幡小学校界隈の絵図を見ながら、説明を受けました。質問も多く出てなかなか終わらなかったようです。

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春日神社の社殿より参道入り口の鳥居までいくつか段差があり、その途中を四谷用水が横切っています。神社より東へ30mほど行くと昔四谷用水の水を使って洗い物をしていた洗い場跡があります。

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今回はへくり沢がメインなのでいったん戻り、いわゆる赤道(あかみち)となった暗渠を辿ります。この赤道は春日神社脇の四谷用水と交差するところから国見小学校あたりまで続く遊歩道になっています。

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交差の場所はあの「プラタモリ」でタモリさんも訪れたところ。

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赤道をしばらく進み、道は更に続くのですがタコ公園のところで右折して土橋通りに出て柏木市民センターへと向かいました。
市民センターに着いて総括をしたところで解散。

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瑞鳳殿 「奉納の会」

2016/5/10

平成28年度 奉納の会が5月10日に行われました。

これは仙台藩祖伊達政宗公を祀る「仙台青葉まつり」に合わせて、
産業や工芸の奨励を行った公の偉業を偲び
感謝の意を表するために地場産品を公の御墓、瑞鳳殿に奉納するものです。

ここ数年はいつも天気が良いのですが、今年は朝から生憎の雨の中で執り行われました。
今年は「G7仙台財務大臣・中央銀行総裁会議」が控えており、意気込みも皆ひとしおです。

熊谷屋からは仙台駄菓子の箱詰を奉納させていただきました。

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フォーラムで映画「殿、利息でござる!」を見てきました。最後は感動の涙でした。

2016/5/10

宮城で先行公開の映画「殿、利息でござる!」を公開翌日の5月8日(日)に仙台フォーラムにて見てきました。

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会場は朝から満員御礼で、その次の時間帯では舞台挨拶もあったようです。
仙台フォーラムは1999年に開館して、徐々に認知度も高まり今では「熊谷屋さんはどこらへんにあるの?」と聞かれるとフォーラムの斜め向かいと答えるだけでだいたいわかってくれるほどです。フォーラムさんのおかげで北鍛冶町も以前より老若男女多くの人が訪れるようになりました。

話は戻して
この映画は仙台市より北に位置する黒川郡の大和町は吉岡宿で実際あった話だそうです。
現在もその場所にある穀田屋さんのご先祖様が主人公になるのですが、
実はその右隣の酒屋さんが児玉商店さんで、先日吉岡神社の島田飴を作っているとブログに書いた兒玉(こだま)さんのお店なのです。
映画には地元の方が多数エキストラで出演しており、その中に児玉さんも参加しているとのことで、映画を見にいきました。それがなくても地元映画ですし内容も面白そうですし、キャストも宮城にゆかりのある人でしかも豪華な役者さんがずらっと出演していたのでとても興味深く思っていました。
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阿部サダヲさんが主演なのですでに面白い映画という頭で見ていたんですが、
まさか涙が出るくらい感動するシーンがあるとは思いもしませんでした。

結局、エキストラの中から児玉さんは見つけられませんでしたし、セリフもあったという本間ちゃん(本間秋彦氏)も全然わかりませんでした。

「肝煎」(きもいり)、「大肝煎」(おおきもいり)という言葉を初めて知りました。
約2時間という時間は面白くてあっという間に過ぎてしまいましたが、充分楽しめました。
また吉岡に行ってゆかりのある場所をあらためて訪ねてみたいです。
とてもオススメの映画なので皆さん見てはいかがでしょうか。
そして是非吉岡宿を訪れてみてください。

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吉岡宿はここです

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半子町の藤

2016/5/8

先日新聞に半子町の藤が一般公開されたと載っていたので、日曜日に見に行ってみました。

門が開く前からけっこうな人が待っていました。

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この時の時点でまだ5分6分咲きといったところでしょうか。

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ここの家は一般の家なのですが、政宗公時代に御大工の棟梁をやっていて、当時朝鮮から持ち帰った臥龍梅を特別に分けてもらい、今に至っています。

樹齢は約420年ほどと推定されます。

アクセスは
JRで仙山線東北福祉大前駅、
バスで子平町-北山循環で、壽徳寺前で降車となります。

 


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さる(申)年ということで

2016/1/1

あけましておめでとうございます。
今年の干支は申年です。
新年早々こんな話からで申し訳ありませんが、「鬼門」というものをご存知でしょうか。

鬼門とは方角でいうと北東、その方角から鬼が入ってくると言われています。この言葉は中国から伝わり風水から来ていると言われています。また中国の北東から異民族が攻めてくるのを鬼になぞらえたとも言われています。
日本に伝わり独自の陰陽道と合わさり現在の「鬼門」となったようです。

古来、北東の方角の鬼門には守護するためのものを配置します。お城でしたらそこから鬼門の方角に寺院を配置します。仙台城に対する定禅寺や東昌寺や東照宮(お寺ではありませんが)などがそれに当たります。城下町が広がるにつれ鬼門の位置も広がったのでしょう。
東昌寺のマルミガヤの木は鬼門除けに政宗公が植えたとされますが樹齢500年なので真相は定かではありません。


 


 

先ほど述べた鬼門の方角、北東は十二支でいうところの丑寅の方角になります。鬼門と反対の方角の南西は未申
となり、裏鬼門と呼ばれます。そこで鬼門除けに猿などの置物を置くことがあります。

長々と鬼門について述べましたが、ここでやっと今年の干支の猿が出てきました。


仙台の国分町の定禅寺通の北側に「佐正」という仏壇屋さんがあります。
よく見るとその建物の2階部分に猿の彫刻が鎮座しています。
実は先ほど述べた鬼門の方角に猿の彫刻を置いて鎮守しているのです。
実はこれには経緯がありまして、以前ブログに書きましたが、春日町の春日神社の前の通りが本来現在より南よりだったのが戦後の区画整理で北にずれたため、国分町にぶつかるところも道路が「佐正」さんの南側から北側に移りました。
昔の道路だったところの痕跡は残っていませんが、「佐正」さんの隣の建物の位置か、もしくは「佐正」さんの建物の一部になってしまったのか。
とにかく建物の北側が道路に面して露出してしまったのです。

そこで猿の彫刻を置くことによって鬼門を守っているのだそうです。
建物の形状が猿を置くためにたまたま一部凹ましたのか、(鬼の)角(つの)を取ると災いが来ないという謂れもあるみたいです。

鬼門除けに置物を置くというのは以前ブログで兵藤飴屋さんの時にもありました。
兵藤飴屋さんの建物は現在はもうありませんが、「佐正」さんの前を通ったらちょっとだけ上を見上げてみてください。


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良縁を求め遥々と~ ” まぼろしの島田飴”

2015/12/7

黒川郡大和町吉岡に島田飴というものあり。祭でこれを手に入れることができたら良縁に恵まれるという縁起物。


宮床の北側に昔、宿場町で栄えた吉岡という町があります。そこにある吉岡八幡神社での毎年12月14日に行われるお祭りで花嫁行列があり、島田飴という変わった形の飴が売られます。
その島田飴を買い求めようと前日の夜8時から並び始め夜中には50人にもなるほど各地から人々がやってきます。
毎年売切れ、今年は2400個作るそうです。

さらに今年の12月14日お祭り当日はNHKの「あさイチ」が生中継で入るそうです。

島田飴の形は花嫁の髷(島田髷)をかたどったもので、縁結びの縁起物として喜ばれています。その大きさはハンドボールくらいの大きさとでもいいましょうか。



先日11月28日に河北新報でもちょうどとりあげられましたが、
今回その島田飴の製造過程を見学させていただきました。

ボランティアの方々で作られているということで、それらを仕切って切り盛りしているのが島田飴祭実行委員長の児玉金兵衛さんです。
島田飴はもともと「白酒屋」という菓子屋で作られていましたが菓子業やめてその歴史が終わりかけた時、児玉さんがその火を絶やすものかと「白酒屋」の職人さんに特別に弟子入りをして工場の一角を借りて作ってきました。その後も場所を変え職人さんに手伝ってもらいながらも飴作りを続けて来ました。
そしてその職人さんも高齢になり一緒に作ることができなくなり、いよいよ児玉さんへの肩の荷が重くなります。


児玉さんの自宅、児玉金兵衛商店は宿場町時代から酒屋を営む歴史のあるお店です。その蔵は平成27年NHKのドラマ『独眼竜花嫁道中』の舞台にもなりました。


朝早めに飴の仕込みを済ませ10時頃からボランティアのお手伝いの方々が来て飴作りの始まりです。


まずは髷の小さなパーツを形作っていきます。


次に土台となる大きな部分を作ります。型となる石に漆を塗ったものを使用して一つ一つ手作業で形作ります。
形ができたものは同じ型に移し替え冷まします。整形する際、飴の温度が熱くてもだれてしまい、冷め過ぎても伸びにくく難しいもので、力のいる作業です。飴に関わらず菓子作りは作業しやすい硬さでは製品としてうまくないのです。



昔使っていた型は木製です。



次に冷めた土台に赤い飴を巻きつけます。これも温度が大切です。温かすぎると内側の接着部分が剥がれてきます。


続いて赤い飴でもう一つパーツを作ります。これができたところでお昼休憩。




午後からは仕上げに入ります。午前中に作った二つのパーツを本体に取り付けます。この時も赤い飴を上から取り付けて接着剤の代わりをします。またこの赤い飴の温度が高すぎると他のパーツが垂れてしまいます。
赤の角のような部分が上に向かい、白い部分が左右に水平に伸びる、これが理想的な形です。


これまでの作業の中で見ていて一番苦労するところだと思いました。
みなさん一つ一つ思いを込めて真剣な表情で作業しています。


一通り出来上がったら最後はラッピングと箱詰めです。せっかく出来てもここで終わらせては飴が湿気ってしまいます。


最後に吉岡八幡神社に寄って行きました。隣には古い武道館があり現役で使用されているようでした。
みなさん良縁に恵まれるといいですね。


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仙台北法人会青年部会のメンバーが四ッ谷用水について学びました

2015/11/27

経営者の集まりの団体という仙台北法人会青年部会の事業で「四ッ谷用水を辿る会」を実施ました。
青年部会は特に30〜40代のメンバーが多い中で仙台郷土の歴史に興味はあれど触れることはなかなかないので今回の事業はとてもいい機会だったのではないでしょうか。

講師に「仙台・水の文化史研究会」の会長を務める柴田さんを始め3人の方にお願いしました、我々メンバーは二つの班に分かれて説明をしていただきながら四ッ谷用水の暗渠を歩きました。



スタートは大崎八幡宮のちょうど二之鳥居をくぐってすぐの太鼓橋からで、ゴールは北六番丁の茶室「六幽庵」までの四ッ谷用水の暗渠を辿りました。
太鼓橋の下も四ッ谷用水がが流れています。

私は以前にも何度か四ッ谷用水を歩き、ある程度知っているつもりでしたが、青年部会メンバーと一緒に歩くことができて、また新鮮でした。
フェンスの向こう側が四ッ谷用水です。現在は仙塩工業用水道導水路として使われています。

下の写真の歩いている左側が暗渠になります。

正面の緑の柵の左側の歩道が暗渠です。不自然な道幅になっています。



正面の建物はブラタモリにも出たところです。
上の写真の正面のアパートの向こう側から下の道に降りました。
ここ石切町にある瀬田谷不動尊は石切職人の神社でここで職人たちが踊った踊りが雀踊りの由来となったそうです。
石切町はその昔仙台城の石垣を造った石垣衆の屋敷があったところで、今も小梨石材店などがあります。
ちなみに写真の小梨石材店は盛岡から来たそうで、比較的新しい石屋さんなのだそうです。(もちろんかなり古くからあります)
築城当時から残っている石材店は48号線沿いにある黒田石材店だそうです。


春日神社の参道にある昭和15年ころ当時を思い出して近所に住む今野氏が描いたこの付近の絵です。
これをもとにジオラマかした模型が柏木市民センターに展示されていますので興味のある方はぜひご覧ください。

この先の春日神社の前を四ッ谷用水が横切っています。
上の写真の鳥居をくぐり階段を上ると境内との境目に四ッ谷用水が流れていて、その暗渠の上を歩くことができます。これを東に少し移動したのが下の写真。
これが四ッ谷用水へ降りる階段跡になります。住居の土地から四ッ谷用水までの高さが少し伺えます。ここで洗い物をしたのでしょうか?
春日神社から階段跡の途中に南に向かう第一支流跡がありました。この塀の向こうの直線的な通路がそうです。
土橋通に第二支流がちょうど歩道のあたりに流れていました。
写真は土橋通に面する宮城県看護協会で、ここがその昔伊達綱村公のお飼鳥屋敷跡でした。最近まで当時の松が現存していましたが今は病気で切られ切株のみがあります。(グーグルマップのストリートビューでさかのぼると松の木が確認できます。https://goo.gl/VZucW4

ここから東へ向かい北六番丁を歩くわけですが、四ッ谷用水はまだ道路の少し上を流れています。

下の写真の奥に見えるのは林宅寺へ用水を渡る石橋です。この写真を撮った辺りが(北六番丁の)通りの高さのピークでそれを過ぎたところ(となりの建物)で北六番丁通りへと降りてきます。

林宅寺となりの建物前の部分を通り道路へと合流します。
ここが合流地点。

ここは支倉堀と言って東北大学構内にあり、一部保存されています。四ッ谷用水はだいたい南側の仙台中心部へと支流から流れていくのですが、ここは珍しく北側へと流れていきます。
最後六幽庵に到着して、せっかくなので庭園を一周見て回りました。
六幽庵は仙台市の茶室ですがさまざまな用途で借りることができます。
もともと仙台市内の建設会社の橋本店から仙台市に旧橋本邸離座敷を「茂ケ崎荘」とともに寄贈されたもので、昭和33年(橋本店ホームページより)仙台市立第二中学校の北側の仙台市長の官舎脇に移築されました。
しかしながら残念なことにさほど使われることなく建物も朽ちて、また官舎に市長も住むことがなくなってしまったので平成に入り解体されたそうです。
そして平成3年に新しく生まれ変わって市民の憩いの場として建てられました。仙台市管理のもと市民に貸し出しがなされましたが、これもまた残念ながら存在があまり知られていないために十分に活用されていなかったようです。
そこで最近になり第3木曜日を一般無料公開日として利用を広めるよう力を入れています。
街なかにひっそりと佇む空間として心が落ち着きます。ぜひ足を運んでみてください。
お抹茶と菓子をいただき一息ついたところで柴田さんの貴重なご講話をみんなで聞きました。


立礼室(りゅうれいしつ)という外履きを履いたまま入れる部屋で行いました。
参加したメンバーは初めての体験でとても満足していたようです。
これからは街を歩いていても見る場所がきっと違ってくると思います。
最後にご協力いただいた「仙台・水の文化史研究会」の皆様大変ありがとうございました。
感謝申し上げます。


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