仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

創業320年表彰式

2016/2/5

仙台市・仙台商工会議所・みやぎ仙台商工会主催の『平成27年度創業・創立記念会員事業所表彰式』に出席してきました。

本日同時に優良従業員も表彰されます。
創業記念事業所は10年、20年、30年と10年ごとに表彰されます。

熊谷屋も前回は310年で表彰され、
今回は320年で表彰されました。
特に100年を越える事業所は壇上で表彰を受けます。他に390年の秋保岩沼屋ホテルさんや、200年のごんきやさんもいらしていました。








また10年後もここに来るために、
さらに頑張っていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。


コメント (0件)

コメントする 

さる(申)年ということで

2016/1/1

あけましておめでとうございます。
今年の干支は申年です。
新年早々こんな話からで申し訳ありませんが、「鬼門」というものをご存知でしょうか。

鬼門とは方角でいうと北東、その方角から鬼が入ってくると言われています。この言葉は中国から伝わり風水から来ていると言われています。また中国の北東から異民族が攻めてくるのを鬼になぞらえたとも言われています。
日本に伝わり独自の陰陽道と合わさり現在の「鬼門」となったようです。

古来、北東の方角の鬼門には守護するためのものを配置します。お城でしたらそこから鬼門の方角に寺院を配置します。仙台城に対する定禅寺や東昌寺や東照宮(お寺ではありませんが)などがそれに当たります。城下町が広がるにつれ鬼門の位置も広がったのでしょう。
東昌寺のマルミガヤの木は鬼門除けに政宗公が植えたとされますが樹齢500年なので真相は定かではありません。


 


 

先ほど述べた鬼門の方角、北東は十二支でいうところの丑寅の方角になります。鬼門と反対の方角の南西は未申
となり、裏鬼門と呼ばれます。そこで鬼門除けに猿などの置物を置くことがあります。

長々と鬼門について述べましたが、ここでやっと今年の干支の猿が出てきました。


仙台の国分町の定禅寺通の北側に「佐正」という仏壇屋さんがあります。
よく見るとその建物の2階部分に猿の彫刻が鎮座しています。
実は先ほど述べた鬼門の方角に猿の彫刻を置いて鎮守しているのです。
実はこれには経緯がありまして、以前ブログに書きましたが、春日町の春日神社の前の通りが本来現在より南よりだったのが戦後の区画整理で北にずれたため、国分町にぶつかるところも道路が「佐正」さんの南側から北側に移りました。
昔の道路だったところの痕跡は残っていませんが、「佐正」さんの隣の建物の位置か、もしくは「佐正」さんの建物の一部になってしまったのか。
とにかく建物の北側が道路に面して露出してしまったのです。

そこで猿の彫刻を置くことによって鬼門を守っているのだそうです。
建物の形状が猿を置くためにたまたま一部凹ましたのか、(鬼の)角(つの)を取ると災いが来ないという謂れもあるみたいです。

鬼門除けに置物を置くというのは以前ブログで兵藤飴屋さんの時にもありました。
兵藤飴屋さんの建物は現在はもうありませんが、「佐正」さんの前を通ったらちょっとだけ上を見上げてみてください。


コメント (0件)

コメントする 

良縁を求め遥々と~ ” まぼろしの島田飴”

2015/12/7

黒川郡大和町吉岡に島田飴というものあり。祭でこれを手に入れることができたら良縁に恵まれるという縁起物。


宮床の北側に昔、宿場町で栄えた吉岡という町があります。そこにある吉岡八幡神社での毎年12月14日に行われるお祭りで花嫁行列があり、島田飴という変わった形の飴が売られます。
その島田飴を買い求めようと前日の夜8時から並び始め夜中には50人にもなるほど各地から人々がやってきます。
毎年売切れ、今年は2400個作るそうです。

さらに今年の12月14日お祭り当日はNHKの「あさイチ」が生中継で入るそうです。

島田飴の形は花嫁の髷(島田髷)をかたどったもので、縁結びの縁起物として喜ばれています。その大きさはハンドボールくらいの大きさとでもいいましょうか。



先日11月28日に河北新報でもちょうどとりあげられましたが、
今回その島田飴の製造過程を見学させていただきました。

ボランティアの方々で作られているということで、それらを仕切って切り盛りしているのが島田飴祭実行委員長の児玉金兵衛さんです。
島田飴はもともと「白酒屋」という菓子屋で作られていましたが菓子業やめてその歴史が終わりかけた時、児玉さんがその火を絶やすものかと「白酒屋」の職人さんに特別に弟子入りをして工場の一角を借りて作ってきました。その後も場所を変え職人さんに手伝ってもらいながらも飴作りを続けて来ました。
そしてその職人さんも高齢になり一緒に作ることができなくなり、いよいよ児玉さんへの肩の荷が重くなります。


児玉さんの自宅、児玉金兵衛商店は宿場町時代から酒屋を営む歴史のあるお店です。その蔵は平成27年NHKのドラマ『独眼竜花嫁道中』の舞台にもなりました。


朝早めに飴の仕込みを済ませ10時頃からボランティアのお手伝いの方々が来て飴作りの始まりです。


まずは髷の小さなパーツを形作っていきます。


次に土台となる大きな部分を作ります。型となる石に漆を塗ったものを使用して一つ一つ手作業で形作ります。
形ができたものは同じ型に移し替え冷まします。整形する際、飴の温度が熱くてもだれてしまい、冷め過ぎても伸びにくく難しいもので、力のいる作業です。飴に関わらず菓子作りは作業しやすい硬さでは製品としてうまくないのです。



昔使っていた型は木製です。



次に冷めた土台に赤い飴を巻きつけます。これも温度が大切です。温かすぎると内側の接着部分が剥がれてきます。


続いて赤い飴でもう一つパーツを作ります。これができたところでお昼休憩。




午後からは仕上げに入ります。午前中に作った二つのパーツを本体に取り付けます。この時も赤い飴を上から取り付けて接着剤の代わりをします。またこの赤い飴の温度が高すぎると他のパーツが垂れてしまいます。
赤の角のような部分が上に向かい、白い部分が左右に水平に伸びる、これが理想的な形です。


これまでの作業の中で見ていて一番苦労するところだと思いました。
みなさん一つ一つ思いを込めて真剣な表情で作業しています。


一通り出来上がったら最後はラッピングと箱詰めです。せっかく出来てもここで終わらせては飴が湿気ってしまいます。


最後に吉岡八幡神社に寄って行きました。隣には古い武道館があり現役で使用されているようでした。
みなさん良縁に恵まれるといいですね。


タグ:, ,

コメント (0件)

コメントする 

仙台北法人会青年部会のメンバーが四ッ谷用水について学びました

2015/11/27

経営者の集まりの団体という仙台北法人会青年部会の事業で「四ッ谷用水を辿る会」を実施ました。
青年部会は特に30〜40代のメンバーが多い中で仙台郷土の歴史に興味はあれど触れることはなかなかないので今回の事業はとてもいい機会だったのではないでしょうか。

講師に「仙台・水の文化史研究会」の会長を務める柴田さんを始め3人の方にお願いしました、我々メンバーは二つの班に分かれて説明をしていただきながら四ッ谷用水の暗渠を歩きました。



スタートは大崎八幡宮のちょうど二之鳥居をくぐってすぐの太鼓橋からで、ゴールは北六番丁の茶室「六幽庵」までの四ッ谷用水の暗渠を辿りました。
太鼓橋の下も四ッ谷用水がが流れています。

私は以前にも何度か四ッ谷用水を歩き、ある程度知っているつもりでしたが、青年部会メンバーと一緒に歩くことができて、また新鮮でした。
フェンスの向こう側が四ッ谷用水です。現在は仙塩工業用水道導水路として使われています。

下の写真の歩いている左側が暗渠になります。

正面の緑の柵の左側の歩道が暗渠です。不自然な道幅になっています。



正面の建物はブラタモリにも出たところです。
上の写真の正面のアパートの向こう側から下の道に降りました。
ここ石切町にある瀬田谷不動尊は石切職人の神社でここで職人たちが踊った踊りが雀踊りの由来となったそうです。
石切町はその昔仙台城の石垣を造った石垣衆の屋敷があったところで、今も小梨石材店などがあります。
ちなみに写真の小梨石材店は盛岡から来たそうで、比較的新しい石屋さんなのだそうです。(もちろんかなり古くからあります)
築城当時から残っている石材店は48号線沿いにある黒田石材店だそうです。


春日神社の参道にある昭和15年ころ当時を思い出して近所に住む今野氏が描いたこの付近の絵です。
これをもとにジオラマかした模型が柏木市民センターに展示されていますので興味のある方はぜひご覧ください。

この先の春日神社の前を四ッ谷用水が横切っています。
上の写真の鳥居をくぐり階段を上ると境内との境目に四ッ谷用水が流れていて、その暗渠の上を歩くことができます。これを東に少し移動したのが下の写真。
これが四ッ谷用水へ降りる階段跡になります。住居の土地から四ッ谷用水までの高さが少し伺えます。ここで洗い物をしたのでしょうか?
春日神社から階段跡の途中に南に向かう第一支流跡がありました。この塀の向こうの直線的な通路がそうです。
土橋通に第二支流がちょうど歩道のあたりに流れていました。
写真は土橋通に面する宮城県看護協会で、ここがその昔伊達綱村公のお飼鳥屋敷跡でした。最近まで当時の松が現存していましたが今は病気で切られ切株のみがあります。(グーグルマップのストリートビューでさかのぼると松の木が確認できます。https://goo.gl/VZucW4

ここから東へ向かい北六番丁を歩くわけですが、四ッ谷用水はまだ道路の少し上を流れています。

下の写真の奥に見えるのは林宅寺へ用水を渡る石橋です。この写真を撮った辺りが(北六番丁の)通りの高さのピークでそれを過ぎたところ(となりの建物)で北六番丁通りへと降りてきます。

林宅寺となりの建物前の部分を通り道路へと合流します。
ここが合流地点。

ここは支倉堀と言って東北大学構内にあり、一部保存されています。四ッ谷用水はだいたい南側の仙台中心部へと支流から流れていくのですが、ここは珍しく北側へと流れていきます。
最後六幽庵に到着して、せっかくなので庭園を一周見て回りました。
六幽庵は仙台市の茶室ですがさまざまな用途で借りることができます。
もともと仙台市内の建設会社の橋本店から仙台市に旧橋本邸離座敷を「茂ケ崎荘」とともに寄贈されたもので、昭和33年(橋本店ホームページより)仙台市立第二中学校の北側の仙台市長の官舎脇に移築されました。
しかしながら残念なことにさほど使われることなく建物も朽ちて、また官舎に市長も住むことがなくなってしまったので平成に入り解体されたそうです。
そして平成3年に新しく生まれ変わって市民の憩いの場として建てられました。仙台市管理のもと市民に貸し出しがなされましたが、これもまた残念ながら存在があまり知られていないために十分に活用されていなかったようです。
そこで最近になり第3木曜日を一般無料公開日として利用を広めるよう力を入れています。
街なかにひっそりと佇む空間として心が落ち着きます。ぜひ足を運んでみてください。
お抹茶と菓子をいただき一息ついたところで柴田さんの貴重なご講話をみんなで聞きました。


立礼室(りゅうれいしつ)という外履きを履いたまま入れる部屋で行いました。
参加したメンバーは初めての体験でとても満足していたようです。
これからは街を歩いていても見る場所がきっと違ってくると思います。
最後にご協力いただいた「仙台・水の文化史研究会」の皆様大変ありがとうございました。
感謝申し上げます。


コメント (0件)

コメントする 

白松がモナカは旅館業だった

2015/11/2

青葉区木町通一丁目、仙台市立木町通小学校の裏側(西側)の通りに晩翠亭いこい荘という旅館がある。なんでもミシュランジャポンに載ったそうです。
他の人から見ればうちもそうかもしれないが、 なんでこんなところに旅館があるのかあるのか不思議で仕方がなかった。
旅館などの立地は温泉などの観光地あるという一般的なイメージ。街なかでアクセスも便利ですが特に観光地が近くにあるわけではない。(でも見るものはたくさんありますよ)
ここだけではない、仙台市内でもなんでこんなところに旅館がと思うところはよくあります。


話は変わりますが、
白松がモナカの大学病院前店が白松がモナカの第一号店と聞いています。
ではなぜなぜこんな場所に始めたのか?
店名の通りすぐ近くには東北大学の付属病院(通称:大学病院)があり、
お見舞いに行く人がそこでモナカを買って持っていくということを見込んでということは
簡単に察しがつきます。


下の写真2枚は道路拡張前の白松がモナカ大学病院前店です。
おかちゃんさんのブログよりお借りしました。


詳しく白松がモナカの社長に尋ねたところ、戦後初めての店はやはり大学病院前店(現在より北にひとつずれたところ、北四番丁大衡町線の道路拡張のため現在の位置に移動)で、
それ以前は、同じ場所で下宿屋を購入して旅館として営んでいたそうです。

実は昔は、いこい荘 の近くに森末旅館がありました。ここは森公美子さんの実家でのちにホテルニューモリスエ、そしてホテルセントキャッスルと名前を変え現在ではマンションが建っています。
その他にも本田旅館(確か小学生の頃まであったと思います) や、
大盛館などの旅館が数軒ありました。

真ん中のマンションが元森末旅館の場所

この昭和20年代~30年代の木町通商店街の地図を見るとそれぞれの位置がわかります。ちなみにいこい荘は掲載されていませんが、創業昭和39年ということなので現在の場所からみると福寿荘の後に建てられたものと思われます。
遠正文具店(赤下線)は現在、大学病院向かいの角のビル1階にあります。
大林商店(赤下線)はダイリンと読んでいわゆる10円駄菓子屋さんで、小学生の当時は大変お世話になりました。

昔は交通の便が悪いく、遠方からの患者等は時間をかけてやってきて遅い時間に着き、その晩は病院の近くで泊まり次の日朝早く病院に向かう人が多かったということです。

つまり大学病院周辺の旅館はみな、遠方からの患者等が仙台に来て次の日の朝早く診察を受けるために泊まるための施設だったのです。

いこい荘はその当時からではありませんが、大きな流れとしてその名残りと言えるのではないでしょうか。
そして今では仙台中心部へのアクセスも活かしながら丁寧で細かなサービスを提供することによりいこい荘はミシュランジャポンに載ることができたのでしょう。


タグ:, ,

コメント (0件)

コメントする 

仙臺暖簾を守る会

2015/11/2

昨年入会させていただきまして2年目の参加になります。
この会は今年で21回目を迎え、昨年まで初代から会長であられました湯目会長が惜しくも亡くなられまして、ダゼンの田中さんが現在の会長となります。
もともとは、使い古した暖簾をただ捨てるのではなくどこかで供養してほしいということで大梅寺の住職が引き受けてくれたのがきっかけでした。

本日最初に暖簾感謝祭といたしまして蕃山の大梅寺にて暖簾の碑を前に副住職に読経をしていただきまして、会員らが御焼香をしました。









暖簾とは信用ということをあらためて心に刻み商売に邁進していきたいと思います。


大梅寺周辺の木々も色づきとても綺麗でした。







場所を江陽グランドホテルに移し総会と懇親会を行いました。
この会は歴史が古いだけでなく暖簾を将来大切に守っていく企業の方の参加の入会を歓迎しております。もちろん今年起業したという方も対象です。

これから地元を盛り上げるためにも入会される方歓迎です。


コメント (0件)

コメントする 

季節外れの青森ねぶたを見てきました

2015/10/29

全菓連東北・北海道会議が青森市で行われました。
このブロック会議は毎年持ち回りで来年は岩手県再来年は宮城県、その翌年は北海道となっています。

私は宮城県菓子工業組合、常務理事として初めて会議に参加させていただきました。

議題としては2017年に開催される三重県の全国菓子博覧会についてと法改正による組合企業に影響する事柄の確認などでした。特に成分表示や栄養表示は零細企業でなくてもとても負担が大きくいかに軽減するかというものが説明され、お客様や百貨店のご理解も賜りたいところであります。

菓子博についてはお伊勢堂さん菓子博ということで成功に向けて各県の意見が交わされました。







幸いにも会議前に早く青森駅に到着することができましたので少しだけ観光をすることができました。

青森駅に隣接するねぶたの家(ワ・ラッセ)に向かい、青森のねぶたを見ることができました。菓子屋というもの世間がお休みの時が忙しい時で七夕も例外ではなく、その時期に行われる東北の夏祭りは一切見に行くことは叶いません。ですのでこの機会にねぶたを見ることができてとてもよかったです。一生見れないと思っていましたから。











次に三角状の建物(青森県観光物産館アスパム)の物産館に移動し13階で食事をした後、1階でお土産を購入しました。やはりリンゴ関連の商品が多かったです。
写真は三角状の側面から撮ったものです。



最後に青函連絡船の八甲田丸を外から見学して、おそらく当時現在の青森駅から貨物車両が船に入る線路、いわゆる引込み線を見学しました。




この先が八甲田丸の後部につながる。

日帰りでしたがとても有意義な時間を過ごすことができました。


コメント (0件)

コメントする 

柏木ふれあいまつりでへくり沢の研究発表

2015/10/10

柏木市民センターで「柏木ふれあいまつり」が10月4日に開催され、外では屋台で飲食ができ、体育館ではステージで踊りや中学生の琴の演奏などがありました。
また館内では各サークルの発表に混じり、へくり沢の地形模型とジオラマも展示されました。










柏木市民センターは元仙台高校跡地にある市民センターです。体育館は街の中ではけっこう広いのではないでしょうか。会議室も十分な広さがあり、そこでへくり沢を中心とした昭和33年の地図をもとに作成した地形模型と八幡小学校界隈とへくり沢の昭和12年ころのジオラマ模型を展示しました。







地形模型は2014年の2月から有志8名ほどで半年かけて作ったものです。厚さ3mmのスチレンボードに昭和33の仙台の地図を写したものを数十枚用意し地道にカッターで切り、重ねていったものです。これでより立体的に地図を見ることができ、へくり沢の崖の深さを目で確認することができます。

ジオラマ模型はさらに対象地域をクローズアップし八幡町の春日神社入り口にある今野氏の昭和12年ころの記憶をもとに描いた絵を参考に作成しました。模型は単に地形ばかりでなく当時の建物により近づけて作りました。また田んぼや畑、その他の木々も記憶をもとに細かく再現いたしました。
当時を知る人にとってこの模型はとても懐かしいものなったでしょう。


このジオラマは地形模型完成後に着手し、これも半年くらいかかり2015年の春に完成しました。最初市電は複線で作製したのですが、この年はまだ単線だったとの意見から複線から単線へ付け替えたりして細かいところまでこだわっています。

作製に関わった受講生の我々は素人ながらに今まで学んできたことを活かして来場者に解説・説明をしました。

熊谷屋ブログも参考として並べさせていただきました。




こちらは蒲生の地形模型で宮城野区中央市民センターのみなさんが作成したものです。 




我々は単にこれらのものを作ってきただけではなく、それの前には3回の講義と1回の現調をしてへくり沢について学び調べてきました。
講師の方のお話だけではなく、今野氏の昔の記憶や受講生メンバーで地元の方の記憶の話や地質に詳しい先生などの話も交えてとても貴重な事柄を知ることができました。これは講座に参加したり本で調べたりするだけでは知り得ない貴重な情報でした。 


コメント (0件)

コメントする 

「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というメッセージがしつこく出てくる時の対処

2015/9/8

ある朝パソコンを起ち上げると

「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というエラーメッセージが出てきた。


よくわからないので、とりあえずそのメッセージを消そうとしましたが、
何度も何度も出てきます。
挙句の果てにメールを開いたら、今までフォルダ分けしていたものが無くなりメールも消えてしまいました。
え、どうなってしまったのだろうか?
前の晩自動アップデートを行い再起動したらしいが、その影響だろうか?
メーカーに問い合わせてもWindows7をWindows10にアップグレードしたのでサポート外と言われるし、
ウィルス?故障?
いずれにせよこのままでは業務に支障をきたしてしまうのでなんとかせねばなりません。
修理を依頼する前にできること、考えられることをいろいろと考えてみました。
XPを使っていた当時はいろいろと不具合などがあってそれを解決するためにいろいろ知識を身につけましたが、
しばらく平和の状態が続いていたのでとてもあたふたしてしまいました。
メールは二つアカウントを設定していましたがなぜか片方だけがいちいちパスワードを確認してきます。
今さらパスワードと言われても…、以前メモしておいたものを入力しても受け付けず、知り合いにパスワードをリセットしてもらい、
なんとか送受信が可能になりました。
最初はファイルも開けませんでしたが、しつこいメッセージを×印を押すことにより、5~6回目ぐらいでやっと消えてくれてファイルも開けるようになりました。
しかし、何かする度にメッセージがしつこく出てくるのでまだまだ安心はできません。
よくよく確認するとエラーメッセージは
「ドライブにディスクがありません。ディスクをドライブE:に挿入してください」というもの。


つまりドライブのEをどうにかしなければならない。
調べてみると、本来デフォルトでEのはずのDVDディスクのドライブがDドライブになっていて、EはUSB差込のドライブにあてられていました。
他の外付けHDDなどもドライブ名が変わってしまっていました。
まずはUSB差込のドライブ名を適当な別なものに変え、DVDディスクのドライブ名をEに変更することでエラーメッセージは無事解消されました。
あとはほかのHDDなどのドライブ名を直して、メールの保存先も元の場所に戻してなんとかすべて復旧することができました。
たまにこのようにドライブ名が変わってしまう現象があるようです。
参考になさってください。

 


コメント (0件)

コメントする 

蓮の花が見事に咲いています。蓮の実って本当にこういう形…

2015/7/25

奥州七福神の大黒天が祀られていることでも知られる喜伝山秀林寺は輪王寺の斜め向かい、
ちょうど北山トンネルの出口にあります。
その特徴的な山門の形は竜宮門です。
よく見るとその門の裏側に大きく立派なハスがふた鉢植えてありました。




蓮の花を間近でマジマジと見るのは初めてかもしれませんが、
よく見ると本当に蓮の実ってこういう形しているんだなぁと感動しました。















まだ蕾はあるので、これから見頃だと思います。お近くを通る際は是非足を止めて眺めてはいかがでしょうか?


タグ:, ,

コメント (0件)

コメントする