仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

タグ:神社

お伊勢さん菓子博 その1

2017/5/11

全国菓子博覧会というものが4年に一度開催され今年は三重県は伊勢市で開催されました。
今回の会場の中には伊勢舞台というところで各県のPRができるということなので、私は宮城県菓子工業組合の代表の一人としてお手伝いに行って来ました。

2泊3日で行って来ましたのでその様子や伊勢での観光を報告します。

1日目は夜に名古屋に着き一泊し、翌日電車で伊勢市駅まで移動しました。名古屋から伊勢に向かう車窓からの風景の印象は古い建物が多いなぁと思いました。3階建くらいの古いビルや木造で壁が板の民家。
それから瓦屋根が目立ちました。瓦は愛知県が産地として有名だからか仙台の屋根と比べると瓦屋根の家が多いんですね。

木造壁板の家は仙台では今はあまり見かけず、あっても住んでいなかったりするんですが、普通にたくさんそういった家があるのはすごいなぁと感じました。しかも壁板が縦。

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伊勢市内の家の玄関には注連縄のようなものが飾ってありました。

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伊勢市駅に10時くらいに到着し、
伊勢舞台までの時間までかなり時間があったので、当初、菓子博行ってからの伊勢神宮の外宮を参拝しようと予定していましたが、変更して先に向かうことにしました。

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伊勢市駅からも近いので歩いて行きました。
参道沿いのお店などの建物はある意味古い建物が多いです。昔の木造建築だったり洋館風の建物だったり、寂れた感じの建物だったり。

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途中山村乳業さんでフルーツ牛乳をいただきました。たまたまですが映画テルマエロマエで阿部寛さんが飲んでいたのと同じものだそうです。

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もう目の前は外宮の入り口です。
この敷地には大きく太い木がたくさん、パワースポットと言われる理由がわかります。
木は何百年も前からそこに立っていて、いろんな時代、いろんな人々を見て来たかと思うと逆にタイムスリップしたような気すら感じます。
古い建築物と同じかそれ以上に感じます。

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正殿まではいくつか鳥居がありますが、鳥居をくぐる前にその度一礼をします。真ん中は神様が通る道なので通ってはいけません。そして左側通行です。

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カメラはここまで。
外宮の正殿を参拝します。

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脇からなんとか正殿が見えました。
手前の敷地は古殿地で式年遷宮で次の引越し先になります。
建物の上にツノのように出ている木は千木といって、その形状で男の神様か女の神様かわかるんです。
先が垂直に切ってあるのが男の神様、
上の部分を水平に近い感じで切ってあるのが女の神様で、外宮は男の神様です。

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多分こちらは土宮。
横の砂利部分は建て替え用の古殿地です。

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昼食は名物の伊勢うどんをいただきました。
つゆは真っ黒ですが見た目よりしょっぱくなかったです。ただ何気に量が多かった。普通盛でも十分お腹いっぱいになります。

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これから菓子博覧会会場へ向かいます。


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お伊勢さん菓子博 その2

2017/5/11

5月6日は曇りのち雨の予報でしたが、すごくいい天気でした。

伊勢市駅から菓子博覧会の会場である三重県営サンアリーナまでタクシーで移動。遠いと聞いていましたが渋滞もなく10分ちょっとで着きました。ちなみに五十鈴川駅よりシャトルバスが出ています。

会場に着いたら人の多さに驚きました。昨日はもっとすごかったそうです。
伊勢舞台の会場は敷地の一番奥です。

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九重本舗玉澤さんの近江社長が代表してPRをいたしました。

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そのあと仙台市と宮城県の職員の方にもお手伝いいただき宮城のお菓子を会場のみなさんに330個お配りしました。

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会場の外のテントでは宮城のパンフレットを配りPRしました。

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一通り作業を終え片付けたら、
会場を見学しました。
メインアリーナではお菓子のテーマ館と全国のお菓子であい館があります。
宮城県のブースはこちら。東北・北海道共同のブースになります。

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熊谷屋のお菓子も展示しています。

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他にも各地域のお菓子が展示されています。

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工芸菓子も展示している会場がありましたのでのぞいてみました。
工芸菓子とはお菓子(食べられる材料)で作る芸術造形作品です。

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他の方との待ち合わせの場所に向かいましたところ雨がポツリポツリと降って来ました。ちょうどみんな集合したのでタクシーに乗って宿泊先のホテルに向かいました。
さっきまでの晴天と打って変わって移動中かなり雨が降りました。

時間的にもちょうど良かったし、それまで晴れてて良かった!
さらには外宮を事前に参拝してて良かった。
雨はにわか雨程度で間も無くやみました。


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お伊勢さん菓子博 その3

2017/5/11

最終日は朝9時にホテルを出てタクシーで内宮へ向かいました。内宮までの電車はなく車でしか行けません。20分程かかると聞いていたのですが渋滞もなく10分程で到着。
内宮では足の悪い人用に電動の車椅子を無料で貸し出してもらえます。

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内宮は外宮よりも入り口から遠いので全て回るのに2時間くらいかかるそうですが、我々は1時間くらいで参拝をして来ました。
こちらは右側通行です。

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火除橋を渡った先の五十鈴川の水で清めます。
とても大きな幹の木がこちらもたくさんあります。

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内宮正殿の写真はここまで。
正殿は外宮よりもほとんど見えません。
わずかに上の部分が見えるだけ。
こちらの千木を見ると女の神様です。

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これは穀物などを保管する高床式の倉庫。
2枚目の写真を見ると周りにある柱は上の部分に隙間があります。つまりこの柱は支えになっていないのです。
茅葺の屋根の重みで壁板を下に押さえつけることによってしっかりと板を密着させ、その壁が屋根を支えているのです。また穀物倉庫なので隙間を無くすことで湿気や害虫から守る役目もあるのです。

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いたるところに大木があります。

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荒祭宮です。

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こちらも隣に古殿地があります。
正殿を建て替えた時の木は他の宮に使われたり条件が合えば全国の神社の建て替えに使われたりするそうです。

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途中謎のパワースポットがありました。
外宮でも見かけましたが、何やらみんな石に向かって手をかざしていました。

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こちらが神楽殿です。

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団体客が続々やって来ました。

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お伊勢さん菓子博 その4

2017/5/11

内宮を参拝したあとは「おかげ横丁」へ行かなければ。
宇治橋を渡って入り口に戻り、右側へ進むと「おはらい町」がある。
おはらい町を進み真ん中くらいで曲がるとおかげ横丁になります。
おはらい町の入り口にはもう人がいっぱいです。

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ゴールデンウィーク中のせいかものすごい人でした。
ここは古めかしい建物が並び、お土産屋や飲食店、屋台などがひしめき合っていています。

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観光地なのにやたら真珠屋さんがあるなぁと思ったら、真珠が特産でしたね。他に伊勢海老や松坂牛なども提供しているところもありました。

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岐阜の高山を思い出させる風景です。
行ったことないですが…。

これがかの有名な赤福本店です。

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この赤福本店の向かいの通りが
おかげ横丁になります。
お伊勢さん菓子博のマスコットキャラの「いせわんこ」がちょうどいました。
なんで犬?と思われますが、お伊勢さん参りにはるばる遠くから多くの人が来ますが、病気や身体の不自由で行けない人が身代わりとして犬に託しお参りをしてもらっていたところから由来しているそうです。

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↑この奥がおかげ横丁になります。
奥へ進むと、まるで縁日の屋台のようです。
実演のべっこう飴もやっていました。

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さらに奥へ進むと神社のような建物があり、
そこで宝くじが売られていました。

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太鼓櫓では定期的に和太鼓の演奏がされます。

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ここはお土産だけじゃなく、食べ歩いたり、建物を見たり、体験したり、まさにテーマパークでした。


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良縁を求め遥々と~ ” まぼろしの島田飴”

2015/12/7

黒川郡大和町吉岡に島田飴というものあり。祭でこれを手に入れることができたら良縁に恵まれるという縁起物。


宮床の北側に昔、宿場町で栄えた吉岡という町があります。そこにある吉岡八幡神社での毎年12月14日に行われるお祭りで花嫁行列があり、島田飴という変わった形の飴が売られます。
その島田飴を買い求めようと前日の夜8時から並び始め夜中には50人にもなるほど各地から人々がやってきます。
毎年売切れ、今年は2400個作るそうです。

さらに今年の12月14日お祭り当日はNHKの「あさイチ」が生中継で入るそうです。

島田飴の形は花嫁の髷(島田髷)をかたどったもので、縁結びの縁起物として喜ばれています。その大きさはハンドボールくらいの大きさとでもいいましょうか。



先日11月28日に河北新報でもちょうどとりあげられましたが、
今回その島田飴の製造過程を見学させていただきました。

ボランティアの方々で作られているということで、それらを仕切って切り盛りしているのが島田飴祭実行委員長の児玉金兵衛さんです。
島田飴はもともと「白酒屋」という菓子屋で作られていましたが菓子業やめてその歴史が終わりかけた時、児玉さんがその火を絶やすものかと「白酒屋」の職人さんに特別に弟子入りをして工場の一角を借りて作ってきました。その後も場所を変え職人さんに手伝ってもらいながらも飴作りを続けて来ました。
そしてその職人さんも高齢になり一緒に作ることができなくなり、いよいよ児玉さんへの肩の荷が重くなります。


児玉さんの自宅、児玉金兵衛商店は宿場町時代から酒屋を営む歴史のあるお店です。その蔵は平成27年NHKのドラマ『独眼竜花嫁道中』の舞台にもなりました。


朝早めに飴の仕込みを済ませ10時頃からボランティアのお手伝いの方々が来て飴作りの始まりです。


まずは髷の小さなパーツを形作っていきます。


次に土台となる大きな部分を作ります。型となる石に漆を塗ったものを使用して一つ一つ手作業で形作ります。
形ができたものは同じ型に移し替え冷まします。整形する際、飴の温度が熱くてもだれてしまい、冷め過ぎても伸びにくく難しいもので、力のいる作業です。飴に関わらず菓子作りは作業しやすい硬さでは製品としてうまくないのです。



昔使っていた型は木製です。



次に冷めた土台に赤い飴を巻きつけます。これも温度が大切です。温かすぎると内側の接着部分が剥がれてきます。


続いて赤い飴でもう一つパーツを作ります。これができたところでお昼休憩。




午後からは仕上げに入ります。午前中に作った二つのパーツを本体に取り付けます。この時も赤い飴を上から取り付けて接着剤の代わりをします。またこの赤い飴の温度が高すぎると他のパーツが垂れてしまいます。
赤の角のような部分が上に向かい、白い部分が左右に水平に伸びる、これが理想的な形です。


これまでの作業の中で見ていて一番苦労するところだと思いました。
みなさん一つ一つ思いを込めて真剣な表情で作業しています。


一通り出来上がったら最後はラッピングと箱詰めです。せっかく出来てもここで終わらせては飴が湿気ってしまいます。


最後に吉岡八幡神社に寄って行きました。隣には古い武道館があり現役で使用されているようでした。
みなさん良縁に恵まれるといいですね。


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北山 寂光寺の参道はここにあった

2015/6/11

北山羽黒神社の別当寺は青葉山 寂光寺だったという話は(「北山の羽黒神社と青葉山の名の由来」)以前にしましたが、その参道の名残りがわりと最近まであったとう話を輪王寺の斜め向かいに店を構える横田やのご主人に教えてもらいました。寂光寺自体は明治元年に廃寺となりました。横田やのご主人が北山に住む90代のおばあさんに若い頃はその参道の名残りがまだあったと教えてもらったそうです。
実際その場所に立ってみると予想以上に広い参道でした。
それだけ大きなお寺だったのでしょうか。境内は羽黒神社の東側で北山霊園より南側あたりではないかと推測します。
左側細い路地がその先クランクになっており羽黒神社へとつながる。この道より右(東側)からピンク色のマンションが建っている位置までが参道の幅です。
地図上で確認。(地図をクリックで詳細)この地域は根白石街道と秀衡街道に挟まれたところである。
ちなみに現在の羽黒神社境内にある愛宕神社がもとあった場所は北山霊園の真ん中南側あたりだそうで現在も参道の一部が残っています。
この階段は壁で左に曲がりその先は北山霊園の管理事務所の裏にたどり着くが、実際当時はどうだったのか。壁の先に階段があったのか?
反対側から見るとちょうど壁のうらは駐車場?になっており開けている。ここら辺が愛宕神社の境内だったのか?
北山霊園内にの駐車場のど真ん中にどうどうとある松の木。
これも昔からのものなのか。こういう邪魔なところにある大きな木は大概そうだろう。
そういう木とそれを残そうとした配慮はとてもすてきだと思います。


コメント (7件)

  1. バッケ より:

    進展あったら書き込みしようといましたら大分日が空いてしまって失礼します。
    この旧街道の先、枯木橋の傍らに、(確か)「月山大権現 羽黒山大権現 湯殿山大権現」と刻まれた石碑があり、その繋がりと田中様のように思っておりました。
    せめて碑がある地に昔あった物がどのようにあったか知りたく、図書館で古地図を見ようとしたものの自力で探せずじまい、これ以上辿れずにいました。
    久しぶりに碑の前を通ったついでに再度碑を見ました。すると、日が射してきて前には見えなかった文字を確認。
    「金峯山 行者」
    名前の隣に細く刻まれておりました。
    脇に日付と講中立之の文字。

    話は飛びますが。鉄門海上人についてネットで読んでいたところ、下記の表記がありました。

    『上人の足跡が、北は北海道から関東にまで及び、庄内地方をはじめ上人の徳を称える頌徳碑がいたるところに建立しています。 主な石碑を一覧表にまとめましたが、現在も調査中です。 皆様の近くに『湯殿山 鉄門海』などと刻まれた石碑がありましたらお知らせ頂けると幸いに存じます。御協力をお願い致します。

    県名 市町村 石碑数 場  所 碑    文 建立年月日

    庄内町 22基 余目連枝 厳島神社 湯殿山行者 鐡門海
    (一部抜粋)』

    このような碑なのかもしれませんね。
    金峯山寺、奈良の吉野に縁のあるお方と思いました。
    遠き昔、このような方がいらっしゃった事、それを残して伝えた事、今、このように気づく事、少ししみじみと思いをはせました。
    どこまで当たってるかわかりませんが、ネタを投げた者としてこれで話がとりあえず締められればすっきりしそうでしたので書き込みいたします。

  2. 田中泉 より:

    石碑「徳音海」についての予想

    各位
    おばんでございます。
    表記の件、思い当たることがあるので書き込み致します。
    「徳音海」の文字がどのように刻まれていたかは存じ上げませんが、
    私には人名の様に思われます。
    では、どこの人間か。
    現在の山形県、出羽三山の湯殿山系統の行者であれば納得できます。
    明治の廃仏毀釈以前、出羽三山は月山と羽黒山が天台宗、
    湯殿山は真言宗での奉仕を行っていました。
    この湯殿山系統の行者には名乗りに特徴があり、
    宗祖空海(湯殿山系統では湯殿山は空海の開山と申し上げる)から
    一字頂戴し、「〇〇海」と名乗ります。
    湯殿山系の即身仏になられた行人様には
    真如海上人、鉄門海上人といずれも「海」が付きます。
    とすると、徳音海上人に世話になった人が供養に建てたのではないかと。
    予想する次第です。胎蔵界大日如来の種子が書いてあれば完璧なんですが。

    羽黒山神社別当が寂光寺は形にはまっていますので
    素直に行けばこれで。

    1. admin より:

      田中さん
      なるほどおもしろい推理ですね。梵字についてはまったくわからないですけど「徳音海」という文字の上に何か梵字が刻まれているようですね。
      胎蔵界大日如来の種子かは私には判別着きませんが…。

      詳しい説明ありがとうございました。

  3. バッケ より:

    石垣のところで行き止まりに見える石段、以前はお寺があったのだろうかと、石段脇にあった石碑に刻まれた文字を頼りに探し始めたもののわからず、結局、廃寺の名前と地名からこちらのブログを見つけました。
    石碑に刻まれた「徳音海」(ネットで検索してわからず)からお寺があったと推測してたのですが、もしかしたら石碑は旧街道に沿ってるからあるのかもしれませんね。
    愛宕神社はあの地にずっと鎮座されてたと思ってました。
    違う視点からの話を読めて面白かったです。
    上れなくて、石段を上った先がどうなってるかわかったのがなによりでした。

    ところで、近場に謎がもう一つあるのです。
    鳥居前にある羽黒神社の案内図にある「帝釈天」。
    とだけ、申しておきます。
    ゆくゆくは境内でどなたかに尋ねようと思ってます。

    1. admin より:

      バッケさん、こんにちは。
      なるほど、北山霊園の下の道にある石段を調べていたらこのブログに辿り着いたのですね。
      羽黒神社にある現在の愛宕神社がその昔、北山霊園あたりにあったという話は横田やさんのご主人にお聞きしました。
      残念ながら石碑の「徳音海」については存じ上げませんでした。

      「帝釈天」に関しましては、現在はありませんが、羽黒神社境内の愛宕神社のとなりに最近までありました。
      しかし神社の建物の後ろに道路を通すためになぜか帝釈天だけが撤去されたそうです。震災の年あたりのことです。

      1. バッケ より:

        ご返信ありがとうございます。
        他の日付で帝釈天についてのお話をされているのを書き込みした後に気づきましてf(^^;)失礼しました。

        帝釈天を奉ってるところを調べたときに仙台では羽黒神社だけでてきたのと、他の方のブログでは帝釈天とその後ろにあったお寺がなくなっているとあったので、移転に期待もしてましたが、そうでしたか。

        境内では春にご神木を仰ぎ見る楽しみがあるのですが、御神木の下が古墳(昔からの自然の地形だと)だったとは思いもよらず。
        住んでる北山の氏神様をようやく知る事もできました。
        他にも興味あるお話があってためになりました。
        ブログ、これからも拝読させていただきますね。 

        1. admin より:

          ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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羽黒神社のお祭

2015/6/10

北山羽黒神社は,仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長7年(1602)に福島県信夫郡より分祀してきたものと伝える。仙台市登録文化財となっている北山羽黒神社境内社は,かつて当社の拝殿であったが,昭和45年(1970)の新築の際に移築され,境内社として残されたものである。入母屋造(いりもやづくり)桟瓦葺で,桁行(けたゆき)三間,梁間(はりま)二間,三方に縁を廻らし,一間の向拝(こうはい)が付く。江戸時代後期の建立と思われる。(仙台市ホームページより)

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6月6日は北山羽黒神社のお祭りでした。
ここのお祭りはここ最近の仙台市内の神社のお祭りでも珍しく賑わいをみせ、氏子の演芸が盛んです。
まちなかの神社のお祭りとしては賑わっている方なのではないでしょうか。
同日程で行われていた春日神社のお祭りはもっと屋台も人も多いですが、羽黒神社もなかなか面白いなと思いました。
こちらがかつての羽黒神社の社殿です。
現在は立派で頑丈な社殿が建っています。
他にも境内には愛宕神社があり、さらに少し前まではその横に帝釈天がありましたが後ろの道路を通すために撤去したそうです。なんとも悲しい。(写真は当時のもの、木の下に「帝釈天」板看板が見える)
羽黒神社の階段から見る景色。
翌 日曜日にはお神輿があり町内を練り歩いてました。

 


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仙台の街中(まちなか)に村と村の境があるの? (荒巻村)

2014/7/22

二日町の裏の方にある公園内に小さな祠がある。
その名も村境榎稲荷明神。
村境って街中のこんなところが村境だったの?
どことどこの村境なの?


 



祠の傍にある石碑をみると
もともと荒巻村と小田原村の境にあった明神だったとか。
それが現在の仙台市役所の北東に祀られそこには大きな榎(えのき)があったそうです。そして当時 そこは荒巻村と仙台との境になっていたそうです。

仙台地名考によると
荒巻は荒牧とも呼ばれ北東は東照宮の小田原から東六番丁沿いに南は現在の荒町、芭蕉の辻を中心に米ヶ袋・川内、国見、現在の荒巻本沢〜杉山(台原)ということですからかなりの範囲だったのでしょう。
現在でも荒巻の地名が残っているところがあります。
北山の奥の荒巻本沢 荒巻中央 荒巻神明町の他
国見の 荒巻西雷神 荒巻仁田谷地 荒巻坊主門、
そして青葉山一帯の荒巻青葉。

仙臺開府の際荒巻村の一部を取り入れ、現在の仙台市役所の北東が村境になったという。

最初の荒巻の範囲を上記の説明に沿ってだいたいの範囲を描いてみると以下のようになるのか?(大雑把なので間違いもあるだろう)


荒牧は粗蒔(あらまき)で自然に生い茂った草原、なので荒巻は完全な当て字と言えます。字からも想像できるように荒牧は広大で良質の牧草地帯だった。
ここで陸奥の良馬が育ったのだろう。


話は戻り、榎の木は一里塚としても利用された木で、大きく葉もモコモコとしていて遠くからも確認できるからだろう。現在の仙台市役所の北東にあった榎も大きく御神木とされたのだろう。
村境には田畑や水利の権利をめぐり争いが起こるので道祖神などを建てて厄除けをするのが風習だったようで、この村境榎稲荷明神もそのような経緯で建てられたのだろう。
今もなおひっそりと佇み、商売繁盛の神様として町内会有志で毎年7月の最終日曜日に祭礼が行われている。

また、通町にある熊野神社は宮城郡荒巻村総鎮守。


以前の場所は不明ですが寛文7年にここに移されたそうです。
鎌倉時代からあるとうことなので
仙台でもそうとう古い神社だと言えます。
現在の社殿は享保7年(1722年)に建てられたらしい。
通町熊野神社神楽は仙台市の無形民俗文化財に指定されている。


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