仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

タグ:歴史

青葉まつり2017

2017/5/21

平成29年5月20日21日と今年も盛大に青葉まつりが開催されました。

特に今年は伊達政宗生誕450年という記念の年です。

天気も青葉まつりのために晴れたような天気でとても暑かったです。
大太鼓を先頭に神輿渡御は青葉神社から出発して青葉神社通り二日町国分町と練り歩きます。

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稚児行列もみなとてもかわいいですね。

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その先一番町四丁目商店街を通り藤崎でおおまちアーケードに入ります。

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後半は東二番丁通りから定禅寺通りを歩きます。
長丁場、神輿を担ぐ人たちはかなり大変だったでしょう。

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明治時代の煉瓦造の下水道が今なお生きている

2016/11/11

仙台出身の伊坂幸太郎監督のゴールデンスランバーの中でも堺雅人演じる青柳雅春が逃走する際に使用したのでも仙台の街中の地下を通る地下下水道。
その中でも明治33年に造られたレンガ造りの下水道で勾当台公園あたりから定禅寺通りの下をまっすぐ通って広瀬川に流れる部分の一部が公開されました。
新聞でも7月ごろの記事に公開予定の内容が載っていて楽しみにしていました。

市政だよりで一般公開の公募が始まると早速申し込みをしました。
当日あいにくの雨でしたが予定の時刻には大分小雨になりました。
6名のグループで3名ずつに分かれて見学しました。

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場所は市民会館隣のSLが展示されているところの脇です。新しく整備され地下が上から見える天窓と、下へ降りる入口が作られました。

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このレンガ造りの下水道は土木遺産に登録されたそうです。

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入り口から入り下まで螺旋階段を8メートルほど降り進むとレンガを一部壊して中に入れるようにしたところがありました。この部分から中に入るのですが、入って右側が広瀬川への出口で、左側が定禅寺通り方面です。
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最初に広瀬川への出口を確認。トンネルの先の明るくなっているのが広瀬側に抜ける出口です。
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反対側へ行くと定禅寺通りから来た下水がカーブして処理場へと流されます。雨水など水量が多くなるとこのカーブの縁を越えて広瀬川へと流されます。
この穴の向こうが定禅寺通りです。カーブせずまっすぐそのまま進めば先ほどの広瀬側へと注ぎます。
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こちらはカーブした先の右側、向かう方角は南です。
東から流れてきて広瀬側手前(SLの下あたり)でカーブして南下します。
地下に潜ってしまうと方向感覚がわからなくなってしまいます。
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ありがとう農学部

2016/10/30

雨宮キャンパス感謝祭が10月28日29日30日の3日間行われました。
これは東北大農学部が雨宮キャンパスから青葉山へ移転することになっているので、今までの地域の皆さんへの感謝を込めたお祭が行われたのです。

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この敷地は農学部以前から歴史があり旧制二高が片平から移転して来たのを始まりに一時期は宮城一女高が間借りした。農学部は昭和49年より、以降都会のオアシス的な存在でもあり緑が楽しめるスペースとしても市民に愛されてきました。

旧制二高当時に建てられた守衛所も現存しているのでどうにか残して欲しいです。

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また周囲には当時の赤煉瓦も残っています。

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色が違うのがわかるでしょうか。
新しい部分は寮の入り口だった所を塞いだものだそうです。
建物の中では昔の写真や説明が展示されていました。見にくる人も昔近所に住んでいた人や当時通っていた人など懐かしいという声が聞こえて来ました。

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また仙台の古いものが無くなる、悲しい。
古いものを壊すのではなく活用して町おこしができないものか。
そんなことを考えてしまいます。


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へくり沢にはもっと上流に源流があった

2016/10/29

柏木市民センターでの事業
「へくり沢ウォーキング」
今回で4回目です。ひとまず最後になります。
最初の1〜2回目は2015年の11月に行われれ、柏木市民センターから出発してへくり沢を下って広瀬川との合流地点まで歩くというもの。
3回目は6月に行われる、今度は逆に上流へと歩きました。出発は新坂の上にある知事公館からで春日神社の辺りまで行き柏木市民センターへ戻るというもの。

そして今回はこれまではへくり沢の下流部分を歩いたのに対して、「源流を訪ねる」と題しまして上流部分を初めて歩きました。

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参加した人数は定員の15名。

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まずは出発前に模型を使って予習です。

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いつもは最後になる春日神社から始まり今野さんも張り切って説明していました。

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ここは四ツ谷用水とへくり沢が交差する所なので、四ツ谷用水の洗い場跡を見学して、実際立体交差している部分の上に立ちました。
みんなが立っているのが四ツ谷用水の上で、2枚目の画面左側石垣が見え土地が下がっているのがわかると思いますが、へくり沢の滝の部分です。

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へぇ〜この下を四ツ谷用水が流れているのかぁ。

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へくり沢の暗渠部分は道が赤くなっていて赤道と呼ばれています。その赤道を辿って行きます。

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途中タコ公園で一休み?

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さらに歩くと国見小学校に着きます。

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道路に出てから国見コミュニティーセンターへ向かいます。

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信号の隣に花がお供えされていますが交通事故とかそういうものではなく疱瘡神様なのです。
もともと国見台病院の敷地にあったものの一つで病院を建てる祭、移動したそうです。

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背後の建物は国見児童館でここがその昔堤でした。つまりため池でここからへくり沢が下流へと流れて行くのです。

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ちなみにこのすぐ上の国見コミュニティーセンターも堤で2段階になっていました。

少し移動して福聚幼稚園の駐車場に来ました。ここから下を見ると地形が溝のようになっています。
これはへくり沢へと流れ込む支流でキツネ沢いうそうです。

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策の右側の溝がキツネ沢の跡になります。

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下の国見コミュニティーセンターから見た写真で正面の木の左側に側溝がありますがそこの場所を通って堤に流れ込んでいたと思われます。
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近くに仙山線の駅、東北福祉大駅がありその脇に道路が通っていますが、駅が作られる以前は芋沢街道と言って細い道が本道として使われていました。
それでも昔はバスが通っていたそうですが、今ではその街道を横切る踏切は人しか通れません。

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先ほどコミュニティーセンターと児童館の堤からへくり沢が始まると言いましたが、実は源流はもっと上なのです。
堤とは川を堰き止めてため池を作り農業用水として使っていたのです。ならばその先にもっと上があるのは当然です。

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芋沢街道の踏切を越えた少し先が本当のへくり沢の源流だったのです。
ここは昔の地名で一ノ坂、二ノ坂というそうで、今でもその名残が感じとられる建物の名前があるというのはとてもいいことですね。

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ということで今回はここで解散です。


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市電開業90周年

2016/10/29

東北工業大学の一番町ロビーにて市電の当時の写真展があるというので行ってきました。

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私も幼い頃のかすかな記憶を辿って懐かしく写真を見ました。
当時の行動範囲はとても狭く家からの数百メートルほどの範囲しか記憶にほとんど残っていません。
長町の駅や原町の駅などは見てもわかりませんが想像を膨らまして見ていました。

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2階ではスライドを見ながら説明と座談会があるというのでそちらも参加しました。
開業90周年の節目の講演は宮城野区で印章店を経営する庄子喜隆さん。
面白いエピソードのたくさん聞けました。

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座談会は庄子さんに加え仙台市博物館仙台市史編室長の菅野正道さんらを交え行われました。

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市電開業90周年

2016/10/29

東北工業大学の一番町ロビーにて市電の当時の写真展があるというので行ってきました。

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私も幼い頃のかすかな記憶を辿って懐かしく写真を見ました。
当時の行動範囲はとても狭く家からの数百メートルほどの範囲しか記憶にほとんど残っていません。
長町の駅や原町の駅などは見てもわかりませんが想像を膨らまして見ていました。

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2階ではスライドを見ながら説明と座談会があるというのでそちらも参加しました。
開業90周年の節目の講演は宮城野区で印章店を経営する庄子喜隆さん。
面白いエピソードのたくさん聞けました。

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座談会は庄子さんに加え仙台市博物館仙台市史編室長の菅野正道さんらを交え行われました。

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「柏木市民センターふれあいまつり」でへくり沢の紹介とパネル展示

2016/10/8

10月2日(日)に柏木市民センターで
ふれあいまつりが行われました。

我々へくり沢研究会(?)もこれまでの成果を地域の人たちに知ってもらういい機会です。

我々は4日前に会場の設営準備をしました。
今年の場所は大会議室の脇の奥の小会議室です。ちょっと奥まってしまったので人が来るか不安でした。

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通路の壁にはこれまでの活動として、立体地図模型からジオラマ、公募した市民とのへくり沢探索などを紹介するために私の書いたブログを展示してもらいました。

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小会議室の中にも様々な資料が置かれ、どれも興味深いものです。

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当日はたくさんの人がおまつりに訪れへくり沢のコーナーにも来ていただきました。
へくり沢の説明をするのみなさん興味深かげに聞いて下さいます。
設営側としてはそれが一番の喜びでした。

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へくり沢探索ツアー

2016/6/4

3年前から柏木市民センターではへくり沢について講座が行われてきました。
最初は3〜4回に分けて講師を呼んで講座がありまして、私はへくり沢に興味があったのですべての講座に参加しました。

【へくり沢おさらい】
仙台城下町の北西に位置する深い沢、現在の八幡町あたり。
そこにかかる橋を土橋といい、そこに通ずる道を土橋通りと呼んだ。
へくり沢はどこなのか、土橋はどこなのか、なぜ土橋通りと呼ぶのか、幾つかの疑問を持っていたところにちょうどこの講座があったので参加しました。
その後講座を受けた人の中から有志で昭和33年の仙台市の地形模型を製作し、翌年には今野さんの描いた絵を参考に八幡町界隈のジオラマを作製。いずれもへくり沢の地形が詳しくわかるものでした。

この事業は4年間と決まっているそうで、今年がラストイヤー。その集大成で完成直後まずは一般の方を迎え事業報告会、そして翌年の柏木市民センター祭りで来場者への披露及び説明、
さらに実際にへくり沢跡を受講者たちが今までの知識を元に市民(まち歩き参加者を募り)に説明しながら歩く事業を行いました。
すでに去年の11月に2度行っており、今回は3度目。

今回のスタッフメンバーは柏木市民センター小野館長と山内さん、有志メンバーより私の他、北波さん、三品さん、鹿戸さん、付き添いで青葉区中央市民センターのお二人。その他、春日神社待機組が今野さんと皆川さんです。

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今回6月4日に行われ、この日はとても天気が良く、良すぎて日焼けしてしまうほどでした。
前回の集合場所は柏木市民センターでしたが今回は知事公館です。

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ここはすぐ下に新坂という坂があります。新坂というからには新しい坂です。そしてそこへ向かう道を新坂通りと呼びます。
現在の新坂通りはそこから大学病院を越して北側に位置します。そこは新坂町がありますがそこから南には大学病院に突き当たります。
しかし本来なら大学病院ができる前は道があり、さきほどの新坂まで繋がっていたのです。
ちなみに大学病院ができて寸断された時は西側脇に新新坂通りが作られました。

新坂は新しい坂と申しましたが、これはへくり沢を渡るために元禄年間頃に新しく作られた坂という意味です。

館長さんの挨拶と北波さんの解説。

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まずは15人ほど参加者が集まり2班に分かれて出発しました。
最初は知事公館よりすぐ下にある東北で最古の板碑、澱橋不動尊。

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それについて一通り説明が終わると何やら隣の民家に移動してここには大砲の弾があると説明してくれました。
説明してくれたのはそこに住む方でした。何やら集まっているのを見てせっかくだからと庭の敷地に入れていただきました。他人の家なので本当は入っていけないのですがご主人自ら説明してもらい、思わぬ偶然にラッキーでした。この砲弾はロシア戦争の時のものらしいです。

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そこからへくり沢の河口にあたる地域を歩きました、ここは暗渠で現在、住宅地になっています。ちょうど尚絅女学院の裏の崖です。

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上の写真は下の写真の住宅の真ん中を通る道路を歩いているところです。

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とても深い崖になっていますが、普通河口でしたら浅く広がりをみせています。しかしその昔へくり沢と広瀬川は平行して流れていて、流れの速い広瀬川にその一部を取られてしまったのです。いわゆる河川争奪で途中からもぎ取られたため本来の河口部分が無くなり深い沢からいきなり広瀬川に流れるような形になったのです。

集落を抜けると壁にぶち当たります、この壁こそが土橋なのです。よく見るとジグザグにつたって上に登る道があります。国道48号戦から尚絅女学院へ向かう途中両側を見ると両側は深い崖のようになっています。つまり沢を横切るように道が走っているのです。

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土橋に上がってから疱瘡神を見学。
これは一見何でもないような石ですが、ここを工事した時に掘り起こされ、その後、実はたいへん古いものだと判明しこの場所に祀られたそうです。

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我々がここから移動しようとした際にここの町内会長さんが声をかけてきて疱瘡神について当時の事を話してくれました。掘り起こされ時は単なる石と思われ捨てられたのですが後から貴重な歴史的石だということがわかって一生懸命探したそうです。誰も見向きもしない石を一生懸命見ている人達がいたので声をかけたそうです。
当時の話を当事者から聞くのはとても貴重でした。

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土橋の反対側に周り、急な斜面を下りて行きました。ここもへくり沢の深い崖です。
その昔、戦前ここには旧制ニ高のアイスホッケーのリンクがあったそうです。
当時リンクを管理していた庄子さんのご子息がそこに住んでいてお話を聞くことができました。

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現在は建物が建っていますがそこにリンクがありそこに張った水はへくり沢の水ではなくもともとは四谷用水の水だったのだそうです。四谷用水とへくり沢が交差する春日神社の掛樋から12月の5日間朝の8時から夕方の5時までへくり沢へと解放したのです。そしてリンク使用中、へくり沢はリンクの下を流れていたらしいです。

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なぜここにリンクを作ったか?ここはスペースがあり深い沢で日陰なので氷がなかなか溶けにくいことが理由にあげられます。
大きさは30m×60m、これらのことは尚歯会の文献に残っているそうです。

このあとへくり沢の暗渠に沿って遡り石切橋まで移動しました。

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ここまでくるとへくり沢はある程度細く浅く、渡りやすくなりこの橋を通って昔の人は西側と東側の往来をしていました。
逆に言えばここしか橋が渡せず、中島丁の侍もみな遠回りをしてここを通ることになります。
ここは昔の欄干の名残があります。

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春日神社に移動して待機していた今野さんが説明をしてくださいました。
社殿の中に掛けられた今野さんが子供の頃の昭和15年頃の記憶をもとに本人の描いた八幡小学校界隈の絵図を見ながら、説明を受けました。質問も多く出てなかなか終わらなかったようです。

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春日神社の社殿より参道入り口の鳥居までいくつか段差があり、その途中を四谷用水が横切っています。神社より東へ30mほど行くと昔四谷用水の水を使って洗い物をしていた洗い場跡があります。

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今回はへくり沢がメインなのでいったん戻り、いわゆる赤道(あかみち)となった暗渠を辿ります。この赤道は春日神社脇の四谷用水と交差するところから国見小学校あたりまで続く遊歩道になっています。

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交差の場所はあの「プラタモリ」でタモリさんも訪れたところ。

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赤道をしばらく進み、道は更に続くのですがタコ公園のところで右折して土橋通りに出て柏木市民センターへと向かいました。
市民センターに着いて総括をしたところで解散。

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ひっそりと佇む弁財天と梅田川の源流

2016/6/3

4月22日に国見ヶ丘にある弁財天でお祭りがあるということで、
普段閉まっているお堂の中が見れるかもと思い行ってみました。
時間の都合上、朝早い時間に訪れたところ
幸いにもすでに祭りの準備は整っておりお堂も御開帳されていました。

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中には綺麗な観音様とその両隣には歴代の僧侶のリアルな像が2体安置されていました。

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ここは仙台市の有形文化財に指定されており、臨済院敷地の奥は公園として整備されています。その中には歴代僧侶のお墓もあります。

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立看板内容によると

「仙台市指定有形文化財(昭和62年9月11日指定)
臨済院は、元禄14年(1701)に仙台藩四代藩主伊達綱村により開基された黄檗宗寺院である。この弁財天堂は、三間四方の宝形造で頂上に露盤、伏鉢、宝珠を載せ、向拝部には虹梁など江戸中期の様式的特徴が認められる素木造の簡素な建物である。堂内には、
彩色の弁財天座像を安置している。
かつては大寺院であったが、現在はこの堂のみが残り、茅葺であった屋根を昭和63年の解体修理工事の際に銅板葺とした。解体時に屋根裏から「宝永」と記された棟札とみられるものが発見されたことから、建築年代は宝永年間(1704-1711)と考えられる。
周辺は、歴史公園臨済院公園として整備されている。
平成11年2月 仙台市教育委員会」

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黄檗宗に傾倒した第4代仙台藩主伊達綱村公が元禄14年に角五郎丁に作らせたのが始まりで、その後第5代藩主伊達吉村公により正徳5年に吉成へ移されたそうです。
吉成という地名がいつからあったのか、ここの国見ヶ丘のことを指しているのかはわかりませんが。
明治に入り廃仏毀釈でそれまで寺領と藩の保護を受けてきた臨済院は檀家を持たないため廃寺となってしまいました。

その後、弁財天堂のみが残り地元の人達に守られてきました。

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そしてお祭りは毎年4月22日に行われているそうです。
なぜ4月22日にお祭りかと地元の人に尋ねたら由来はわからないがずっと昔から曜日にかかわらず決まってその日に行われてきたそうです。

弁財天はもともと弁才天だったのが財と音が似ていたことから財宝神として現在のように弁財天と書かれるようになったとか。



弁財天堂の周りには小さなお堀のようになっており水が張っています。また裏側には小さな池があります。
水は赤く鉄が錆びたような色です。

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実は七北田川に合流し海に流れている梅田川の源流がここなのです。
北仙台駅の北側の堤町は昔堤(池)がありここから採れる土を使い堤焼を作っていました。
赤茶けた色はこれと共通しているのではないかと思います。
また、中山のうどう沼公園の奥の湿地帯も同じよな赤い土、赤い水なので直接川で流されて下流に行ったのではなく同じ土の層なのでしょう。

ちなみに私なりに弁財天より梅田川の開渠となっているところまでどのようになっているのか辿ってみました。
あくまでも推測ですが。
【写真奥が弁財天】

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そのまま手前に進むとサンクスの脇に出る(傾斜的にも妥当なのかなと)

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そこからさらに道路を横断して向かいのクリーニング店の脇を進む

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【この下を流れているのかと思わせるマンホール】

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そして福祉大の敷地へ入る

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と思いましたが、やはり国見ケ丘2号緑地を経由して梅田川へ流れるのが順当なのか、
分水嶺は実際歩いてみないとわからない。

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コメント (2件)

  1. バッケ より:

    この記事を見つけて感動しました。
    時折、巳の日に参拝してて、案内文にある「彩色の」を目にしてからは、いつかお目にかかりたいと、御開帳の日があれば知りたいといました。
    1度、いらしたご近所らしき方に尋ねたときは祭りが近くなるとのぼりが立つとのお話で機会を探っていましたが、今年は既に過ぎた模様。
    でも、画像をあげてくださって、願いがかないました。
    お祭りの日もわかることができました。

    お手水場には小さい竹ざるがあり、前はなかったので水面の汚れとりと思いましたが、後から違うのに気づきました。
    手に取って銭洗いをする者に便利です。
    ご厚意で置いてくださって地域の方々のお心を感じられる場です。

    余談ですが、弁財天様は近場で探した事があって、新坂通りの交差点角の荘厳寺を訪れた事があります。本堂後ろにお堂がありました。

    梅田川は貝ヶ森小学校近くの橋のところが人の手が入らずにあり一番好きな眺めです。
    山手町の辺りでは流れに沿って遊歩道があり、歩いてると飛石がありました。
    七十七銀行の近くでは魚が泳いでたことがありました。
    水源を辿ると弁財天堂から先がわからなくてここなのかなで終わってました。
    やはりそうでしたか。

    1. admin より:

      バッケさん
      御開帳の日は私もたまたまネットで見つけて、当日を待って足を運びました。

      梅田川は北山トンネルから出たところの橋の下には今も大きな鯉が泳いでいますよ。

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良縁を求め遥々と~ ” まぼろしの島田飴”

2015/12/7

黒川郡大和町吉岡に島田飴というものあり。祭でこれを手に入れることができたら良縁に恵まれるという縁起物。


宮床の北側に昔、宿場町で栄えた吉岡という町があります。そこにある吉岡八幡神社での毎年12月14日に行われるお祭りで花嫁行列があり、島田飴という変わった形の飴が売られます。
その島田飴を買い求めようと前日の夜8時から並び始め夜中には50人にもなるほど各地から人々がやってきます。
毎年売切れ、今年は2400個作るそうです。

さらに今年の12月14日お祭り当日はNHKの「あさイチ」が生中継で入るそうです。

島田飴の形は花嫁の髷(島田髷)をかたどったもので、縁結びの縁起物として喜ばれています。その大きさはハンドボールくらいの大きさとでもいいましょうか。



先日11月28日に河北新報でもちょうどとりあげられましたが、
今回その島田飴の製造過程を見学させていただきました。

ボランティアの方々で作られているということで、それらを仕切って切り盛りしているのが島田飴祭実行委員長の児玉金兵衛さんです。
島田飴はもともと「白酒屋」という菓子屋で作られていましたが菓子業やめてその歴史が終わりかけた時、児玉さんがその火を絶やすものかと「白酒屋」の職人さんに特別に弟子入りをして工場の一角を借りて作ってきました。その後も場所を変え職人さんに手伝ってもらいながらも飴作りを続けて来ました。
そしてその職人さんも高齢になり一緒に作ることができなくなり、いよいよ児玉さんへの肩の荷が重くなります。


児玉さんの自宅、児玉金兵衛商店は宿場町時代から酒屋を営む歴史のあるお店です。その蔵は平成27年NHKのドラマ『独眼竜花嫁道中』の舞台にもなりました。


朝早めに飴の仕込みを済ませ10時頃からボランティアのお手伝いの方々が来て飴作りの始まりです。


まずは髷の小さなパーツを形作っていきます。


次に土台となる大きな部分を作ります。型となる石に漆を塗ったものを使用して一つ一つ手作業で形作ります。
形ができたものは同じ型に移し替え冷まします。整形する際、飴の温度が熱くてもだれてしまい、冷め過ぎても伸びにくく難しいもので、力のいる作業です。飴に関わらず菓子作りは作業しやすい硬さでは製品としてうまくないのです。



昔使っていた型は木製です。



次に冷めた土台に赤い飴を巻きつけます。これも温度が大切です。温かすぎると内側の接着部分が剥がれてきます。


続いて赤い飴でもう一つパーツを作ります。これができたところでお昼休憩。




午後からは仕上げに入ります。午前中に作った二つのパーツを本体に取り付けます。この時も赤い飴を上から取り付けて接着剤の代わりをします。またこの赤い飴の温度が高すぎると他のパーツが垂れてしまいます。
赤の角のような部分が上に向かい、白い部分が左右に水平に伸びる、これが理想的な形です。


これまでの作業の中で見ていて一番苦労するところだと思いました。
みなさん一つ一つ思いを込めて真剣な表情で作業しています。


一通り出来上がったら最後はラッピングと箱詰めです。せっかく出来てもここで終わらせては飴が湿気ってしまいます。


最後に吉岡八幡神社に寄って行きました。隣には古い武道館があり現役で使用されているようでした。
みなさん良縁に恵まれるといいですね。


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